「百景共吟」より2句鑑賞 赤羽根めぐみ
覚えなき夏野に消えし足二本 渡辺誠一郎
「覚えなき夏野」をどう読むか。「覚えなき」を言葉通りに受け取ってもよいものなのか。〈分け入っても分け入っても青い山/種田山頭火〉がふっと頭をよぎった。そうか、「覚えなき」どころか、この「夏野」を作者はよく知っている。「夏野」とは、目の前の景であり、作者自身でもあるのだ。夏が巡ってくる度に訪れるその場所は、よく知っている筈なのに、いつも何故か新しい。ますます猛る「夏野」を確と踏みしめて、作者はその深奥へと。
砂時計の砂の頂上送盆 神田ひろみ
「砂時計」は簡単な仕組みのようでいて、時間を測るものであるから、砂の一粒一粒は丸くて同じ大きさでないといけない。特に、あのくびれた部分を通過するためには。生きている体は詰まらせたりしなければ巡り続けるものだが、砂時計は砂が落ち切ってしまえば終わる。砂時計をいちいち手で逆さまにするように、ご先祖様をお迎えして数日を共に過ごし、またお送りするための一つ一つの手作業。「砂の頂上」に声なき声を聞く心地の一句である。
「百景共吟」より2句鑑賞 網野月を
ひとはみな首ひとつ持ち花樗 渡辺誠一郎
百句共吟の五句のうち四句が人体の部位を題材にしているのだが、一句のみ「廃炉」すなわち原発を素材にしている。この一句を際立たせるための手法かもしれないのだが、筆者は、掲句を引いた。「樗」の樹の文化史的意味合いを考えれば、「首」との取り合わせは至極もっともであって、一句全体の統一感と句意のベクトルが極まっている。題材になったグラビアの如何にもである写真(の構図)に対して、意味の深い句で応戦した風情がある。「百景共吟」のような作句依頼に対する姿勢を学ばせていただきました。他に「臍の緒を切るは蛍火見るために」「産道を抜けて被りし夏帽子」がある。
砂時計の砂の頂上送盆 神田ひろみ
中七に「砂の頂上」とあるので、落ちた砂、つまり砂時計の下部のそれの様子であろう。「送盆」ともあるのですでに鬼籍にある方と過ごした過去を追想しているように解釈した。その「頂上」が一秒一秒堆くなって行き、またその「砂」が斜面をずり落ちても行く。そうして安息角を図りながら円錐が頂上を高くしてゆくのだ。「送盆」という心の中の動きの至極ゆっくりと感じられる時間の流れの中で、「砂」の堆積は狂うことなく時間を測りだしてゆく。 肉体的な時間の感性と科学的な時間の精密さの差異が句の本質のような気がする。