現代俳句とは何か 「昭和一〇〇年」の今、考える 

松田ひろむ

 最近の俳句を読みながら、人間探求派・社会性俳句の衝撃も、前衛俳句や金子兜太の情熱も無くなっているように思える。兜太のあとに兜太なし。ではなにがあるのだろうか。

 かつての人間探求派から社会性俳句、兜太の造型から、ふたりごころをアウフヘーベンしたところに未来の俳句を展望しつつ、現代の俳句を見つめてみたい。

 俳句をとりまく日本と世界は、新型コロナウイルス感染症のパンデミック・地球沸騰やロシアのウクライナ侵攻・イスラエルのガザ攻撃・アメリカのトランプ大統領復権などなど、予測を超えた禍々しい現実がある。また反知性的ともいうべき政治現象も蔓延している。

 十六歳、高知県の工業高校二年のときに、寺山修司に刺激されて俳句に出会った。そのとき、もっとも惹かれたのは『現代俳句』の中の水原秋櫻子、山口誓子、中村草田男、石田波郷、西東三鬼などであった。それ以前の高浜虚子、原石鼎、飯田蛇笏などには心が動かなかった。そのころ読んだ入門書は秋元不死男『俳句入門』一九五五年(角川新書)、中島斌雄『俳句―実作と鑑賞のすべて』一九五六年(朝日新聞社)であった。

 その他、初学の時に影響を受けたのは、金子兜太『今日の俳句』一九六五年(光文社)、楠本憲吉『戦後の俳句―〈現代はどう詠まれたか〉』一九六六年(社会思想社)、などであった。

 こうした現実のなかの現代俳句、今の俳句である。

 「現代俳句とは何か」、それは私の俳句人生と重なる。

 俳句と出会ってから、ほぼ七十年の歳月が流れた。

 戦後俳句を現代俳句というのなら、その多くに影響され、関わってきたことは事実である。

 小生の俳句は、山本健吉の『現代俳句』(上)一九五一年(下)一九五二年(角川新書)から始まったといっても過言ではない。

 新聞や「天狼」「萬緑」への投稿時代を経て、秋元不死男の「氷海」で巻頭次席を得て、俳句の方向が定まった。そのころ高知市の句会に山口誓子と橋本多佳子を迎えて、句座をともにしたことも、いまとなっては歴史の一齣となった。

 高校卒業後、上京しての電力という職場や労働組合活動を経て、小生の俳句観も当然ながら変わった。石田波郷の韻文精神は理解できず、加藤楸邨は難しかった。

 秋元不死男、西東三鬼、鷹⽻狩行などとの出会いもあった。やはり惹かれたのは山口誓子以降であった。

 一時は飯田龍太にも魅かれ句集を一冊書き写したこともあった。その後は、古沢太穂に学び、藤田湘子に学んだ。

 現代俳句協会の役員(IT部長)になってからは、多くの方との交流が有難かった。横山白虹・金子兜太・松澤昭・宇多喜代子・宮坂静生など歴代の会長にも親しくしていただいた。その他、村井和一・横須賀洋子・倉橋羊村からも教えをいただいた。

 こうして考えてみれば、このわが歳月を「現代」あるいは「現代俳句」といっても過言ではなかろう。

「現代」とは

そもそも「現代」とは何か。

 辞書的には「今の世」(当世)である。その「現代」という用語の初出は「風俗画報」一八九八年(明治三一年)というから、「現代」も「modern」の明治翻訳語であろう。その「Moderntimes」といえば、ただちに、チャーリー・チャップリンの「モダンタイムズ」を思ってしまう。英訳としてはnowadays Contemporaryもある。

げん-だい【現代】〘名詞〙

①現在の世。今の世。当世。[初出の実例]「明治初年に一変せし風俗も、〈略〉現代(ゲンダイ)に至り再三の変革を見る」

(出典:風俗画報―一六五号(一八九八)人事門)

②歴史の時代区分の一つ。日本では第二次世界大戦終結後の時代。広義には明治維新以後をさすこともある。東洋史では辛亥革命以後の時代。西洋史では第一次世界大戦終結後の時代。(「精選版日本国語大辞典」)

