句集『妖精女王マブの洞窟』より一句鑑賞

石川青狼

アイヌ語美(は)し雪解雫もラ行   マブソン青眼

 2023年3月にマブソン青眼氏は、北海道立文学館にて「細谷源二著『俳句事件』―『俳句弾圧不忘の碑』からフランス語訳の出版まで」と題して講演。掲句は「アイヌの友、川上将史・豊川容子ご夫妻へ 十七句」と前書きの作品群の一句。はじめて聴いたアイヌ語の美しい調べに感動。キラキラと輝き滴る北の大地の雪解雫の無垢な律動を「ラ行」と捉えた。<挨拶(イランカラプテ) 感謝(イヤイライケレ) 雪解>のアイヌ語の温もりからも「ラ行」を感じたか。ふと、知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』最初のカムイユカラのフレーズ<シロカニペ ランラン ピシカン コンカニペ ランラン ピシカン>「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに。」の美しい調べを思い浮かべた。

 

高橋比呂子

ふるゆきのひとひらずつに自我が   マブソン青眼

 五七三(無垢句)の一句。〈ふるゆきのひとひらずつに〉ひらがなが雪片のようにやわらかく、舞い降りてきます。そして〈自我が〉と漢字にすることによって、〈ジガガ〉の鋭い濁音がより際立ち、合理主義哲学の「我思う故に我あり」のデカルトの命題をも想起させるほどです。
 日本的で感覚的、情緒的な〈ふるゆきのひとひらずつに〉と、西洋的で、意志的、堅さ、強さの〈自我が〉の取りあわせが妙です。その二つが、融合し、また、反発し合い、融合する、印象的な句として成功しています。五七三の韻律が、宇宙的次元のひろがりを与え、功を奏しています。

 

田島健一

花火見るたびウンチする赤子かな   マブソン青眼

 システムがある。「赤子」が組み込まれたシステムだ。「花火」を入れる(Input)と「ウンチ」が出てくる(Output)。人間はシステムだ。恋をしたり、喧嘩をしたりしながら、人間は人間になる。かつて車寅次郎は言った。
 「おいこら、お前、何を聞いているんだ、恋をしたことがありますか?俺の人生から恋を取っちまったら何が残るんだ?三度三度飯を食ってへをたれるしかない、つまり造糞器だよ。なあ、おいちゃん」(映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』より)
 人間を人間たらしめる極めて薄い膜。その膜が「花火」によって打ち消されると、残るのは「ウンチする赤子」というシステムだ。この句は、そのことを明らかにしている。

 

仲 寒蝉

切株や戦死者靴を天へ向け      マブソン青眼

 現代版「戦火想望句」とも言うべきウクライナ戦争を詠んだ一群のうちの一句。震災の時に「経験していない者が震災の俳句を作ってもいいものか」との批判が溢れた。筆者は人間の想像力は無限と信じているのでリアリティさえあれば構わないと考えている。
 マブソン氏は戦前の新興俳句弾圧事件に強い関心を持ち、弾圧された俳人を顕彰する「檻の俳句館」を建てた程。だからこその戦火想望句なのである。
この句は切株と戦死者の靴を描いて臨場感がある。前書も地名もないために却って普遍的な戦争を詠んだ句になっている。
 声高に戦争反対など叫ばなくとも戦争の恐ろしさや馬鹿馬鹿しさが十分伝わってくる俳句と言えるのではなかろうか。

 

並木邑人

地下壕で笛(ティリンカ)吹くや金髪(きん)に砂利
                  マブソン青眼

 恐らくロシアによる空爆に耐えるウクライナの都市の状景。ティリンカは伝統楽器の笛で、柳や菩提樹の樹皮で作られるという。
 青眼氏の「あとがき」によれば、妖精女王マブは、夢の中に苦難多き人界を眺めさせるとあるが、その頂点の一つが戦時下の民衆の喘ぎだろう。読み手はそれが単なる夢であって欲しいと望むが、現実は砂利を噛むより更に残酷なものであるのだろう。「あとがき」では非情な体験の後に、清らかな眼でこの世を再発見できると記すが、百年を俯瞰する如く是非そうあって欲しいものだ。
ウクライナに連帯しようとすれば、わが心情も悲惨な牢獄から出発するしかない。青眼氏の純真さが迸った一句である。