近藤栄治選(現代俳句年鑑2024 p.36~p.68より)

特選句
露の世の僕と時間が汽車に乗る 今野龍二

 穏やかな口調ながら、読む側の意識を妙に刺激する句だ。「露の世」という言葉から喚起される儚いという感傷はなく、むしろ、ちょっぴりわくわくしているのではないか。時間の象(かたち)には過去があれば未来もあり、明暗様々な色合いがあるが、現在という時間が移ろうに従ってその象も色合いも変化して行く。「僕」は今、こうした「時間」と共に、つまりは「時間」の手引きによって、自分と世界の過去と未来を経めぐる旅に発つ風景の中にいる。そして「僕」には間違いなく今を生きているという自覚があり、最後はそこに戻って来る旅だ。案外と、誰もが無意識裡に抱いている風景かも知れない。

秀句5句
桜蘂降るだれからもとほき椅子  秋岡宣子
抽斗に津波の欠片三月忌     阿保子星
膕のいつも冷たき緑の夜     岩井かりん
陽炎や大縄跳びを抜出せず    海野恵子
マフラーの解けぬように世渡りす F よしと

 1句目、静謐な距離感をもってすれば、落花ではなくやはり桜蘂降るが相応しい。椅子は自分自身でもあろう。2句目、これまでも大事なものをそっと仕舞い込んできた机の抽斗。物ではなく記憶の欠片のようにも思える。作者は3.11を三月忌として記憶に刻んだ。3句目、マイナスの触覚表現ながら、自分らしさを確かめ得た安堵感が感じられる。4句目、抜け出さないのではなく抜け出せないというところに、陽炎に誘発されての不条理感を覚える。5句目、下五の幾分古風な言い回しとマフラーの取り合わせが面白い。「解けぬように」とはどんな意志であるのか、聞いてみたくなった。

 

山本千代子選(現代俳句年鑑2024 p.136~p.170より)

特選句
次の世も前の世もなく雪こんこ 高野公一

 この句の雪の景は、お遊びで降るような太平洋側の雪ではなく、日本海側を詠んでいると思われる。命尽で降りしきる雪の中にいると、「次の世も前の世もなく、今の居場所さえも見失いそうになる。雪国出身の者にとって、雪に降り込められてゆく感覚は大いに共感できる作品。ただ、「雪こんこん(昏々)」ではなくて、「雪こんこ」を呼びかける作者のある種の悟り。
この稿を書いている折に、高野様のご逝去を知りました。ご冥福をお祈り致します。

秀句5句
無病息災はなればなれに月を観て 津高里永子
運命に飼われています梅咲いて  富田敏子
月に住む時代それでも白子干   仲 寒蟬
一人で来て四人で帰る受験生   永瀬十悟
斧の柄に年輪かすか青嵐     ドゥーグル

 「無病息災」の句は、恐らく電話で誘いあって、同じ月を観ているに違いない。
 「運命に」の句の「飼われています」の是非はともかく、逆らえないのが人生と知る。
 「月に住む」のような時代が来ることは幸せとは思えないが、その哀れさを白子干が象徴。
 「一人来て」の句には、受験生の思いがけない明るさが詠まれていてホッとする。
 「斧の柄に」の句には身がひきしまる。青嵐の中、使い込まれた柄に消えざる年輪。