ブライスの見たもうひとつの短詩型
――川柳 日本の風刺詩  

木村聡雄

 イギリス人俳文学者、R. H. ブライス(一八九八~一九六四)は、世界中の俳句、とりわけ英米の俳句の展開におそらくは最大級の影響を与えた一人である。第一次大戦中はロンドンで良心的兵役拒否により三年間収監され、その後ロンドン大学で学ぶ。一九二五年には当時の京城帝国大学に外国人教師として赴任した。その後、第二次大戦中は日本で交戦国民間人拘留所に三年以上収容され、戦後は学習院大学教授となった。昭和天皇の終戦後の「人間宣言」の英文草稿を作成、また当時の皇太子(現上皇陛下)の英語個人教授を十数年務めたこともよく知られた話であろう。彼の俳句に関する多くの著作は、英語圏をはじめとしていわば事実上の俳句の教科書として支持され、戦後の欧米の俳人たちを生み出す原動力のひとつとなった。近年、海外俳人の来日時には私自身も幾度か、ブライスの墓所(境内の鈴木大拙の墓のすぐ近く)のある北鎌倉の東慶寺へと一緒に墓参しことがあるが、海外俳人たちのブライスへの畏敬の念を感じたものである。
 ブライス生誕百二十五周年にあたる昨二〇二三年、新たな翻訳書が出版された。『日本の風刺詩 川柳』(西原克政訳、花伝社/原著は一九四九年)である。(訳者の西原克政氏は私が二〇代はじめころの大学院時代からの英米文学研究仲間でもある。)これ以前には、二〇〇四年に日本で初めてのブライスの翻訳『俳句』(村松友次・三石庸子共訳)が、国際俳句協会(HIA)とも関係の深かった永田書房から出版されただけで、それから十九年を経て、このたび二冊目の翻訳書の登場となった。
 本書は第一章(序論)と第二章(川柳名句選)からなる。何百句か取り上げられている例句一句一句はブライス自身が英訳していて、それぞれに付されたコメントは川柳作品の本質にせまろうとするものである。挿絵として川柳漫画(谷脇素文)もふんだんに掲載されてあたかも絵本のようにも楽しめる。第一章は書物全体の四分の一ほどの長さだが、これがいわゆる本文であって、ここにブライスの考える川柳と俳句の定義が示されている。その書き出しは、

川柳は、自然の事柄ではなく人間の本質への「瞬間の幻」を表現するものである。

という一文である。谷川俊太郎の英訳をもこなす訳者による的確な和訳に、読者は気づけばもうブライスの見た川柳の世界に浸かることになるだろう。川柳との比較のために語られる俳句へのブライスの言葉は、それ自体が彼の捉えた俳句の特質を語るものである。

俳句は個別の物の性質を表現し、それを通して、すべての物の本質を表そうとする。
俳句は、読者の想像力を頼りにすることがなにより必要である。

 第一部の後半で川柳の起源(十八世紀、元禄から天明時代)とその技法について分析を示した後、第二部では川柳をテーマごとに分類し解説を加えている。有名な俳句のパロディーも挙げられている。

いざさらば居酒屋のあるところまで 古川柳
Now then!
Right up to
The wine shop!

 近年書かれたものかとさえ思われる一句、人間の特質は何百年経っても変わらないと気づかされるような古くて新しい作品と言えるだろう。元の句は言うまでもないが、ブライスの芭蕉英訳がつけられているので引いておこう。

いざさらば雪見にころぶところまで 松尾芭蕉
Now then,
Let’s go snow-viewing
Till we tumble over!

 次の鶴亀句はどこかで聞いたことがあるような理屈っぽい句と言えようか。

かめ淋し鶴に別れて九千年  水平坊
The tortoise,
parting from the crane,
Is lonely for nine thousand years.

 ところが、同じ主題の古川柳でも次の句では、ただ受け入れるほかないわれわれの生死を、前の句に書かれた「淋し」という人間味をも意図的に切り捨てて、あたかも天上からただ見つめているかのようである。

鶴の死ぬのを亀がみてゐる 古川柳
The tortoise,
Is watching
The crane die.

 以下の句は、和歌・狂歌だけでなく川柳・俳句においてもありそうな状況だろう。

ほととぎす二十六字は案じさせ 古川柳
“Hototogisu,”
Makes us think
Of twenty six more syllables.

 われわれなら残りの十二字をなんとかひねり出さなければ、といったところだろうか。

 俳人にとって川柳の魅力とは何だろうか。広く認知されたいわゆるサラリーマン川柳の類いなら俳人も頭をひねって楽しめそうである。しかしながら現代の川柳作家たちに交じって川柳を作るとなるとどうだろう。いずれにせよ、ブライスが捉えた川柳の変わらない本質を味わうには最適の一冊であることは間違いない。

(英訳はすべて、R.H.ブライス)

[Toshio Kimura: Another Short Verse Form as Seen by Blyth—Senryu]