卒業の日

寺井谷子

 昭和41年3月終わりであったか、駿河台の料亭にお招きを受けた。
 私の大学卒業をうけて、4年間上京しなかった母、房子が父白虹と共に珍しく上京してくる。話を耳にした松本清張先生が「私も家内を伴って・・・」とおっしゃって下さったという。
 当日、私達学生は恩師への謝恩会が予定されていたので予定より早めに伺うと、美しい束ね髪のご案内の方がおられた。
 しばらく待っていると、玄関のたたきへ通され、黒地の和服の清張先生が出てこられた。
「横山の娘でございます。本日はお忙しい中お心遣いありがとうございます。昼過ぎより教授への感謝パーティーが予定に入っておりまして勝手ながら早々とご挨拶に伺いました。」挨拶している最中、清張先生の後ろより白虹が「娘の谷子です。」と声を掛けてくれた。
 「谷子!」清張先生のお声が「母と同じ名前だ!」と聞こえた。「はい、珍しい名前で今まで2,3回しか出会っておりません。」とお返事した。父の声で、「私の曽祖母の名をもらいました。」と答えている。
 「今迄、「タニコ」という名、二度か三度しか出会ってないので嬉しいです。」と申し上げると小さく首をタテにうなずかれた。
 あれから何年経つであろう。

 清張記念館が開館された時、入口右手のスロープ銘板・母タニと刻された数文字に大切に触れた記憶を今も大事にしている。

 この冬、温かい日にそろりとスロープに触れに行って来ようか。

令和7年1月