渡邊白泉研究余滴(6)  

川名 大

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 今回は白泉が書いた唯一の演劇の台本と思われるものを紹介しよう。これは二〇〇字詰の「市立沼津高等学校原稿用紙」十六枚に書かれたもの。執筆時期は不詳だが、白泉が同校に転任してきたのは昭和二十七年四月一日なので、それ以後の作ということになる。題名は付いていないが、幕末に京都三条大橋で鞍馬天狗と近藤勇が抜刀して対決するものなので、「鞍馬天狗」物ということになる。
 どういう目的で書いたのかも不詳だが、一般に高等学校では毎年、校内の文化祭でクラスごとの出し物として演劇なども行われることが多かったので、同校でクラス担任をしたとき、文化祭の演劇用の台本として書いたものかもしれない。白泉は同校で四回ほど担任をしており、最後に担任をしたときの教え子、佐藤和成氏(15回生、昭37・4~40・3)によれば、その時の文化祭では清水次郎長一家に扮して、沼津市内を練り歩いた、という。11回生の「白鳥組」(昭33・4~36・3)も担任したが、文化祭での『鞍馬天狗』の話は佐藤氏からは聞いていないので、11回生以前の担任の時に書いた台本かもしれない。では、白泉版『鞍馬天狗』を抄出して、若干の考察を加えよう。

    第一幕 三条大橋

 舞台中央、上手より下手にかけ、大橋の欄干。下手に一本の枝垂れ柳。春の夜で、空に大三日月が輝く。
 幕あいて暫時舞台は人なし。程よき時、下手より、抜刀、さんばら髪の黒駒勝蔵、走り出て、橋の中央に立止まる。うしろを振り返り、キッとなる。
 勝蔵を追って、二人の捕吏、十手を構えてつつ、下手にあらわれ、じりじりと勝蔵に迫る(略)
 この時、上手より、覆面の鞍馬天狗あらわれ、懐手のまゝ、橋の中央を眺め、無言で彳む。やがて、一歩、橋上に歩み出る。

 捕吏B おやっ、何だあいつは? やっ、鞍馬天狗だ。兄貴、こいつは厄介なことになったぜ。
 捕吏A 何、鞍馬天狗? こりゃあ、いけねえ。やい、勝蔵。手めえ、運のいゝ野郎だ。よんどころない邪魔が入ったから、今日のところは見のがしてやるが、今後会ったら、百年目だと思え。(捕吏二人、下手より退散)

渡邊白泉手書き原稿のコピー

 このあと、鞍馬天狗は、共に幕吏に追われる同類のよしみとして今宵は安全なねぐらを与えてとらそうと勝蔵を誘う。勝蔵は最初、「甲州一の暴れ者の勝蔵が武士の蔭にかくれて歩いたとあっちゃあ、関東の衆に笑われらあ」と拒絶するが、鞍馬天狗の言葉が心に沁み、素直に従う。その時、前方(上手)から新選組隊長近藤勇が隊士一名を連れて現れる。

  天狗 やあ、近藤さんではありませんか。物々しいお支度で、今宵のお目当ては土佐ですか、長州ですか。
  近藤 む? その声は鞍馬天狗か。(隊士に目くばせする。隊士は横へ廻って、刀の束に手をかけ、身構える。)
  天狗 いやあ、久しぶりですなあ。旧臘中からかけちがって、お目もじせなんだが、相変わらず、(手つきで剣を構える形をする)これの方は、お盛んなようで。
  近藤 無駄ばなしの暇はない。天狗、今宵は見のがす故、邪魔はせんで貰いたい。
  天狗 と言うと、どうやら、大物が網にかかったと云うわけか。月形くんか、坂本くん? ふむ、土佐ではないな。すると、平野次郎かな。ひょっとすると、ははあ。
  近藤 うるさい。何でも構わん。つべこべ申すと、お手前も地獄の道連れにするぞ。そこを退け。近藤勇、まかり通る。
  天狗 おっと、近藤さん。拙者、存じ寄りがござってな。その人物、ずばり申そう。長州の桂小五郎。ふむ、図星のようじゃ。逃げの小五郎の異名通り、この一年というもの、天に昇ったか地に潜んだか、同志のわれらにも皆目行方が知れなんだが、今宵の鴨が桂さんときまれば、どっこい、この天狗にも用事がござってな。むざむざ虎鉄のサビにするわけには参らんわい。(大手をひろげ、橋の中央に仁王立ち)
  近藤 えゝい、面倒。さらば、今宵の血祭りに、まず天狗の首をあげようぞ。(キラリ抜刀して、天狗に迫る。隊士も、及び腰に、これにならう)
  天狗 そう来なくてはならんところだ。(抜刀せず、相手の太刀をかいくゞって、上手と、下手に入れかわる)
  近藤 えゝい、天狗。腰のものはどうした。抜け〳〵。抜いて、正面からかゝって来い。(猛然と切りかゝる)
  天狗(ひらり〳〵と、その太刀をかわしつつ、隊士に近づき、その手もとにとびこんで、当身。隊士倒れる)さあ、これで一対一。では、おのぞみにより、鞍馬相伝木の葉返し、久方ぶりに御見に供す。(抜刀して、近藤に迫る。近藤、その気迫に押され、次第に下手へさがってゆく。柳のかたわらで、近藤一呼吸。切迫した剣気に、いたゝまれなくなった黒駒の勝蔵は、近藤のうしろから走り出て、天狗の背后に廻る)
  天狗 どうした、勝蔵。
  勝蔵 へ、へい。やくざ者同士の度胸一本の斬合いとは、ことかわり、お武家の真剣勝負は、どうも気づまりでいけねえ。何とか早くかたをつけておくんなせえ。
  天狗(構えた刀を、パチリと鞘に収めて)ははは、気づまりはよかった。近藤さん、天狗、気が抜け申した。無益な剣戟沙汰はこれでおひらき。こうする間にも、とうとうたる時の流れは、われらが腕のひとふりなどを吞みつくして、新らしい時代へと動いているのです。

