ポリネシア・縄文・アイヌモシㇼ 〜マブソン青眼というさすらい人〜
五十嵐秀彦
マブソン青眼さんについてなにから語ればいいか迷ったが、やはり彼との出会いからになるだろう。
もともと接点のなかった二人を繋いだのは、新興俳句がきっかけだった。
札幌に北海道立文学館という施設があり、私はそこの企画委員として文学館で開かれる毎年5回ほどの特別展の企画検討を担当している。
短詩型の企画で何かないかという話があったのが2022年。細谷源二と齋藤玄の業績を紹介することと二人に共通していた新興俳句という背景にも光を当てる展示を提案し、承認された。それはマブソンさんが細谷源二『俳句事件』という日仏併記の翻訳本をフランスの出版社pippAから出版して間もない時期のことだった。
細谷源二の著書である自伝『泥んこ一代』の中から「俳句事件」の章を抜粋した内容の本をマブソン青眼さんという長野在住のフランス人俳人が出しているということは、出版当時かなり驚くべきことであった。
彼は2018年に長野県上田市の「無言館」の敷地内に、「俳句弾圧不忘の碑」を金子兜太とともに呼びかけ人となり建立した人でもあった。
一方、現代俳句協会青年部がやはり2018年に出版した『新興俳句アンソロジー』(ふらんす堂)も評判を呼び、一度は忘れられていた新興俳句の再評価がなされている機運を当時感じていた。
特別展のタイトルは「細谷源二と齋藤玄 北方詩としての俳句」とし、源二は「広場」から、玄は「京大俳句」から俳句を始めたことから当時の新興俳句資料に展示の半分ぐらい割いて、空襲に焼け出され北海道十勝に開拓団として渡りその後「氷原帯」を主宰した源二と、函館にあって「壺」を創刊しその後主宰として活動した玄の業績を、残り半分の展示にしようと学芸員と相談。新興俳句を取り上げるならば1940年41年の昭和俳句弾圧事件は避けて通れないからそこもしっかり資料展示しようということになった。
開催期間中の講演などはどうするかと話が進む中で、細谷源二の忘れられた獄中記を復刻出版したマブソンさんを呼びたいと考え、自分で長野に行って直接会って依頼することとなった。
メールで打診したところ、講演をするのはいいがわざわざ遠いところを来るには及ばないのではないかという反応だった。そのとき、確かにそうかと思いながらも、なぜか実際に会ってどんな人なのか理解した上で依頼したいという思いが勝ってしまい、むりやり押しかけたのである。
その出会いは今思い返すと、どこかしら運命的なものを感じる。
当時の彼は困難を抱えていた。南太平洋のマルキーズ諸島に単身移住し、そこで新型コロナに罹患。十分な医療体制のない中で生死の境をさまよってしまった。長野に帰ってからもその後遺症に悩ませていた。さらにマルキーズ諸島での日々から価値観の大きく変わる体験をしたことから、長野に帰ってもどこか生きづらさを感じているようだった。
講演依頼に行ったはずなのに、二人の会話は文化的な辺境論というような内容になり、互いに共通する周縁文化観を持っているのを感じ合う時間を持つことができた。
ともかく、2023年3月の、まだ雪に覆われている札幌に彼はやってきた。11日に俳句集団【itak】のイベントで講演、翌日は道立文学館で講演と2日続けて彼は新興俳句と細谷源二について語った。
札幌に滞在中には、私のアイヌ民族の友人たちとも交流した。そこでアイヌ文化になみなみならぬ関心を持ったようであった。
ひょっとすると、と私は思うのだが、マルキーズから長野に戻り、心の中に大きく空いてしまった穴を彼はアイヌ文化に触れることでいくらか埋めることができたのではないか、あるいは埋めるきっかけを発見したのではないか。
彼は私が特別展の副題とした「北方詩としての俳句」という言葉の意味を正確に理解してくれた数少ない人のひとりだった。
日本の中央という平準化された概念に合致しない風土でこそ生まれる詩があるということを、私は伝えたかった。それを辺境と呼ぶならそれでいい。辺境だからこそ生まれる詩があるということを言いたかったのであり、単にローカル色のある俳句などという陳腐な駅弁俳句ではなかったのだが、その主張は今もあまり十分理解されてはいないのが実態だ。ローカルな俳句を作っていたら全国に通用しないよと、助言めいたことを言う人もいた。
そうか、そんなことを言う人は、たとえばW.B.イエイツのような詩人をどう評価するのか。聞いてみたいものだ。なんのことはない全国が平準化された俳句という幻想にとりつかれているだけのことだろう。文学は多様であり、その根底に辺境を秘めたものの強さというものに気づいていない。残念ながら、折口信夫や寺山修司、中上健次が文学界に示したことの重要性を理解できないほどに感性が鈍麻してしまっているのが、今の俳句界の趨勢であるのかもしれない。マブソン青眼さんは、北方詩をまっすぐに理解してくれた。
さすが「定住漂泊」の金子兜太の弟子だ。マブソン青眼は漂泊する。その魂は南はマルキーズから北は北海道=アイヌモシㇼまで自由に旅をしている。
マブソン青眼は異邦人だ。フランス人だから異邦人なのではない。おそらく母国にあっても彼は異邦人であるしかないのでは、とも思う。
