👤柏柳明子
第30回現代俳句新人賞2012年受賞

丹田
料峭や鷲の翼のごとき波
丹田へまつすぐ梅の香りけり
啓蟄の立入禁止まで進む
かしましき耳朶シクラメンの花
北窓をひらく呪文を授かりぬ
初めて「新春浅草歌舞伎」を観た。
千秋楽の第二部。
どの演目も引き込まれたが、ラストの「男女道成寺」にとりわけ魅了された。
この演目では白拍子の桜子と花子が美しい舞を披露するが、実は桜子は狂言師の男性。
そこから豪華絢爛たる男女の舞い比べが始まる。
特に桜子役の尾上左近に目が離せなかった。
最初から美しさの中にどことなく違和感を漂わせる役作りの絶妙さ、そして男性とバレてからの変幻自在ぶりが圧巻だった。
シャープで速い動き、なのに決して乱れず品のある清々しい佇まい。
対する花子役の中村莟玉のあでやかで優美な舞と姿。
息つく暇もない舞の応酬は満開の桜の道成寺の狂気を秘めた美の世界へ観客を引き込んでいった。
客席には正月らしい晴れやかな空気が満ち、観客がこの日を楽しみに待っていた熱が終始感じられた。
役者と観客が一体化した幸せな時間と空間、それが舞台の醍醐味と再認識した。
来年もぜひ観に行きたい。
「丹田」5句を読む
👤満田光生
▶料峭や鷲の翼のごとき波
鷲は大きな翼をゆったりと羽搏く。
この波はゆっくり大きくうねる波だ。
湾か川の河口近くの景だろう。
風と波だけを言って大景を想像させる。
「料峭」「鷲」「翼」と画数の多い字を重ねたのも効果的。
大胆な比喩で初春の厳しさを表現する手腕に感服。
▶丹田へまつすぐ梅の香りけり
「丹田」は臍の下、東洋医学では全身の精気の集まる部位。
鼻でも皮膚感覚でもなく、丹田で梅の香を感じる感覚がユニーク。
梅の香に包み込まれるのではない、梅の香が直球のようにドスンと来るのだ。
古典和歌以来の「梅が香」詠に新しい頁を開く句。
▶啓蟄の立入禁止まで進む
この「立入禁止」は、福島県浜通りの帰還困難区域だろうか。
啓蟄の頃は人も戸外で活動し易くなるが、立札に阻まれる。
対して、地中の虫たちは自由だ。
文明の発達した人間社会の不自由さと野生動物の自由さ…。
考えさせられる句だ。
▶かしましき耳朶シクラメンの花
通常は耳に聞える音が「かしまし」いのだが、この句は耳朶(耳たぶ、または耳)自体が「かしまし」いと詠む。
シクラメンはたくさんの花茎1本1本に1つずつ蝶形の花をつけるが、見ようによっては「かしまし」く感じる。
シクラメンの花を見て、自分の耳朶の存在も「かしまし」く(鬱陶しく)感じたか。
鑑賞の難しい句である。
▶北窓をひらく呪文を授かりぬ
冬の間締め切っていた北窓を開くと、窓から春の精気が飛び込んで来る。
作者はそれを「呪文」ととらえた。
耳には聞えないが生き物たちが唱える呪文。
「授かりぬ」がいい。
人間が世界を支配するのではない。
人もまた生き物の一つとして自然の精気を授かるのだ。
👤満田光生
第62回現代俳句全国大会賞2025年度受賞
芽吹
崖(はけ)天へ芽吹く輸送機の爆音
温みたる川面縮緬鷺渉る
草萌の土手スケボーを背負ひ行く
梅東風や空手演武にアフリカン
救急車京王線よ木の芽山
多摩川の支流・浅川の河岸段丘上の台地に暮らして二十二年。
が、東京のほぼ東端・荒川沿いの学校まで東京横断の通勤、仕事に追われる日々には、浅川の川縁まで歩くことすらなかった。
コロナ禍の在宅勤務とその後の退職で、漸く住む地を知ることとなった。
河岸段丘上部のハケには豊かな雑木林が残るが、そのすぐ上にはURと分譲マンションの高層建築が屏風のように聳える。
浅川には白鷺が飛び交うが、土手下には戸建住宅がびっしり。
対岸(南岸)は段丘ではなく、丘陵上部まで住宅が建ち並ぶ。
この地は横田基地のほぼ真南で、輸送機が高層建築の上を低空で飛ぶ。
自然豊かな田舎であると同時に都会でもある。
日常の中に軍事のきな臭さも感じる地だ。
わが師・宮坂静生は「地貌」を詠むことを提唱する。
土地の自然や生活の「貌」を詠むことだが、郊外である我が地にも「地貌」はある。
それを句に詠んでいきたい。
「芽吹」5句を読む
👤柏柳明子
▶崖(はけ)天へ芽吹く輸送機の爆音
国分寺崖線の映像が脳裏に浮かんだ。武蔵野台地の河岸段丘は武蔵村山市から大田区へ伸び、水と緑に恵まれた自然は古来より日本人の暮らしを支えてきた。崖より天へ種々の植物が芽吹く様子は春の協奏曲のようだ。その豊かな景と同じ天の何処かで輸送機の爆音が轟く。掲句からは旅客機ではなく軍用機のイメージが過る。天地の恩寵を受ける地球。同じ人間同士が同じ星を分かち合う難しさ、平和とは何かを思う。
▶温みたる川面縮緬鷺渉る
春の日差しを受けた川面は寒さが残っていても細かい光を放ち眩しい。その様子を「縮緬」と表現したのは言いえて妙。川面を渉る鷺の細い足はひと足ごとに新たな光を生み出し、いつしか鷺が新しい季節の使者に見えてくる。春の喜びが溢れる一句。
▶草萌の土手スケボーを背負ひ行く
春の到来の喜びは天や川(水)だけではない。地にも柔らかく小さい草の芽の誕生というかたちで表れる。縮緬のごとく煌めく川面を横目にスケボーの練習に向かうのは若者か。天の青さ、地の碧さを滋養に颯爽と滑る姿は生命力の輝きそのものだ。
▶梅東風や空手演武にアフリカン
歳時記に寄れば、梅を吹かせる風として東風は詠まれてきたという。優雅さと激しさを併せ持つ梅東風に型を力強く華麗にみせる空手演舞はふさわしい。梅・東風・空手には和の精神が宿る。だが、空手演舞の演者はアフリカン。空手のユニバーサルな魅力と現代性を伝えつつ、空手演舞の型の鮮やかな一瞬を俳句の型の裡に言い留めた。型と言葉の幸福な競演といえよう。
▶救急車京王線よ木の芽山
一句目の国分寺崖線と通底するイメージ。京王線の電車事故か、沿線界隈で何かあったのか。平穏な日常を破る救急車のサイレンが春の息吹に満ちた山に響く。でも、それも一瞬のこと。人間がどんなに自然を変えていこうとも、春が来れば山は自然は淡々と生命を誕生させていく。その逞しさを掲句は思い出させてくれる。