 さらに現代俳句協会とは、なんだろうか。「現代俳句」の協会なのか。現代の「俳句協会」なのか。

 小生も現代俳句協会「参与」というと、句会や「鴎座」の入会希望者から「現代俳句って」とか「わたし、現代俳句ではないのですが。」という問い合わせがある。

 それに対して、小生の答えは「いやいや現代俳句という特別な俳句があるわけではないのですよ。俳句の会ですよ。」といっている。

 初心者には、それでいいと思っているものの、なおかつ「現代俳句」ではないといっていいのかと悩むところである。

 金子兜太は、明解に現代俳句協会は「現代俳句」の協会ではない。現代の「俳句協会」であると総会でも述べていた。当時の拡大路線としては当然であろう。

 しかし、それは原始会員三十八名の意識とは明らかに異なる。立場はそれぞれであっても「現代俳句」が念頭にあったはずである。

 その「現代俳句」の用語の初出は、一九二五年(大正十四年)にまで遡るのではないだろうか。

 俳誌「現代俳句」がそれで、

「現代俳句」 大正十四、東京市本郷区(東京都文京区)の素人社で創刊。月刊。編集人三浦十八公。

発行人金児杜鵑花。創刊号には「現代俳句について」と題して内藤鳴雪・半田良平・室生犀星・大場白水郎の意見を掲載。終刊未詳。(永方裕子『俳文学大辞典』角川書店)

があった。

 発行人の金児杜鵑花(一八九四―一九三八)は、新潮社を経て素人社を経営。「新興俳句」の命名者とされているが、その言葉は河東碧梧桐が先に著書『新興俳句への道』(昭和四年)の題名で使っていたものを山口誓子、水原秋櫻子らの運動に当てたものである。(『現代俳句大辞典』)

つづいて石田波郷の俳句総合誌「現代俳句」がある。

「現代俳句」 昭和二一(一九四六)・九、東京の現代俳句社から創刊。月刊。編集人石田波郷。昭和二一年一一月号以降は波郷病気再発のため、志摩芳次郎、次いで神林良吉が編集に携ったが、経済事情などが悪化し、同二五年に五冊、同二六年に八冊を刊行して終刊した。創刊号は六四頁、定価三円五〇銭、終刊号は六四頁、定価六〇円であった。本誌は創刊号の後記に「すべて『現代俳句のために』といふ目的一本に編集してゆきたい意向である。古典鑑賞も俳諧史も現代俳句論争もわれらの現代俳句のためでなければならない。又、小誌は俳句が俳句性を喪はぬ限り、新興俳句も自由律もその俳句に対する定義如何は問ふところではない。況して一派一社の結社主義には決して党しない」と記し、その性格を規定している。

本誌の創刊は波郷の独力編集になるもの(中略)俳句の第二芸術論に対応して「俳句の性格と運命に就て」を特集し、俳句作品を一切排して、能勢朝次・山本健吉・加藤楸邨・山口誓子・日野草城・大野林火・秋元不死男(東京三)・西東三鬼らの所論を載せた。また、毎号、俳句性や現代俳句の性格と命運に関する諸問題を提起し、戦後の混沌とした俳壇に指標と光明をもたらして戦後俳句興隆の基礎を築いた。昭和二六年一二月号、通巻五一号で終刊。(村沢夏風『俳文学大辞典』)

 この二つの「現代俳句」はいずれも、高浜虚子の「ホトトギス」全盛時のことである。現代俳句という用語にはあきらかに、反ホトトギス、反虚子の意味付けがあったと考えていいだろう。

 ところが、同じ『俳文学大辞典』には「現代俳句」が立項されている。

 現代俳句(げんだいはいく) 第二次大戦後から今日までの俳句を指す。昭和二一年(一九四六)発表された桑原武夫の俳句第二芸術論(『世界』一一月号)の衝撃から現代俳句は出発したといってよい。花鳥諷詠の系脈、人間探求派の思想性への意欲、新興俳句の詩的追求が三本の軸となって現在に至る。昭和二〇年代の末から同四〇年代に至る社会性俳句・造型俳句・前衛俳句時代は、俳句を現代化・詩化しようとした時代である。その批判として、昭和五〇年代以後は軽み論議を経て俳句の俳とは何かということが追求された。平成の俳壇は世代交替がほぼ完了し、若い言語世代が存在感を強め始めた。俳壇は新旧さまざまな意識が拠点に同時共存しているところで、技量の高い俳人がそれぞれの影響圏を維持していて、保守性を崩し難い。(平井照敏)

 平井照敏はあっさりと「現代俳句」は「第二次世界大戦後―の俳句」と規定する。平井照敏が、これを書いたのは一九九五年(平成七年)である。すると当時の彼にとっての現代(俳句)とは四十五年前に始まったこととなる。これは短い。

