新作現代俳句十句とその鑑賞
渡辺誠一郎
昭和史
明日より昔重たき団扇かな
縁側に置き忘れては夏帽子
行く時と何変わりなき祭髪
亀鳴くに始まる嘘の池之端
水打つや神保町の骨格本
炎天の木橋探しぬ飯田橋
戦場に風鈴はなし夕間暮れ
呼び鈴の人は誰やら秋隣
昭和史に消えざる線香花火かな
敗戦が終戦となる秋の暁
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百字鑑賞
渡辺誠一郎『昭和史』鑑賞
なつはづき
明日より昔重たき団扇かな
団扇はお祭りやイベントで配られることが多い。何気なく取っておいた安い団扇が想起される。明日は変えられても昔は変えられないその重さ。変えられぬが故に意味が加わってしまう。今涼しいと思っているこの風も明日にはきっと重くなってしまうのだ。
縁側に置き忘れては夏帽子
「置き忘れたる夏帽子」ではない。置き忘れた事によってその帽子は夏帽子になるような錯覚さえ覚える。これがベランダや他の場所では駄目だ。日だまりに置かれた帽子はまるで古本のような匂いを纏うのだろう。
行く時と何変わりなき祭髪
変らないのは髪そのものではなく、髪の結い方を含めた伝統そのものではないか。昭和は激動の時代。本当はその祭も変わっている。だからこそ「変わりたくないから」祭髪は変えない。変らないことで守れるものがある。
亀鳴くに始まる嘘の池之端
人気芸人の初代柳家三亀松、「池之端の師匠」と呼ばれたその人の事か。音曲漫談では内容が過激すぎて寄席で禁止令が出たほど。昭和9年から始まったレコードの検閲では実に31枚が発禁となった。発禁になったものは人々が欲しかった「本当」だったかもしれぬ。「嘘」が逆の意味で使われている一句。
水打つや神保町の骨格本
神保町と言えば神田古書店。骨格本は人間の骨格を扱った本という事ではあるまい。神保町を形作るいわば骨格は沢山の古本であろう。それぞれの本に詰まった「熱」で街が燃えてしまわぬように、水を打つ、街を冷ます。
炎天の木橋探しぬ飯田橋
地名の由来になった飯田橋という橋は、明治元年は簡素な木の橋、それが明治14年に木橋となり23年には鉄橋に。関東大震災の復興として掛けられた橋が今も残る。昭和にはもう消えていた木橋。橋そのものが昭和という幻影かもしれぬ。
戦場に風鈴はなし夕間暮れ
令和の猛暑は異常である。昭和の夏の夕間暮れであれば風鈴の音で涼を感じられたのだ。その音を聞きながら戦場にいる大事な人に思いを馳せた事が、かつての日本ではあった。今この瞬間、風鈴なき国で戦いは続いている。
呼び鈴の人は誰やら秋隣
呼び鈴が鳴ったような気がした。空耳なのだろうか、それとも本当に誰か来たのだろうか。「秋隣」「夏の果」「晩夏」季語は色々あるが秋隣は秋の涼しさに少しだけ心を寄せる言葉。本当は誰も来ていないのだろう。
昭和史に消えざる線香花火かな
昭和は20世紀の大半を占め、戦争によって繁栄も破壊もあり一口で括れない。さて線香花火と言えば儚さを詠まれる事が多いが、あの真っ赤な火の玉がふと「原爆」と重なる。決して消えない、消せない記憶。
敗戦が終戦となる秋の暁
八月十五日を「敗戦」と思うか「終戦」と思うか。俳人の中でも意見が分かれるところで簡単に答えが出そうもない。終戦から今年で79年。この先もっとあの戦争を知っている人が居なくなる。晩秋の暁、すでにひたひたと寒さが近づいて来ている。