魂の異邦人。遊行の詩人。
レヴィ=ストロースに造詣の深い彼は、文明の皮を剥いだところに真の人間性を求め続けてきた。日本に来たのもその探求心のなせるところであっただろう。しかし、そこでも何かが違うという違和感が強かった。日本も西欧と同様に、裸の人間性を失っているように思えたのかもしれない。
居場所のない思いから仏領ポリネシアにある辺境の地マルキーズ諸島へ逃避した。それはゴーギャンが、そして詩人ジャック・ブレルがそうであったように、文明に絶望した精神の逃避であった。いまなお現代文明から遠く離れているその孤島にあって、文明の鎧を脱ぎ、脱がされる。四季の無い土地のひとびとの時間感覚には年齢という概念がなく、人の死は熟した果実が落ちるのとおなじだ、ということを知らされる。彫刻や身にまとう服や刺青のように、マルキーズの人々の芸術が絵画のようには二次元化せず立体としてはじめて成立していることなど、文明化された人間の虚をつく根源的な文化に触れ、彼は人間の本源のあり方というものを考えさせられた。
おそらくこの地を離れがたく感じていたのでもあるだろう。しかしコロナがそれを許さなかった。再び長野に戻る。初期コロナウィルスの後遺症に苦しむ日々を、憂鬱な思いで過ごすことになった。包容力のある師・金子兜太もすでにこの世の人ではない。
そこに再び転機が来る。
それが北海道(アイヌモシㇼ)との出会いだったのではないか、と私は思っている。
ポリネシアの文化に深く触れていた彼にとって、アイヌ文化に強い共通性を発見し、そして共感したのだろう。
無限大から無限大へカヌーかな
浅間からポリネシアまで鰯雲
句集と小説『遥かなるマルキーズ諸島』収載のこれらの句。この時すでに直観していた世界観がアイヌ文化に触れることで、彼の中で広大な実世界としてついに眼前に現れた。疎外感にあった彼は再び自分の立っている地を感じることができたのだろう。
『遥かなるマルキーズ諸島』『妖精女王マブの洞窟』『縄文大河』(本阿弥書店)と、たて続けに発表された三作品は、その世界再発見の経過をほぼリアルタイムに実況中継でもするかのように紡ぎ出された。
『遥かなるマルキーズ諸島』はもちろん力作であるが、私にはどうにも絶望の書に思えてならなかった。文明社会への絶望が勝っていた。
しかし次の『妖精女王マブの洞窟』は、彼が前作発表の後に発見したものへの熱情にせかされるように、間を置かず4か月後に刊行。特筆すべきは五七三音の獲得であった。彼はそれを「無垢句」と呼ぶ。
同書のあとがきに、彼は自分の苗字「マブソン」について、中世より芸術に現れる〈夢想の世を司る妖精の女王マブ〉伝説から見つめ直し、こう書いている。
〈苗字の通り「マブの子」に生まれ変わったかのような童心に帰り、再びこの地球を無垢な「青眼」で眺めたいと思った。そしてある日突如、「五七三」という“無垢な韻律”と出会った〉。
この「あとがき」の文末には「2023年春、アイヌモシㇼにて」と書かれていた。
アイヌ語美し雪解雫もラ行
天広く手のひら広くアイヌ
来し道やアイヌ文様の揚羽
句集最終章の「五七三(無垢句)」にはアイヌモシㇼ、アイヌ文化へのオマージュが並ぶ。マブソン青眼の前に確信に満ちた世界認識が希望をもって開けていったのだ。
この画期的な俳句詩型の提示を行った『妖精女王マブの洞窟』が2024年の現代俳句協会賞を得たことは当然といえるだろう。
そして2024年6月発行の句集『縄文大河』において、前作で得た「五七三(無垢句)」を徹底的に追及する。この発見にはアイヌモシㇼでの確信と同時に、自分の足元である千曲川流域の縄文文化の再発見があってこそのものであった。
白雲より大鷺降りて無音
『妖精女王マブの洞窟』の収載されたこの句が無垢句誕生の記念すべき句であることを、『縄文大河』の「あとがき」で明かしている。長野市若穂保科にある宮崎縄文遺跡を訪れた際にこの句を得た。
〈“凄まじい歓び”だった。原始の世界へタイムスリップしたかのような、無垢なる宇宙を垣間見たような……。「無垢句」という言葉は自然と口から出た〉。
句末の三音の魅力というのは多くの俳人が気づいてはいた。十七音の句であっても、切れを動かし三音を独立させて終るというレトリックはこれまでも意識的に行われている。彼は、それならば五七三という新しい定型でもいいのではないか、これまで謎だった三音の力を定型としてしまおうという思い切りは、明晰な思考力あってのことだろう。
新詩形を作ると同時に、文明に穢されていない縄文という無垢な文化を詠うことで、ポリネシアから縄文、そしてアイヌモシㇼへと北上する文化圏の詩がここに誕生した。
目瞑ればお天道様の髑髏
川石みな石偶と成れ虹よ
峰雲をふとアイヌ語で数う
つるべ落とし連峰先史に帰る
火焔土器の千の手天へ聖夜
石組炉 地球ひとつのかたち
彼は何かに追われているかのように発見を求めているのかもしれない。発見のたびに再生する自分を感じているのだろう。これまでそうであったように、これからも、更に驚くべき脱皮を繰り返していきそうだ。目が離せない俳人である。
詩人とはなにものか。詩人はマイノリティである。詩人は異邦人である。
彼の生き方が私にそれを教えてくれた。