長崎を巡る            

前川弘明

(1) 長崎の港
 長崎は日本列島の西端に位置する九州の、さらにその最も西の端に在って少し突出した形状をしている。だからその形の「長い岬」から「ながさき」と名付けられたようであるが、地図でこの岬を見られる諸氏は、その形状についてどのような感想をもって見られるのだろうか。ある人は龍の頭部のようだ、いや馬の首の辺りに似ているなどと思われるかも知れないが、長崎市内はこの岬の中のやや中央部に位置しており、周囲の丘陵ほどの高さの山に囲まれていて、その中に歴史ある街を開いているのである。
 ところで、この街には美しい港がある。「鶴の港」と言う。
 あの美しい鶴と港のかたちが似ているところから、そう呼びならわしたのであろう。 
 即ち、港の中央部分のふっくらとしたところが、羽根を畳んだ鶴の胸部。東側から港へ流れ込む浦上川が鶴の尖った嘴。南側から港内へ伸びた大浦川が細い脚である、という想像によるのであろう。つまり、長崎の街の港はこの鶴に囲まれて静かに開けているのである。
 この良港が、遠い世界の諸外国から先進的情報を我が国へ吸収してきたのは周知のとおりである。

(2)眼鏡橋界隈
 市の中央部を中島川が流れている。長崎の最も川らしいのはこの川である。そこに架かっている橋の1つに眼鏡橋がある。この石造りの2連のアーチ橋は1634(寛永11)年に中国の僧・如定によるもので、正規の名は別あったようで、眼鏡橋は俗称だが誰も頓着などしない。橋脚が2つのアーチ形になっていて川面に映ると眼鏡のように見えるので充分である。(この眼鏡橋は昭和57年7月の大水害によって損壊したが今は立派に修復されている。)
春になると左岸の道路脇に並んだ柳の細い枝がながく垂れて水面を緑で揺らし、右岸にはいろんな種類の紫陽花が競うように並ぶ。眼鏡橋は特に観光客に人気があって、この辺りを散歩したあと、この橋の前の飛び石に仲間を立たせて、下流の袋橋から撮るのが定番になっている。
 もう1つの人気場所は「ハート石」である。眼鏡橋と袋橋との間の左岸の水面から1メートルほどの高さに造られた石組の通路から、上の道まで壁のように築かれた石垣にハート型の石が1つ組み込まれているのだ。たぶん、石工が洒落で組み込んだのだろうが、その石と並んで写るのも人気がある。じつはこのハート石は眼鏡橋の1つ上流の魚市橋から川へ降りる石階段にあるのだが、反対側の岸からのみ見えるところにあるので案外知られていない。
眼鏡橋を少し上流へ行ったところに、1657年に中国人の高一覧によって造られた中島川第6橋の「一覧橋」があるが、その傍らに光永寺が在って大門を入ると中庭の真ん中には銀杏の大樹がある。この寺に安政元年に福沢諭吉が留学したとの掲示が門前に在る。

(3)丸山界隈
 丸山はかって花の遊廓の在ったところである。そこへゆく道のずっと手前には思案橋というところが今もあって、丸山に行こうか止そうか?と、まず思案した所と言われているが、その小道をさらに西へ進むと、嘗てあった廓街の方へゆく道の手前に「見返り柳」と呼ばれていた柳が植えられていて今も柳の青い葉が風にゆれて立っている。行こうか止そうか思いきれずに客が幾度も振り返ったのであろう。「思い切り柳」という人もいる。以前は紅灯と音曲と人で賑わったであろうが、今は静かである。
 さて、遊廓の通りと並行するように道を上った処に丸山公園があって、坂本竜馬の立像がある。これは近年に設置されたもので和服正装の龍馬であるが、風頭山に以前からある龍馬は腕を組んで遠くを見ている略装の龍馬像である。

(4)出島
 出島は、出島はその名の通り陸地から長崎港へ突出した島、すなわち「出島」で、もともと長崎はポルトガル人によって発見されてポルトガル人が自由に住みはじめた港町であったが、そのポルトガル商人を隔離するために孤島を造られたものであり、1634(寛永11)年のことであった。
 出島は橋1本でつながった鎖国日本の窓であり、この島を通してのみ西欧と通じたのであるが、今はこの島も完全に本土との間は埋められて繋がり、浜の町門側の川には立派な鉄橋が架けられている。 
 現在この出島辺りは周辺海岸線の整備拡張により、ずいぶん内陸の位置にあるが、その替わりに整備された港内岸壁には巨大な外国観光船などが着岸する。

(5)大浦界隈
 (イ)孔子廟
 出島辺りから更に西の方へ行くと大浦川のある地区になり孔子廟がある。中国、春秋時代の思想家孔子の廟である。
 朱色が目立つ門構えの立派な廟である。
 (ロ)大浦天主堂
 大浦川に架かる弁天橋を渡って、商店の並んでいる石畳の坂を登ると正面に尖塔をもつ大浦天主堂が見えてくる。
1865(慶應元)年の完成で当初の構造形式はゴシック式レンガ壁木造であったが、明治12年にプワリエ神父の設計で改造された。この天主堂で、慶応元年3月17日に初めてプチジャン教区長に自分はカトリック信者であると告白した浦上の信者が発見されたのである。
 (ハ)グラバー園
 天主堂から少し行くと、グラバー邸が保存されているグラバー園がある。庭園には季節の花が咲き、そこからは長崎の港が眼下に開けて見え、青い海に白い航跡を曳いて船が行き、ときおりカモメが舞い船笛が聞こえる。対岸にも建物が並んでいてそれらを背景にして電信塔を載せた稲佐山や三菱造船所のクレーンなどが見える。
 園内のグラバー邸は淡い青色造りの洋風建築で、邸内では珍しい調度品を見ることができる。