地下をゆく――イギリス俳句について
木村聡雄
ロンドンに
あなたを残したまま―
隙間に注意 ローリー・D・モリッシー
leaving you
in London—
mind the gap Laurie D. Morrissey
(Blithe Spirit, Journal of the BHS, 33:4, 2023から)
愛しい人と離れている心の距離間を詠んだ句で、心の「隙間」が気になるという。素朴な一句ながら三行目が少し奇異に感じられるかもしれない。おそらくは、感傷的な気分というよりもこの「隙間に注意」(Mind the gap) という表現を詠み込みたかったようにも思われる。キーワードや季語をもとに一句作るのは我々と同じであろう。この耳に残るフレーズは、すでにお気づきの方も多いとおり、ある都市の駅の有名なアナウンスである。
その大都市ロンドンを移動するのに便利な地下鉄は「アンダーグラウンド」(アメリカの地下鉄なら「サブウェイ」)と呼ばれ、愛称は「チューブ」(地下鉄の通る断面が丸くて管状のため)という。その地下鉄駅で必ず耳にするアナウンスがこの “Mind the gap” で、言うまでもなく乗り降りの際にホームと車両との隙間に気をつけて、ということである。こんなときアメリカ人なら “Watch your step!” となど言うかもしれないが、 “Mind” を動詞(命令形)で「心にとめる、注意する」と使っているところがイギリス風と言われている。駅によってはこのフレーズをループ式録音で何度も繰り返すところもあって、イギリス人のみならず、観光客にとっても地下鉄を利用するたび耳について離れない。イギリスはロンドンならではの表現ということで、町のお土産屋にはこのフレーズの入ったキーホルダーやマグカップなども並んでいる。ロンドンのアイデンティティを表現した俳句とも言えそうである。引用句はこの言葉から地下駅の雑踏が浮かんできて、心の中の思いがかき消されそうな様子も感じられ、都会の心の「隙間」を浮かび上がらせる句となっている。
さて、世界初となるロンドンの地下鉄は1963年開業で、明治維新の3年前の幕末の頃である。当時は蒸気機関車だったわけで、日本でもかつて経験あるようにトンネル内での煙や煤は思い出してもひどいものだった。あれを全線トンネル状態の地下に走らせようというありえない発想はイギリス人が大好きなジョークの笑いから始まったのではと思ってしまう。なんとそれを実現させ、さらには煙などの諸問題を克服(英地下鉄は電気機関車導入を経て、1898年には電化)してしまうところに近代の覇者の一端が伺えるようである。一方、パリの地下鉄(メトロ)はロンドンのチューブ電化後の1900年(明治33年)に開業した。メトロというと、今もパリの地上の入り口のいくつかに当時流行したアールヌーボーの装飾が残っているが、それらを見るたびにこれが花の都かと思わざるを得ないのである。そしてそのメトロで思い出されるのは、エズラ・パウンドの有名な俳句的詩だろう。
地下鉄の駅にて
群衆に浮き出るこれら顔よ/濡れた黒い枝に花びら エズラ・パウンド
In a Station of the Metro
The apparition of these faces in the crowd; / Petals on a wet, black bough. Ezra Pound (1913)
実際、冒頭のイギリスの引用句は、作品そのものは単純なようだが、ロンドンの地下鉄のアナウンスからのイメージ連鎖はこのパリのメトロへ、そしてついには上記パウンドの句へと至るのである。すると、元の句に表された愛しい人への思いも「群衆」の中でもみくちゃにされ、「濡れて」しまいそうな気がするのではなかろうか。
Blithe Spiritからさらに拾ってみよう。
流れの中ほどに青鷺のびる時間 ニックT
mid-stream the grey heron stretching time Nick T
(Blithe Spirit, 33:4, 2023)
この作品は海外俳句で流行っている一行書きだが、もちろん日本の俳句表記に倣ったもの。わが家の周辺の水辺には白鷺や青鷺がいつも飛んでくるのだが、降りてきて休む時には首をたたんで体もやや丸みを帯びているようだ。たまに首や羽を伸ばして「ストレッチの時間」も見られる。そして飛び立つや羽を横に大きく広げ、首はS字ながら足を長くのばしてどこかへ去って行く。小鳥のように急ぐ様子もなくゆったりゆく様子は、この句が二重の意味に読める通り、「時間を引き伸ばしている」ようにも思われる。ロンドンでは鳥類のほか、街中や公園には栗鼠や針鼠が現れ、かつて暮らしていた郊外では夜に狐がうろついているのを窓から幾度か目にした。遠く田園地帯の草原では百を超えそうな野兎が跳躍するのを目撃したこともある(いわゆる三月兎)。
羽
毛
ふわりと舞って
その影のほうへ
夏終わる レヴ・ハート
a down
feather
wafts towards
its shadow
summer’s end Lev Hart
(Blithe Spirit, 33:4, 2023)
たとえば夏の室内なら舞う羽毛が床などに近づくとその影がうっすらと床に見えてくるかもしれない。すると羽毛は自らの影と出会うべく落ちて行くように思われるのだろう。20世紀末以降の日本では一行棒書きの傾向が強いが、21世紀にも海外俳句においてはこうした多行や前述の一行書きなど様々な表記が模索されている。ところで、多行形式というと日本では戦後俳句においてよく試みられ、高柳重信はその代名詞となるほど多行の可能性を模索し前衛俳句の表現を推し進めた。個人的には最初期の『蕗子』(1950年)がもっとも前衛そのものと感じられるが、私が俳句を始めたばかりの20代で重信に会った頃には、面と向かってそんな意見を言う勇気もなく、恐る恐る自分の前衛句を見てもらったのであった。私の句のおそらくは壊れ加減を、重信はとても面白がってくれた。
今回はイギリスの俳句をいくつか取り上げたが、イギリス俳句協会についてはまた別の回に書く予定である。
(俳句和訳:木村聡雄)
[Going Underground—British Haiku Toshio Kimura]