一茶200回忌に名句《露の世ハ…》を想う
👤マブソン青眼
露の世ハ露の世ながらさりながら
『おらが春』所収
文政2(1819年)年6月21日の作か
この句は、一茶が最愛の娘「さと」に献げた俳文集『おらが春』第十四話(さとの死)の中心句として置かれ、さとが2歳で天然痘を患い他界した直後の吟とされている。
しかし、単なる「俳句」(発句)と呼べるだろうか。
季題は一応「露」(秋)が含まれているが、6月にしては季節外れとなり、やはり「露の世」(儚い世の中)という慣用句であろう。
しかも題材を一つしか扱わない一物仕立てであるうえ、「露の世」を二度繰り返し、「ながら」をも繰り返し、まさに“空洞の一句”となっている。
喪失感のため、一茶は同じ単語を繰り返すことしかできなかったようだ。
そうはいえ、最後の「さりながら」の反復で読者に「二重写しのメッセージ」を伝えている。
「覚悟はしていたが、やはり辛い」という悲しみと同時に、「さりながら我は生き続け、もう一度命を授かるようにする」という前向きな解釈もできる。
この句はいわゆる普通の「俳句」「発句」「秀句」とはいえないかもしれないが、間違いなくここ200年の間、世界中で無数の人間に勇気を与えた“清らかなことば”なのだ。
加藤楸邨(『一茶秀句』、春秋社)は「私など子供をさとぐらいでなくしているので(中略)目頭が熱くなるような感じがする」と述べている。
また、「露の世ハ」の句は初めてフランス語に翻訳された一茶句でもある。
訳者のP=L・クーシューは、次のように評した。
「俳人は実体のない現世のはかない姿をじっと見つめる、しかもその姿を眺めることを不快とは思わない」
Paul-Louis COUCHOUD, Les Haïkaï : Épigrammes poétiques du Japon, in Les Lettres, Paris, 4-8/1906
(日本語訳:『明治日本の詩と戦争』みすず書房 1999年)
近年に至って、例えば著名なフランスの小説家フィリップ・フォレストは長編『SARINAGARA』(Philippe FOREST, SARINAGARA, Gallimard, 2004、日本語訳:『さりながら』白水社 2008)のなかで、さとを喪った一茶の悲哀を繊細に描いている。
その小説家自身は、6歳の娘に先立たれた父親でもある。
そして2026年1月10日、一茶200回忌を記念し、東京の日生劇場で「Issa in Paris」という一風変わったミュージカルの世界初演が行なわれた(https://www.umegei.com/issa2026/ を参照、私も公演プログラムの一茶解説の執筆者として少しだけ関わらせて頂いた)。
企画した梅田芸術劇場の資料によると、「本作の台本と音楽を手掛けたのは「『ナイン』『タイタニック』でトニー賞の最優秀作詞作曲賞を2度も受賞した、ミュージカル界の巨匠モーリー・イェストン。
日本文学にも造詣が深く、学生時代には日本文学のハイレベルな翻訳を学びました。
特に興味を持ち、彼の感性に響いたのは小林一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」という俳句です。
愛しいわが子を失った一切の深い悲しみ、諦めきれぬ思いを、最小限の言葉で最も深く表現しており、その俳句に感銘を受けてモーリー・イェストンの『ISSA in Paris』創作は始まりました」とのこと。
ストーリーは実によく出来ている。
21世紀の東京に住むシンガーソングライター・海人(芸名Issa)は、突然母親を喪い、彼女が大好きだった「露の世ハ」の句を思い出す。
するとその衝撃で人生の儚さを悟り、シンガーとしてのスランプを乗越えるためにも、パリへ旅立つ。フランスで、母が生前に没頭していたある研究テーマの続きを果たそうとする。
実は彼女は昔から、一茶について革新的な仮説を立てていたのだ。
14歳から24歳まで江戸辺りで様々な奉公先に就いて召使いのような生活を送っていたはずの一茶だが、その頃の資料は今もってほとんど見つかっていない。
それなら、若き頃の一茶が、実母を亡くした悲しみと江戸の身分社会において「信濃の百姓」として受けた差別から逃れるために、もしかすると、オランダ船に乗ってヨーロッパへ渡っていたという説も考えられる(この辺りはミュージカルならではの飛躍がやや気になるが、同時に一茶が西洋人に興味津々だったという史実をきちんと踏まえている)。
とにかく海人君はパリ国立図書館に趣き、その仮説の調査を始める。
そしてなんと、一茶がやはりフランス革命直前のパリに渡って、民主主義のために闘う女性テレーズと出逢い、そこでのちの名句「露の世ハ露の世ながらさりながら」の発想を得ていたと、海人は発見する・・・。
またまた、変わったアメリカ人の奇抜すぎたシナリオだと思われるかもしれない。
しかしなぜか、一茶研究家の私も、観劇して妙に納得し、深く感銘を受けたところがある。
この奇想の重要な部分はつまり、一茶が幼い頃に実母を亡くしたからこそ、晩年になって最愛の娘を亡くした際には傑作なる一句を得ることができた、という鋭い指摘である。
なるほど、この句には、「極端の悲しみと極端の生命力」が同時に宿っていて、これぞ一茶の一生の始まりと終わりを貫く「真髄の部分」だと窺えるのだ。
3歳で母親を喪った一茶(小林弥太郎)は、3歳の子供らしく、そこで潰れることなく、逆に途轍もない生命力をもつようになった。
そこで、一生の心の宝物となる「強靭な三つの魂」を得た。
「これでも、いや、これだからこそ、私は生きるのだ!」という、あらゆる悲劇に対抗できる、絶大な精神力を得たのではないか。
悲しみの中の生命力。
優しさを伴う強靱さ。
アニミズムを含む俳諧自由。
この二極の両面性こそ、一茶調の凄さであると、私は思っている。
そして二世紀前から、世界中の多くの”変わり者の芸術家”がそう思っていたに違いない。
一茶200回忌の際、ぜひ見直されてほしい凄さである。

ミュージカル「ISSA in Paris」の舞台セット(中央の短冊は一茶自筆「露の世ハ」)2026.1.10、日生劇場にて、筆者撮影(梅田芸術劇場許可済)