界隈散乱
👤鳥居真里子

花のごとふぶきあやつるあれは老斑
人形の髪がのぼる木ふぶきの木
闇・神・雪なべてうつくし僕の羽根
家族吹雪くよ喪中のもなか割るとほら
雪の木にぶらさがつてゐる音楽
浄土まで雪の鍵盤ふみ鳴らす
きさらぎの虹まきつけよ我が墓標
水櫛で梳くおびただしきは野火の舌
さかしまに吊るす嘴もぬけの春ぞ
たましひの界隈いそぎんちやく散乱

鳥居真里子「界隈散乱」10句鑑賞
👤田口武

▶花のごとふぶきあやつるあれは老斑

老いて避けきれない「老斑」、遠称の「あれ」。
「あれは老斑」は、作者には見ることができるこの先の作者自身のことと読んでみた。
老いても吹雪さえ華やかな花吹雪のように操れるほどの活力や妖しさを残していることを思い描いているのだろうと。

▶人形の髪がのぼる木ふぶきの木

現実の世界でも人形の髪が伸びると聞くが、この句は(他の句も同様だが)現実世界から離れて幻想的・怪奇的。
吹雪の中に人形の髪に絡みつかれた木は、前句同様作者自身の譬えと読んだ。
身動きできなくなりそうな孤独感の表出のようでもある。

▶闇・神・雪なべてうつくし僕の羽根

三つをひとつにして想像すると雪女が浮かぶが、全て一様にと書かれているので、三つの共通点を考える。
静謐や畏怖。
音のない世界で何かを恐れている。
恐れを払拭するために敢えて「うつくし」と称える。
「うつくし」で切れるので「僕の羽」は、何らかの恐れを抱く作者の羽から抜け落ちた一枚の羽根。

▶家族吹雪くよ喪中のもなか割るとほら

吹雪の中では平衡感覚や方向感覚を失う。
家族関係にもそのようなことが起こる。
「ほら」は、誰かに呼び掛けて注意を促しているのだが、誰かは、作者自身。
ほら、喪中の最中を割るときにさえ家族関係の不均衡が現れるのだ、と家族の一員でもある作者の自省も込める。

▶雪の木にぶらさがつてゐる音楽

聖樹のことと鑑賞できそうだが、それだと一連の作品からくる印象と乖離してしまう。
雲間から漏れる日差しに、雪原にある雪の積もった木立が輝く。
その輝きには音階があるようで、それを音楽が木にぶら下がっていると断定した。
作者は輝く木に心弾ませながら近づいて行く。
まるで浄土に近づくように。

▶浄土まで雪の鍵盤ふみ鳴らす

雪を踏みしめると音がすることを、雪の鍵盤踏み鳴らすと書いた。
この句には、楽しさ明るさがある。
作者の足跡しか残らない雪原を、一切の煩悩や汚れがなく、阿弥陀如来などの仏や菩薩が住む清浄で幸せに満ちた場所、浄土へ向かっているからだ。

▶きさらぎの虹まきつけよ我が墓標

倒置法がつかわれていて、我が墓標にきさらぎの虹まきつけよ、と書かれ「に」が省略されていると読んだ。
「まきつけよ」は命令形だが、誰に命令しているのか。
この句もまた作者自身と想像してみた。
命令形や虹をまきつけることから、強さや艶やかさを感じるが、如月の虹は淡く儚い。

▶水櫛で梳くおびただしきは野火の舌

調べると、水櫛は、歯が荒く、水に浸して髪を梳くのに用いるとあった。
梳る動作は静かだが、櫛の荒い歯の一本一本から受ける強い刺激から、燃え広がる野火の炎の動きを想い浮かべたのだ。
旅先?の窓外に野火が見えていて、実景からの発想なのかもしれない。
水から火へ、静から動へ、作者の思いが動く。

▶さかしまに吊るす嘴もぬけの春ぞ

嘴は、嘴を容れるなど人の口出しを表す比喩としてもつかわれる。
さかしまは、向きが反対のことだから、「さかしまに吊るす嘴」は、口出しをしなくなったということか。
かつては積極的だったのに、今は脱け殻になってしまった春ぞ、と「ぞ」で春を強調する。
春愁。

▶たましひの界隈いそぎんちやく散乱

そことその近辺が界隈だが、若者の間でつかわれている、特定の趣味、価値観、文化を有するコミュニティーをさす界隈も多少意識しているかと思う。
体に宿って心の動きをつかさどるとされる魂。
作者の魂の界隈には磯巾着が散乱している。
磯巾着は刺激を受けると体を縮めるが、作者の周辺には身を縮めるような刺激的なことが散らばっているのだ。