国語と翻訳詩

山月 恍

 インターネット上では度々、学校(特に高等学校)での古典教育のあり方について議論が紛糾する。その中で私が疑問に思うのは教材として言及されている文学作品のほとんどが中世以前のものである、即ち学校で文語文法を学ぶことで読めるようになるのがあたかも500年前や1000年前の作品しかないかのような議論がなされている点だ。口語による詩歌が作られ始めたのは大きく見積もってもここ200年以内のことであるし、文語による創作自体は現代まで行われていることを考えると偏った認識ではないか。
 現行の高等学校学習指導要領では国語の科目構成が大きく変わり、共通必履修科目として「現代の国語」「言語文化」が、選択科目として「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」が設定されている。現代文と古典という従来の画然たる区別は薄れ、各科目の目標の記述にも「つながり」や「継承」といった連続性を意識した言葉が散見される。さらに教材として「近代以降の文語文」が言及されていることからも、近世以後の文語作品の取り扱いが乏しかったことへの反省が見られる。
 現在文語に抵抗がある人の中にも実は何かしら好きなれる文語の近代詩歌作品がある人がかなり居ると私は勝手に想像しているが、今後の国語教育によってそうした機会の損失が少なくなれば近代詩歌が好きな1人として嬉しい。
 私が文語に対する認識を改めたきっかけは上田敏の訳詩集『海潮音』を読んだことだった。100年以上前に文語でこんな清新な表現があったのかと大変に驚き、それから他の翻訳詩や近代詩も積極的に読むようになった。翻訳詩が国語教育で取り扱われることはほとんど無いだろうが、題材や表現の面で新鮮な印象を受けるだろうから文語を勉強している中高生にも是非読んでみてほしい。
 最後に、文語翻訳詩の中で5音と7音から構成されたものの1節をアトランダムにいくつか挙げたい。
「独り、かの畏も悔も無く眠る人こそ善けれ、/みおやらの生れし床に、みおやらの失にし床に、/物古りし親のゆづりの大床に足を延ばして。」(『海潮音』「床」)*
「胸にある青き愁よ、/さいはひを求めてやまず、/よよと泣く月の光に/夢青く力無けれど。」(『牧羊神』「愁のむろ」)
「みやびは誰か及ぶべき/花を臥戸にふたり寝るとは」(『車塵集』「蝶を咏める」)

くの字点

花韮のともしき町のすべり台
宵涼し羽毛枕がほころびぬ
白玉の高さに開く奥歯かな
さもありなんさもありなん冷し酒
献血の包帯厳し修司の忌
愛されて還る探査機明易し
遅れたる人のよそほひ葉鶏頭
くの字点ひやひやと降る春画かな

略歴
東京都板橋区在住、社会人1年目
最近の受賞
第31回都留市ふれあい全国俳句大会高校生・大学生の部 山梨県知事賞

[参考]
文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 国語編』東洋館出版社
*引用している詩は全て著作権保護期間が満了している作品です。

 

日記(7月11日)

牧野 冴

 ハリボーを噛んでいたら中から金属片が出てきた。流行りの異物混入か、とよく見ると、奥歯の詰め物が取れたのだった。ちょっとわくわくしながら歯医者の予約をとった。
 幼稚園の頃、お化けも虫も夜の暗さも平気だったのに「おかあさんといっしょ」で「虫歯建設株式会社」のイントロが流れるたびに炬燵に潜り込んで泣いていた私は、しかし、実際の歯医者を怖いとか嫌だとか思ったことがない。何なら少し楽しみですらある。
 予約時間きっかりにドアを開け、指示された診察室に向かう。黒い革張りの椅子に座ると、ゆっくりと体が傾いていく。ライトが眩しいな、と思った瞬間に顔に布がかけられる。口を開けてください。期待に応えようと精一杯大きく開いた。
 視界を失い口の操縦権を失い、聴こえてくるのは断続的な機械音とディズニーのオルゴールアレンジのみ。全てを奪われた状態で、無力な私は何も考えなくてよい。口を開けたり閉じたり、謎のぐにぐにを噛み締めたり、先生の簡単な指示をクリアするたびに褒められ、そして口内が確実に救われていく。自由な生き方、自由な働き方が推奨される世の中は素晴らしい。しかし選択と決断には人を疲れさせる一面もある。たまには絶対的に正しい指示に、赤ちゃんのように安心して従っていたいと思う。山中先生はシャワーを浴びながらiPS細胞の重大なアイディアを思いついたらしいが、私は歯医者の椅子でいつかノーベル賞級の閃きを得るかもしれない。
 次の指示を待ちながらリラックスしていると、唐突に詰め物を金属にするかセラミックにするか訊かれた。保険適用外ですが、という付け足しに一抹の不安を感じつつ、勧められるがままにセラミックを選ぶと「6万6千円ですがよろしいですか?」と恐ろしい台詞。即答できず、秒針の音が2度聞こえた。しかし後には引けない。勿論それくらい払えるわよ、という顔を作って一度頷いた。
 やはり選択と決断は難しい。1日の食費を1500円とし、単純計算でざっと44日後まではそうめんで生きることが決定した。全然関係ないのですが、めんつゆに当たり前のように書かれた「開封後は三日以内に使い切ってください」の指示、世間知らずすぎません?

選ばない

調停は縺れて朝の薔薇園へ
胃に海月一匹執行猶予付く
多数決は正しく蜘蛛の巣の均整 
おそろいの浴衣おそろいの腎臓 
最終回ばかり集めて飛ぶ蛍
喉仏の骨二度落とす大西日
月夜茸縫いぐるみの目を縫い閉じる
選ばないほうの男と温め酒

略歴
1993年生まれ。大阪出身。いつき組所属。第1回鱗kokera賞。