海外と日本の連作俳句について

木村聡雄

 日本でも海外でも俳人は目の前の一句にかける傾向があるせいか、連作俳句にはそれほど熱心ではないようである。海外俳誌一冊には何百句か掲載されているものの、連作はせいぜい2つか3つ程度のように思われる。2024年夏の米俳誌で目に留まったの連作のひとつから引用してみよう。

曇りの日々の願い ウィリアム・カレン・ジュニア
A Wish for Cloudy Days William Cullen Jr.

熱風や
微笑む案山子
埃まみれ
hot wind
a smiling scarecrow
covered in the dust

北斗七星
枯井戸の上に
雨の噂
Big Dipper
over the dry well
rumors of rain (和訳:木村聡雄;Modern Haiku 55:2)

 アメリカは世界有数の農業国であり、トウモロコシや大豆等は世界第一位の生産量で、小麦生産量も多い。農家一人あたりの耕作地の面積は日本のおよそ100倍(NHK資料)という。日本の田畑の風景は繊細で季節ごとに印象的だが、北米大陸の農地の地平までも続く眺めは壮観と言うほかない。引用の農業関連の連作は全四句からなるが、生活の一部を切り取った素朴な作品群はわれわれも共感できるものだろう。一句目は「地上(の案山子)」を見つめ、二句目は「天上(の星々)」と「地下(の水脈)」を思うものだが、「埃まみれ」や「雨の噂」という表現に農業のリアリティーが感じられる。

 一般に連作とは、ある主題について何句かからなる全体をもって一人の作者によるひとつの作品として表現するものである。すると、江戸時代の俳諧の連歌は複数の人々による上の句・下の句が続くが、ここでいう連作とは違う。芭蕉などは旅の土地などを詠んだ発句が何句か続くものもあるが、多くの場合、それらを一作品として提示しようという意識は強くなかったことだろう。明治時代に発句が俳句となったときにも、子規はそれまでの俳諧の連歌に対して個人による一句の完結性を求めたはずである。虚子も「ホトトギス」の選では一句ごとの完成度を重視していたので、連作全体の掲載はめったにないのだろう。そうしたなかでも、あえて複数作品をもって一作とする連作を試みる革新的俳人が出てくるのは想像されることである。
 90年経った今でもなお衝撃的な連作といえば、日野草城の連作「ミヤコホテル」十句(1934年『俳句研究』4月号)がまず思い浮かぶ。新婚旅行初夜を詠んだ作品は当時俳壇論争を巻き起こし、今も賛否両論がある。

枕辺の春の灯は妻が消しぬ 日野草城

 「妻が消しぬ」という表現はその心を浮かび上がらせているだろう。とはいえ、実際にはこのホテルの新婚旅行には行っていないということで、この連作は〈創作〉と言えよう。明治以来の〈写生〉ではない方法を探り、実践しようという意識が伝わってくる。主題そのものも、虚子の唱える花鳥諷詠から意図的に逸脱して、「ホトトギス」除名となった。翌1935年に『旗艦』創刊・主宰ということを思えば、草城が伝統とは異なる方向へと向かっていたことが分かる。この一連の流れからは、規範を乗り越えて一詩人として生きる意志が感じられるようである。
 前半に引いたアメリカの連作は日常を見つめる作品であったが、草城は新興俳句運動の中にあって伝統性を打ち破る新たな俳句の展開を模索した。「ミヤコホテル」連作は、21世紀的な目からすると淡々と詠まれている感はあるものの、百年にも迫ろうという前の時代性を考えれば、十分に画期的な表現であったと言えるだろう。

[Sequential Haiku from Abroad and Japan Toshio Kimura]