芭蕉幻想     

対馬康子

 都市と文化。ここ東京の魅力は那辺にありや。古来、都市を構築し、都市の中で人生を営むことが、すなわち文明化の証であった。例えばアンコールワットのように、近代文明以前にも、最大の叡智を投入し、美しく洗練され、至高のライフスタイルをもたらす都市が作られた。近代文明の開始からも、経済成長がもたらした途方もない富を用いて、或る時は無残な破壊を伴いながらも、都市という文明が構築されてきた。
 文化作品としての都市の価値とは、物理的な建造物がただ美しいだけではない。そこに棲む人々が紡ぎ、長い時間をかけて生みだしてきた精神を適切に反映するものであるかどうか、それを現代に受け継ぎ存分に花開かせているかどうかが、都市景観に文化的価値をもたせる力となる。
 パリが人々を魅了してやまないのは、十九世紀、二十世紀にパリに住む人々が生み出した精神的価値の沸騰を今も適切に反映しているからであり、美しいフィレンツェは、そこにルネサンスの人々が生み出した精神的時代を適切に反映していることを実感できるからであろう。
 わが東京の礎は、長い江戸幕府の繁栄によってもたらされ、様々な江戸文化が現在も生活の中で息づいている。その江戸人が生み出した精神的な価値を理解することなしに、文化作品としての東京の真価を理解することはできない。それでは、江戸人は、東京人は、精神において何を生み出してきたのか。 
 その代表が、世界に誇る最短詩型文学としての俳句であると言えよう。芭蕉が、一茶が、蕪村が、後世に残した俳諧というもの、そこに詠まれた四季であり人情であり諧謔というもの。俳句型式に込められた日本人としての自然観、死生観が、数百年たった現代になお脈々と受け継がれている。
 開花した精神は、ルネサンスのイタリア文学のそれとも、近代フランス文学のそれとも根本的に異なる。したがって、それらの精神を反映する都市景観もまた、全く別の価値を表すものとなる。東京の都市景観は、俳句という日本人が生みだした精神的価値による、世界に類例を見ないオンリーワンである。
 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と名紀行文「おくのほそ道」は、広く世界へ紹介され日本文学を象徴する。

 行春や鳥啼魚の目は泪  

 「おくのほそ道」矢立初めに記した芭蕉の留別の句である。(ちなみに五年間の添削・推敲の期間を要した)。芭蕉は深川を出て隅田川を遡り、元禄二年(一六八九)三月二十七日に「千しゆ」から生涯をかけてみちのくへと旅立った。
 芭蕉が舟を降りた千住の大橋は、江戸幕府が隅田川に最初に架けた由緒ある橋で、また南千住の素盞雄神社には、文政三年(一八二〇)銘のこの芭蕉句碑が残されている。芭蕉百回忌前後の頃、蕉門復興運動が盛んになり、芭蕉を追慕する俳諧連衆「千住連」ゆかりの人々によって建てられたもの。
 ところで曾良の随行日記では深川を出たのは三月二十日とある。また近くには「おくのほそ道」で芭蕉が長逗留をすることになる下野国黒羽藩の下屋敷があったこともあり、舟を降りた芭蕉はすぐに草加に向かわずに、その間千住宿にて門弟、知人と今生の別れを惜しんだのではと想像する。修験道を祖とする素盞雄神社にも俳諧祈願をしたことだろう。
 俳句は数少ない日本が有するグローバルスタンダードである。東京は江戸俳諧精神の街。東京下町に国際的スター芭蕉がいる。