 小生の句歴七十年はこれを超える。「現代」の定義する時代は流動する。

 前述のように、大正時代の「現代俳句」、波郷の「現代俳句」、平井照敏の「現代俳句」は、その指す「現代」は異なる。

 私にとっての現代は確かに照敏のいう第二次世界大戦後である。しかしそれも流れてゆく。

 確かな、現代俳句をこの手で確かめてみたいものである。

 二〇二五年は昭和一〇〇年でもある。

 俳句史として「昭和」を振り返る企画は多くなるだろう。しかし、天皇の在位に由来する明治・大正・昭和・平成・令和で時代を括ることには、同意できない。

 ただ、小生も昭和十三年の生れ「昭和の子」である。

 生れながらに昭和には違和感がなかったものの、平成の小渕恵三(当時の官房長官)の掲げた「平成」からは、個人的には年号は使わないこととしている。当然、昭和といっても第二次世界大戦の前と後では、時代が異なる。年号で時代を括るのは、昭和だけでいいだろう。

 それも二分して考えるべきである。

山本健吉の『現代俳句』

『俳文学大辞典』にも立項されているが、ここは『現代俳句大辞典』をあげる。

現代俳句
山本健吉著。一九五一(昭二六)年六月(上巻)、五二年一〇月(下巻)に角川書店から刊行された。六二年、文庫本化に伴い改訂される。初版は高浜虚子に始まり平畑静塔に終わる三八人を取り上げ、改訂版ではこれに正岡子規、夏目漱石等、四人を加えた(河東碧梧桐、荻原井泉水、種田山頭火、尾崎放哉の新傾向俳句や自由律俳句は入っておらず、また新興俳句では富澤赤黄男、渡辺白泉等は排除され、臼田亜浪、篠原梵、大野林火等、石楠系も入っていない)。

 ジャーナリスティックで明快な文章から、近代俳句を展望する名句鑑賞辞典として初版以来評価は高い。かつ、中に物議を醸した句を取り上げ健吉としての見解を明確に出しており、例句で読む山本健吉俳句入門といってよい内容となっている。〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉(子規)のように健吉によって評価と解釈が定まった句もある。また〈恋猫の恋する猫で押し通す〉(永田耕衣)で「絶対無たらんとして野狐禅に終わる、決意としての根源追求は一かけらもなく、方法としての一元的追求の形骸をとどめるだけだ」と批判する。

 健吉の批評の態度もあとがきにはっきりと書かれていた。

「今日の俳人たちが季題の約束に飽くまで執しながら、切れ字の約束は殆ど意識していないのとは逆に、両者の比重を言えばむしろ切れ字の制約こそ季語の制約より重いものと気づいた」「俳句の性格を突きつめて行けば結局滑稽ということに突き当たることを知った」「俳句が一般通念としての抒情詩とかなりかけちがった詩型であり、固有の目的と方法を担っている」等。『純粋俳句』(五二・二 創元社)にまとまる本質論とよく合致し、本書はもっぱら芭蕉を視野に入れた「挨拶と滑稽論」を現代俳句にあてはめた同時代批評となるのであった。
筑紫磐井(『現代俳句大辞典』)

 さらに、平井照敏は「現代俳句の動向」(『俳文学大辞典』)として、第二次世界大戦以後を総括している。

 ここでは、現代俳句を「俳」と「詩」に分け、「現在、俳人協会・現代俳句協会・伝統俳句協会に所属する俳人のほとんどが伝統俳人であり、現代俳句協会の一部の人だけが詩的俳句を作っている」とすることには賛同できない。

 また「坪内棯典・黒田杏子らは、コピー時代をにらむ表現や感覚を打ち出す。」とするが、これは「コピー時代」というよりも、池田澄子を加えたライトヴァースの系譜であろう。

 「現代俳句」を冠した書には川名大の『現代俳句』上・下とも二〇〇一年(ちくま学芸文庫)もある。それはあとがきにあるように、山本健吉の『現代俳句』を意識したものである。「本書の意図の主眼は―俳句表現史の視点から俳人を正当に俳句史上に位置付けること―不当に埋もれた俳人の復権を果たすこと」という。

 その言やよしである。

プレバト俳句現象

 『プレバト‼』は、二〇一二年一〇月一一日から、TBS系列で毎週木曜日の一九:〇〇―二〇:〇〇に放送されている毎日放送(MBS)制作のバラエティ番組。

 レギュラー版の企画を「才能査定ランキング」に統一してからは「俳句の才能査定ランキング」への人気が特に高く、関連本の出版や派生企画・イベントの実施などに発展。俳句界全体の活性化にもつながっている。三省堂の令和三年(二〇二一年)度版中学校三年生向け教科書『現代の国語』には、夏井の「俳句の世界」と「夏井いつきの赤ペン俳句教室」が教材として採用された。

