鮭の道  南北海道    相吉香湖

川の底小石美わし鮭の道  相吉香湖 

 私は北海道の白老(しらおい)町に住んでいます。札幌からだと苫小牧に出て左手に太平洋を望みつつ室蘭本線を西に進み、社台牧場やポロト湖と自然休養林などを擁する自然豊かな町です。四十五年ほど前、東京より越して来て、白老駅前に喫茶店を開きました。夫の手作りのドアや三百年のおんこ(一位の木)の椅子などが評判となり、多くのお客さんが来てくれました。
 そうこうしているうちに大変なことが起こります。ある企業からゴルフ場をつくる話が持ち上がり、町民一丸となって反対しました。北海道庁へ話を聞きに行き説明を受けたり、胆振支庁からも町民の話を聞いてもらいました。ゴルフ場は出来ませんでした。
 かくして白老の自然は守られました。秋になると鮭が太平洋から、ウヨロ川を産卵のため遡上する風景を目の当たりにすることができます。堰を乗り越え、川底の石に腹を擦り付けるようにして、浅瀬をものともせず、上流を目指す姿にはうるわしさを感じずにはいられません。

 

伊良湖岬  愛知     杉村克代

風も日も伊良湖芋切り干し日和 杉村克代 

  
大型船が通る伊良湖水道 撮影:杉村克代 
        
 渥美半島は常春と云われているが、冬は風が強く寒い。風と太陽の当たる所では、芋切り干しが見事に出来上がる。茹でて熱いうちに皮を剝き、針金を張った道具で縦に切って干す。芋の種類はなんでもよいが、人参芋は絶品。
 渥美半島の先端にある伊良湖は『万葉集』にも詠まれている。何といっても、伊良湖の港近くの芭蕉の句碑公園にある〈鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎〉の句碑は、私達にとって親しみも一入(ひとしお)である。多くの歌人・俳人も足を運んでいる。金子兜太の〈差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり〉の句碑は太平洋を見降ろす古山(こやま)の中腹にある。種田山頭火・柳原白蓮・山口誓子の碑も、芭蕉の高弟坪井杜国墓所の古刹潮音寺に鎮座している。また、飯島晴子は人生最後の旅にはこの寺にも立ち寄り、〈杜国の墓賽銭を置く寒さかな〉と詠んでいる。
 岬の目の前には三島由紀夫の『潮騒』の舞台となった三重県の神島が、又、フェリーなら一時間で鳥羽に渡ることが出来る。白亜の灯台は、伊良湖度合を通る沢山の船の安全に一役買ってきた。
 高台にあるホテルからの初日、日の入り、十五夜、電照菊のハウスの灯りがイルミネーションとなる夜景など、息をのむ美しさである。

 

牡蠣の養生牡蠣筏  広島  川崎益太郎 

青北風の一湾を統べ牡蠣筏     伊達みえ子 
     
 秋の季語「青北風」は歳時記によると、主として西日本でいう風の名。九月から十月にかけて、晴天の日に北から吹く、やや強い風のことである。「牡蠣筏」は、牡蠣を養殖するために、竹で組まれた筏のことである。筏の下に吊された紐の牡蠣に種を植え付け、その成長を待つものである。「牡蠣」そのものは、冬の季語であるが、牡蠣筏は季語ではない。この句の句意は西日本特有の「青北風」が吹いているが、牡蠣は牡蠣筏の下で耐え、冬になるのを待っているということであろう。海面を見ると、牡蠣筏が列をなして繋がれているだけである。