ピース缶
栗林 浩
原爆の図にこそ添へむ草の花
黄金の国の真中や鰯割く
嵯峨菊といへば祇王寺白拍子
マスク外して銀行の顔認証
もがりぶえ又三郎も戦場か
十二月八日時計に螺子の穴ふたつ
青葱のリュック食み出す討入日
ポケットに浄め塩あり寒北斗
クリスマス急行の無い山手線
初富士や開けたばかりのピース缶
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百字鑑賞
栗林 浩「ピース缶」鑑賞
鈴木砂紅
原爆の図にこそ添へむ草の花
東松山市の丸木美術館に所蔵の「原爆の図」は14部。焼かれ、破壊され、横たわる人体と、幽霊と化して彷徨う人間が描かれた図は、直視するのも辛い。せめて小さな花でも、とは誰しもが思う。2024年12月、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル賞を受賞。この地獄図に添えられた草の花となった。
黄金の国の真中や鰯割く
円安で薄闇の日本は、かつて「黄金の国ジパング」と呼ばれた。その幻想を求めてかどうか、国内の観光地は外国人旅行客で溢れ返っている。黄金の国の真ん中はマグマが燃えているのか、暗い空洞なのか。作者はただ無心に鰯を割いて、今夜の上手い酒に思いを馳せる。
嵯峨菊といへば祇王寺白拍子
嵯峨菊から嵯峨野。そこには人気の祇王寺。勿論ここは白拍子所縁の寺、と連想遊びをしながら、平家物語を彩る女のドラマを展開。さらに「嵯峨菊」のしなやかな細い花弁に目を戻すと、女たちが権力者に抗した運命が浮かび上がる。無限ループに嵌る愉しさが少し怖い。
マスク外して銀行の顔認証
マスクを外すのは怪しい人間ではないという証明なのか、或いは自分が自分である事の証明なのか。地位や肩書、人間性や思考さえも関係なく、顔貌だけが自分の存在証明となる不気味さ。顔認証は珍しくない日常風景となったが、何故か現代人の生きづらさを感じさせる一句。
もがりぶえ又三郎も戦場か
上田五千石の「もがり笛風の又三郎やあーい」へのオマージュの句。というより令和7年現在からの応答句。様々な魔力を発揮し、去って行った又三郎はウクライナか或いはガザか、現代の遠い戦場に行ってしまった。そして二度と帰っては来ない。静かな語り口に確かな怒りが伝わってくる。
十二月八日時計に螺子の穴ふたつ
敗戦日に比べると開戦日は印象が薄い。だからこそ現代においては詠む価値があるとも言える。何故あの時戦争が起こったのか、誰が引き起こしたのか、何故止められなかったのか。問いかけの穴が、その答えの螺子を待ち続ける長い長い時間。ありふれたモノに歴史を語らせる俳句の究極の一手。
青葱のリュック食み出す討入日
12月14日と青葱の食み出すリュックを取合せただけだが、そのモンタージュ効果が多面体の様な句を生み出した。リュックに青葱を入れたのは自爆テロの偽装か。それとも葱嫌いな人への突撃行動か。或いは浅葱裏(田舎武士)が意地を通しやがって、という賛美の裏返しなのか。元禄と令和の軽やかなコラボレーション。
ポケットに浄め塩あり寒北斗
通夜の帰りの夜空に北斗七星。どこか既視感のある句なのに、様々な思いがこみ上げるのはポケットに収まる浄め塩の力。家の戸口でその塩を自らの周囲に撒き、亡き人の気配を感じ、自分の生と死を想う。静謐で美しい句を読むことの幸せ。
クリスマス急行の無い山手線
山手線には終点が無い。だから寝室にも書斎にも最適。動く風景を愉しむカフェとしても使える。加えてクリスマスの喧噪を避けて、じっくりと神に向かい合うことだって出来るはず。山手線に急行が無い理由は無限だ。
初富士や開けたばかりのピース缶
開けたてのピース(平和)缶の背景に初富士を据えて、戦禍と災害に満ちた令和7年の厄を払う。万葉の時代から詩歌は神に祈る際の重要なツールだったが、現代俳句は自己を詠い事象を詠み、時にスローガンと化して祈りの力を失った。しかし掲句に宿った言葉の力は、缶から平和の狼煙を上げ、世界中に拡散させていく。それは初夢ではないと思いたい。