三鬼を怪しむ

大石雄鬼

 野鳥がなんとなく好きである。久しぶりに会った弟も鳥の写真を撮っていることを知った。この偶然に、もしかしたら先祖に鳥が混じっていたかもと思ったが、子どもの頃、十姉妹、文鳥、インコなど飼っていたことを思いだした。手乗り文鳥の具合が悪いとき、父がこれで治ると自信満々に人間用の薬(はっきりと薬名は覚えているが、ここでは言えない)を呑ませた。次の朝、当然のごとく死んでいた。

 そんな思い出をひきずりながら、本格的ではないが野鳥をもっと知ろうと、図鑑や双眼鏡、鳥の鳴き声のCDを買った。最初に思ったのは、野鳥の姿はなかなか見つからないだろう。だから、鳴き声を覚えることにした。図鑑に出てくる順番にCDの鳴き声を編集し、カセット式のウォークマンで聞いていた。声を頼りに探す。どこにでもいるような雀、鴉、鵯や椋鳥、目白、四十雀などは無視。するとある朝、聞いたことのない囀りが聞こえる。急いで双眼鏡を手に取って行ってみると鵯であった。落胆。鳴き方よりも声質になじむことも大切であることを知る。

 ところでテレビドラマを見ていて、あるパターンで鳥が鳴いていることに気づいた。サスペンスドラマで事件前別荘に主人公がやってきたときには、尾長(鴉の仲間)が不吉に鳴く(鴉も多いがあまりにもそれらしい)。夏の殿様の部屋ではホトトギスの鳴き声が聞こえてくる。秋の公園、事件も解決し家族がほっとして過ごしている場面では鵙が鳴く。当然、そんな都合よく鳴くわけはないのでこれは音響効果である。騙されてはいけない。鳥の声でイメージさせる季語的使い方である。

モズ(百舌、鵙)

 三鬼の句に「百舌に顔切られて今日が始まるか」という句がある。楸邨の「かなしめば鵙金色の日を負ひ来」はいかにも鵙らしいが、三鬼の句には納得がいかない。「鵙の贄」に影響されているのだろうが、実際に見れば目と頭が大きい可愛い小鳥だし、顔の近くに飛んでくるような鳥ではないし、鳴き声だって鵯のように顔を切るような鋭い声ではない(と私には聞える)。大きな声で言えないが、三鬼が本当に鵙のことを知っていたのか怪しんでいる。