 俳句の査定方式は、参加者に対し事前に「お題」(兼題)と一枚の「兼題写真」を提示。その写真を元に一句詠み番組に提出する。提出した句を夏井いつきが「七〇点満点+α」で査定し、七〇点以上で「才能アリ」、六九~四〇点で「凡人」、三九点以下で「才能ナシ」と判定する。順位の発表後、銀河万丈によるナレーションで句を紹介。その句に込めた意味について作者が説明を行い、特待生・名人による講評をはさんで、夏井が評価の解説や添削を行うといったもの。名人や永世名人の制度もある。(以上ウイキペディア抜粋)

 現代俳句を語るのに「俳句甲子園」はもちろん、いまや「プレバト」をはずすことは出来なくなっている。

 現に、私たちの会員でもプレバトを見て俳句を始めたという方が増えている。

これが現代俳句なのか

 ただいまの句として『俳句年鑑』(角川文化振興財団)の二年間から、共鳴句をあげる。これが現代俳句であるかどうか、ここはまず問題提起としておこう。

「俳句年鑑二〇二四年版」

麻痺の足触れて飛び散る草の絮 橋本美代子

春の風すたすた歩く人を見て 宇多喜代子

逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田 澄子

春の泥オモニがチマをちよと抓み 山尾 玉藻

逆光となりたる妻よ原爆忌 中岡 毅雄

革命の名にジャスミンのかぐはしき 栗林  浩

マスクして地獄極楽どちらでも 大木あまり

核塵は地底に蔵かくし花の春 中村 和弘

おでん提げ空中歩廊かへるなり 佐怒賀正美

流燈のひとつウクライナへ流す 岩岡 中正

哲学科鶴の匂ひがしてならぬ 鳥居真里子

二十代が綺麗に撮れた遺影かな 筑紫 磐井

牛乳を捨て蟋蟀を食へといふ 関  悦史

蟬声や人間は水持ち歩き 髙柳 克弘

東山暮れて薬罐の置きどころ 小山 玄紀

「俳句年鑑二〇二五年版」

いもけんぴ食べて正月過ぎてゆく 柿本 多映

後ろから春一番の羽交締め 岩淵喜代子

冬すみれ一会といふは過ぎてこそ 野中 亮介

ガザも月下神に盲ひし男たち 矢島 渚男

年を守る燃料デブリ玉と抱き 高野ムツオ

桃洗うここは銀河の岸辺かも 坪内 稔典

海戦を経し父の日のハンモック 坂本 宮尾

ゴーヤチャンプルなるやうにしかならぬ 広渡 敬雄

花冷や黒ネクタイはつるんとす 佐怒賀正美

恋ふ恋ふと鳴く丹頂の氷りけり 長谷川 櫂

寒中の海一枚を切る鋏 田中 朋子

団結権もろ〳〵貧乏かづらかな 夏井いつき

鯛焼を割る湯気のなか武甲山 柳生 正名

自爆せし直前仔猫撫でてゐし 堀田 季何

「はだしのゲン」全巻読破プールに藻  成田 一子

牛売りぬ一度つきりの雪踏ませ 鈴木 牛後

秋高しひよこうつすら焦げし色 小野あらた

 以上に挙げた諸作は、対象が現代、表現が現代、感性が現代と思えるものである。

 療養俳句の現在は介護俳句でもある。苦しい難解な現代である。しかし現代俳句は、そうした現実を踏まえつつ、もっと自由に、人間探求派・社会性俳句・前衛俳句などなどの枠を超えて(アウフヘーベン)もっと軽やかに⽻搏きたいものである。

 ここにはあげなかったが櫂未知子・宮坂静生・星野高士・神野紗希の句にも魅かれるものが多い。なお、年鑑に登場する二十代三十代は、あまり覇気がない。

 ここからは、次代の金子兜太は期待できない。

 ところで、年鑑の巻頭を飾る句にも、これが「今の」句なのか。江戸俳諧あるいは明治時代の句としてならいいがと思えるものも散見した。(「俳句年鑑」二〇二四年版・二〇二五年版、巻頭一〇〇句選より)

底紅や芸妓が好きな日和下駄 加古 宗也

秋彼岸四天王寺は広きかな 森田純一郎

投扇興ふくらはぎより尻を上げ 西村 麒麟

黒松が見下ろしてゐる鳥総松 坊城 俊樹

賭弓(のりゆみ)や刺さりて止むは言の葉も 高山れおな

 現代の俳句の負の側面に遊芸化、偽古典化、バラエティ化があるが、これはその一つであろう。

 僭越ながら、この期間の拙句をあげる。

パンデミック始まる猫の嚏から 松田ひろむ

カチューシャの国の憂鬱鳥帰る 松田ひろむ

 山本健吉『現代俳句』、川名大『現代俳句』を超える「現代」俳人の出現に期待もし、前書を超える『シン現代俳句』を書くという野望が欲しいものである。