 白泉の『鞍馬天狗』は大佛次郎の幕末を舞台にした時代小説シリーズ『鞍馬天狗』(全四十七作)をプレテクストにしている。大佛の『鞍馬天狗』の主人公は、日本の将来に思いをめぐらす勤王の志士だが、敵方の新撰組隊長近藤勇とも奇妙な友情をもつ権力への批判者。四十六本にも上る嵐寛寿郎主演の映画は黒頭巾姿の鞍馬天狗増を決定づけたが、特に「角兵衛獅子」以降は無益な殺生を嫌い、敵にも優しい人間像が定着したという(web)。
 白泉の『鞍馬天狗』も甲州を縄張りとする侠客で捕吏に追われる黒駒勝蔵に救いの手をのべたり、近藤勇へのある種の親近感を見せたり、無益な殺生を嫌ったりと、アラカン(傍点4付き・編集注)の鞍馬天狗像を受け継いでいる。その背後には、戦争の空しさを洞察し、不条理な権力に屈せず批判するとともに、弱いもの、可憐なものへ慈愛のまなざしを注ぎつづけた戦中、戦後の白泉がいる。
 白泉の『鞍馬天狗』のモチーフは末尾の「無益な剣戟沙汰はこれでおひらき。こうする間にも、とうとうたる時の流れは、われらが腕のひとふりなどを吞みつくして、新しい時代へと動いているのです。」に表されている。勤王・佐幕の対立を超えて、新しい時代の黎明への滔々たる時の流れを見据え、日本の近代への思いをめぐらす白泉版『鞍馬天狗』。
 白泉の二男勝氏によれば、白泉は幕末の勤王の志士たちや、黒駒勝蔵、国定忠治などの侠客にも関心が深かったという。昭和二十六年の松竹映画『鞍馬天狗 角兵衛獅子』(鞍馬天狗=嵐寛寿郎、杉作=美空ひばり)は白泉も勝氏も観たという。鞍馬天狗と近藤勇が一対一で対決するのは、この「角兵衛獅子」だけなので、白泉版『鞍馬天狗』はこの松竹映画にプロットを得たことになる。なお、白泉版『鞍馬天狗』の一頁目には、最初「さんばら髪の国定忠治(傍点4)と書き、それをペンで塗りつぶして「黒駒勝蔵」と書き改めている。国定忠治は上州から信州一帯を縄張りとした江戸後期の侠客で、京に上ったことはない。幕末の京の舞台に合わないことに気づき、改めたのであろう。
 黒駒勝蔵は甲州を縄張りとする幕末の侠客で、後に尊王攘夷派の志士となり、京にも上っている。ただし、白泉は京に上る以前の侠客の黒駒勝蔵として扱っているので、史実的には矛盾する。ちなみに、白泉の本籍地は山梨県南都留郡小立村(現・富士河口湖町)で、父徳男は同地の地主の家に生まれた。黒駒勝蔵は甲斐国八代郡上黒駒村(現・笛吹市御坂町上黒駒)生まれなので、白泉は地縁から黒駒勝蔵に親しみを抱いてみたものかと推測してみたが、それは的外れのようだ。白泉の長男純氏によれば、白泉は本籍地や父について一切口を閉ざしていたという。父は白泉の実母と離婚したあと、次々と八人もの後妻を迎えたことも、その要因の一つであろうとのことである。