夢の跡
─フランスの俳句/ドイツの俳句
👤木村聡雄

作者アラン・ケルヴェルンはフランス、ブルターニュの俳人である。
作品のイメージはすぐには掴みにくいかもしれない。
実はこの句はあるテーマを持った俳句アンソロジーのために書かれたものである。
そこでその俳句集の話から始めるとこの句が理解しやすくなるはずである。
日本の詩人のなかでも世界でもっとも知られているのは芭蕉と言われるが、それは俳句という詩形式そのものが短く分かりやすいうえ、現代も発展し続けていることともつながっている。
芭蕉作品はいくつもの言語の翻訳を通して読まれていて、ドイツ語訳は英訳についで多いとされる。
海外でも特に人気のある句のひとつがわが国と同じように、「夏草や兵どもが夢の跡」である。
それを示すように、ドイツでは『夏草──芭蕉の俳句にまつわる変奏』Sommergras—Variationen über ein Haiku von Matsuo Bashô(マルティン・ベルナー編、1999年)と題された小俳句集が編まれている。
この芭蕉句をテーマにしたもので上記のケルヴェルン他のヨーロッパ俳人なども名を連ねる。
編者のマルティン・ベルナーというドイツ俳人については聞き覚えのある方もいることだろう。
「ドイツ・日本俳句懇談会」“Deutsch-Japanische Haiku Gespraeche” が現代俳句協会によって2002年に日本で催されたときの来日メンバーのひとりだったのである。
アンソロジーはこの芭蕉句に触れて各俳人が詠んだオリジナル作品集である。
編者のドイツ俳人の句を引いておこう。
ベルナー作品はこの俳句集の意図を明確に表わしている。

芭蕉の平泉の句は、源義経らをはじめかつて栄えた武士たちの話と杜甫の「国破れて山河あり」に触発されたと言われる。
一方、このアンソロジーに描かれた戦はヨーロッパ中世諸侯の権力闘争というよりは、二十世紀の二つの世界大戦に対する思いが強い。
ここで詠まれている“Grasrispe”とは、草が穂先につけた花のことで、たいてい小さなものがいくつも並んでいる。
かつての戦場に咲く小さな花々があたかも兵士それぞれの思いであるかのように感じられ、その花を摘んで無名戦士らの墓に手向けるという鎮魂句となっている。
戦争を繰り返してはならないという気持ちを新たにさせる句だろう。
そして冒頭のケルヴェルンの句である。
ケルヴェルンについては、ベルギーで行われた俳句シンポジウム「欧州と日本の俳句」“Haiku Today in Europe and Japan”(ブリュッセルに置かれたスウェーデンEU本部、2014)が思い出される。
私は進行役を務めたのだが、そのときの発表者のひとりがケルヴェルンであった。
(シンポジウムでは他に有馬朗人、ヘルマン・ファンロンパイ、イギリスのデイヴィッド・コブらに加え、ベルギー、ドイツ、スウェーデン、オランダと言った各国の俳人たちの発表があった。)
さて、このフランス俳人の作品では、芭蕉句を自らのイメージに置き換えたところはアンソロジーのテーマの通りである。
しかしながらその景色は大海原となっている。
フランスは農業国で広大な畑が点在するが、黄昏時なら草が風にたなびく様子は海の波のように見えるかもしれない。
そこで作者は舞台を海へと転換し、その海の底に今も行方知れずのまま残された連合国側の、あるいはかつてのヨーロッパの歴史のなかの兵士らの聞こえない声を聞こうとしている。
この句では満ちくる潮はその者たちのつぶやきの高まりであるという。
このイメージは大戦の悲惨さを忘れないだけでなく、フランスブルターニュ地方の海を巡る幾多のケルト伝説をも呼び覚ますのである。
(俳句和訳:木村聡雄)
[The Remain of Dreams―Haiku from France and Germany Toshio Kimura]