天恵の島
石橋いろり
鍾乳洞のもぎり役です千振の花
トパーズ色の絶対空間滴りぬ
ガウディの造形孕む三億年の洞
天恵の島青い翡翠(とり)さがすごと
しがらみめくは浜の教会葛の花
不断のメール尻尾には牛膝
入陽待つ夕餉のチャイム良夜かな
樗色に溶ける夕景蚊の名残
旅先の戦禍の映像夜光茸
月の暈菊舎のように小舟のように
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百字鑑賞
石橋いろり「天恵の島」鑑賞
武馬久仁裕
鍾乳洞のもぎり役です千振の花
花が入場券の半券をもぎる役とは、風流なことです。しかも、花は花でも千振の花です。千切るにはふさわしい花です。句の中の人は、入り口に乱れ咲く五弁の白い花を掻き分け掻き分け鍾乳洞の中に入っていきます。
トパーズ色の絶対空間滴りぬ
鍾乳洞の中に入れば、そこは図らずもオレンジ、ピンク、ブルーの様々なトパーズの色の綾なす、輝やきの空間でした。その空間は、他ならぬ億年という悠久の時そのものを滴り続ける、人の営みを超越した絶対空間でした。
ガウディの造形孕む三億年の洞
スペインの建築家、ガウディの作品は鍾乳洞を思わせます。鍾乳洞の姿形は、句の天辺の「ガウディ」というカタカナの姿形そのものです。この三億年の時を経た洞は、「ガウディ」そのものを孕んでいるかのようでした。
天恵の島青い翡翠(とり)さがすごと
ひとたび、この三億年の鍾乳洞から外界に出れば、そこは再び天の恵みのごとき青い島。この青い島を、この人は幸せの青い鳥、翡翠を探すがごとく彷徨うのです。青い鳥は、この青い島そのものであることを知らずに。
しがらみめくは浜の教会葛の花
青い翡翠(とり)に出会うことのないこの人が出会ったのは、白波の打ち寄せる浜に建っていた白い教会でした。教会には葛が、「しがらみめく」というひらがなの姿形のように絡みつき、紫の花を咲かせているばかりでした。
不断のメール尻尾には牛膝
しがらみは、遠く離れたところから、途切れることなく電子メールとなって飛んで来ました。しかも、電子メールの尻尾には、どこで付いたか分からない「牛膝」という不可解な言葉が、いつもくっついていたのです。
入陽待つ夕餉のチャイム良夜かな
昼間の彷徨は終わり、大海原へ夕陽の沈むころとなりました。入陽を待つこの人をほっとさせるかのように、宿の夕餉を知らせるチャイムが鳴ります。そして、十五夜の月に見惚れる静かなひと時を迎えるのです。
樗色に溶ける夕景蚊の名残
空は、青みがかった薄い紫色に溶け暮れて行きました。そして、その夕暮れの景色の中に佇むこの人もその樗色に身も心も溶けて行きました。後には、名残惜しそうな秋の蚊のかすかな羽音が残るばかりでした。
旅先の戦禍の映像夜光茸
夕餉を終え、宿の部屋に戻ればテレビの画面には戦禍の映像が光り、爆発のきのこ雲は、まるでにょきにょきと伸びる無数の夜光茸の傘のようでした。世のしがらみを逃れようとしてもそれはかなわぬことでありました。
月の暈菊舎のように小舟のように
月に暈が掛かりました。月を友とし諸国行脚に生きた菊舎の句「月を笠に着て遊ばゞや旅のそら」を思い、大悲の月の光に包まれ進む小舟のように次は何処へ行こうかと思いを巡らしながら、この人は眠りにつくのです。