俳句と音の二物衝撃
ラジオドラマ「日本人 一九七〇」
👤山本掌
「音楽をやっている掌さんが持っているのがいいでしょう」と立岩さんからいただいたのは前衛作曲家・松下眞一作品の楽譜。えええ⁉
立岩利夫(1920-2010)さんとお目にかかったのは俳句をはじめてすぐの金子兜太・秩父道場へのバスのなか。席がお隣で「道場は初めて? 大阪からです」と親しく声をかけてくださった。 オペラの公演で大阪に行ったおりには「ヒマラヤの青い罌粟」の花博へ案内していただく。編集発行されていた「夜盗派」に終刊までの四年参加できたのはなによりのこと。

立岩利夫さん 平成6年10月 撮影:田沼武能
そしてこの3冊の貴重な楽譜。
「黒い僧院」詩・北園克衛、管弦楽のための「星たちの息ぶき」、混声合唱のための「廻向」、〈心の友立岩利夫様〉とドイツ語で記され、そこに松下眞一氏の署名が書かれた、もうまぶしいような譜面。

『黒い僧院』表紙

『星たちの息ぶき』表紙

『混声合唱のための廻向』表紙
松下氏は作曲家・数学者・物理学者(1922-1990)であり、1950年代から電子音を使った前衛作品を数多く作曲され、作曲家のブーレーズ(フランス)やクセナキス(ギリシャ)などと交流。海外からの委嘱も多く、60年代はヨーロッパを中心に活躍。ハンブルグ大学に招聘され教授、研究にたずさわり、数学の位相解析学でも業績をのこされた。
氏は故郷の茨木で、文化人による「野いばらの会」を立岩さんとともに創立。年も2歳違いで、なにより氏は〈俳句〉に造詣が深かったという。作品「日本人 一九七〇」はおふたりの親交から成立した画期的・前衛的な作品ではないか。
おりしも1970年は大阪万博(松下氏はこの万博の委員もされていた)。アメリカ館の〈月の石〉に話題が沸騰し、日本中で三波春夫や坂本九が歌う「世界の国からこんにちは」(詞:島田陽子 曲:中村八大)が大流行。
大阪万博は〈現代音楽の祭典〉とも言われるほど、前衛音楽が華々しく展開される場となった。最先端エレクトロニクス装置をもつパビリオンでは、実験的な音楽が発表され、西ドイツ館ではカールハインツ・シュットックハウゼンが来日し、半年間、氏の曲「シュピラール(螺旋)」が演奏された。日本の鉄鋼館、せんい館、電気通信館などのパビリオンでは、武満徹の、一柳慧の、伊福部昭の、高橋悠治の、湯浅譲二の、意欲あふれる現代音楽の作品がつぎつぎと上演。天井、壁、床の1008のスピーカーから電子音が鳴り響き、レーザー光線が飛び交う。「大阪万博は1970年代の世界的な現代音楽の高揚期を象徴するもので、それは行列をなす大衆的な広がりに享受された」と音楽学者の白石美雪氏は近年分析される。

『黒い僧院』楽譜冒頭 詩・北園克衛 筆者所蔵
そうした時代の世界的な潮流のなかで、この俳句と音によるラジオのための作品「日本人一九七〇」芸術祭参加の毎日放送ラジオドラマは創られる。
俳句 立岩利夫
音楽・音響構成 松下眞一
「日本人 一九七〇」は現代を俳句と音で切りとった。〈俳句〉と〈音〉が拮抗し、まっこうから対峙する。松下は現実リアルな音をコラージュし、さまざまな日本人の生な声をすくいとり、そのなかに俳句という楔を打ち込む。松下が〈俳句〉をこの作品の核としたことで「日本人 一九七〇」は刃の閃光を放つ。
立岩俳句は社会の現象・表層から、鋭く切りこむ。抉る。立ち現れる〈ニッポン〉。屹立する俳句。全41句。まさに俳句と音との二物衝撃。俳句のその密度、その強靭さにあらためて瞠目する。
70年が叫びをあげて、ここに存在(あ)る。
ラジオドラマ「日本人 一九七〇」
シャッターが切られ、万博のファンファーレ、会場のにぎわい、流れる「5時間待ちです…」のアナウンス。一転しガス爆発の現場の生々しさ。そこからミナマタへ。
痛い痛いと少年は泣く。事故。急ブレーキ。原爆へ、沖縄へ、ベトナムへ。「仮面の平和な日本」。本音のセリフにかぶってくる電子音がじつに効果をあげ響く。そして命の誕生。
(以下の句は筆者が聴き取り、表記も筆者の判断による)
万博(夢のような開催)
ピューマ跳ぶ飢えのまぼろし草薙原
ガス爆発(無名市民の死)
黒揚羽火柱が立つ喪の地表
わが菫撃つ黄金(きん)のピストルその繁栄
水俣・ミナマタ
咳けば骨折する父に遠いエデン
母の海少年の川を汚すものよ
原爆忌
原爆二十五年硬直し始む向日葵広島忌
沖縄
沖縄の空は爆撃機の空沖へガジュマル実を垂れて
ベトナム
黄色い命の群れ流る平和に遠い猫
現実
褐色の花束漂う埋没列島
棚に人形坐るこの街歩きつづけ
命の誕生・未来へ
幼子よ踏め遠い菫の明日の土
荒野未来へ太陽の苦悩の馬車を
薔薇香る岬飛翔の波濤の彼方へ
このなかの数句は句集『有色』(1974年刊)に載る。
のちの立岩さん、年譜に「松下眞一さんは、私の俳句の最もよき理解者だった」と記されている。
あの端正で、やわらかな立岩さんは三鬼を師とし、関西前衛俳句の核となるおひとりで、「俳句は孤立無援の詩形」と決意された方であった。