感銘の一句鑑賞

森須 蘭

蚯蚓鳴く路地を死ぬまで去る気なし   鈴木真砂女

 昔、夏休みは、ずっと田舎の祖母の家で過ごしていた。喘息持ちの私の転地療養である。ある蒸し暑い夜、祖母に、いつも気になっていたジ~っというくぐもった音の事を聞いたら、「蚯蚓が鳴いているんだよ」と言われた。子供ながらに「ンな事は無い!」と思って調べたら、正体は螻蛄だった。かつて螻蛄は日本中にいて、私も用水路の土手や、田んぼなどでよく捕まえたものだった。バケツに捕まえた螻蛄を入れて、玄関先に置いていたら、次の日の朝にはいない。「螻蛄って飛ぶんだ」とその時知った。今では見かけないし、同年代の人どころか、私より年長の方も、螻蛄を見たことが無いという。実は、螻蛄は日本人にとって、とても身近な昆虫。「虫ケラ」とは、「何の役にも立たない能無し」という意味だが、その「ケラ」も螻蛄のこと。もうお手上げになってしまった事を「おケラになった」というが、その「おケラ」も、螻蛄の姿が、小さな土竜のようにバンザイをしている事から言われるようになったと言う。螻蛄は「石鼠・碩鼠」とも書かれ、たいしたことの出来ない能無し、という形容にも使われる。だが私には、螻蛄は、日本人には身近で親しみのある虫として愛されていた気がする。実は螻蛄、前述したように飛ぶ。夜の街燈に、蛾と一緒になって集まっていたり、「地虫」と言われるくらいだから土に潜ることも出来る。走ると意外に早いし、短距離なら泳げる。そして、何よりも鳴くのだ。優秀この上ないではないか。螻蛄は蟋蟀の仲間。しかし、恋の為に鳴くのは雄だけではない。なんと雌も鳴く。他の虫たちより、ずっと情熱的なのだ。

 さて、私、真砂女さんとはちょっとしたご縁がある。真砂女さんの最晩年、亡くなるまで彼女が入所していた老人介護施設に、偶然にも舅がお世話になったのだった。その施設では、月に1~2回、真砂女さんを囲んだ句会があった。人数も多く、二十数人が集う。施設内の車椅子の方も多かった。施設の事務長さんも俳句愛好家で、私が現代俳句協会員だと言うと、真砂女さんの手伝いを頼んで来た。その時の真砂女さんは、既に車椅子だったが、いつもピシッと着物を着ていらした。私が車椅子を押したことも何度もあったが、とても小さく、ふっと飛んでいってしまうのではないかと思うくらい軽かった。そして、この愛らしいおばあちゃんが、あの激しい恋情に身を焼いた女性とはとても思えないほど穏やかだった。

 銀座一丁目の小料理店「卯波」は、路地に8坪、9席というささやかな店。そこには数多の文人が集い、真砂女さんは、その中で輝いていたという。この句は、その小さな店を死ぬまで守るという真砂女さんの意地がある。「路地を死ぬまで去る気なし」は、鳴いている螻蛄と、作者自分自身。下町の、小粋な、そして逞しい生き様の方だった。