明るい世界
👤籾田ゆうこ
笑いには色んな種類があると思う。
人を馬鹿にする笑いや仲間と一緒に楽しむ笑い。
その中でも私は他者や植物、虫などわたしたちを取り囲む万物全てと共に笑い合うのが俳句だと思う。
岩戸隠れした天照大神も共笑により岩穴から出てきた。
俳句も連歌の発句から始まり誰でも分かりやすい内容や表現になったことで広まった。
つまり「皆んな」「一緒に」「楽しむ」事ができるのだ。
スサノオの乱暴な振る舞いや度の過ぎたいたずらでお隠れになった天照大神も、みんなで歌って踊って楽しむ様子をご覧になってこの世に光が戻った。
今の私たちが生きている現代も同じように、自然や他人を傷つけ破壊した結果、しっぺ返しのように公害や貧困、犯罪が増え、まるで末法の世を呈している。
真っ暗闇な自分が起こした悲劇である。
そんな時に必要なのは、この真っ暗闇の世の中で自ら歌い、踊り、楽しむ事ではないか。
誰か超人的な力のある神の子に任せても解決しない。
大谷翔平の「あこがれるのをやめましょう」も同じ事で、民族的な記憶なのか日本人の遺伝なのか、みんな薄々気づいているような気がする。
自分の五感を全て使い今、現在を楽しむこと。
その一つの手段として日本の文化となった俳句や短歌、川柳の本が本屋で並び始めたのも自然な流れに感じる。
連歌や和歌、短歌や川柳俳句など多くの諸先輩がたがその時その時を懸命に生き繋いできた日本の伝統に触れる機会を得た私にとって出来ることといえば、やはり、先輩方と同じ事で、句作を通じて今を一生懸命に生き、楽しむ事である。海外で”HAIKU”が通用するのもこのためだと思う。
その時々で私たちを取り巻く環境は違うため、使う言葉も古語だけではなく現代語や口語、和製英語もあり、それはただその時の現状を切り取ったもので、どの言葉を使うかは個人の自由だと思う。
重要なのは全力で句をつくることだと思う。
みんながそれぞれ楽しいと思う価値観を発信して共有していけば自分の世界は明るくなる。
実際、句会に通ったり句集を読んだりして色んな景色を楽しむ事ができた。
個人の好みはあれどもどれも自分だけでは見ることのできない世界だった。
やっぱり俳句が好きな人が好きだなあと感じます。
今まで出会えた方々に感謝とこれから出会う皆さまと笑って話せますように。
冬の蝉
ジャズ喫茶ゆやあんゆよおんオリオン
イザナギとイザナミ煮込むおでんかな
ならせめてカッコつけなきゃ海鼠じゃん
寒卵やキッズピアノの音階
冬至の眼黄金のたまご焼き
口の中鳴き始めたる冬の蝉
古時計きびきび進むクリスマス
戦争の焼けた跡地や薄雪
籾田ゆうこ(もみた・ゆうこ)
1995年生まれ、熊本県在住
俳句を始めて約4年になりました。よろしくお願い致します。
ことばの赴く先
👤東狼
私は昔の人の書いたものを通じて、その当時の人々の普段の生活や考えていたことを調べることが好きだ。
江戸時代の書籍や200年前のフランスの小説、古代ギリシャの哲学者が書いた著作、中国の漢詩など、時代や場所に限らず古文書を通じて、昔の人々の生活の営みや考え方の一端を知ることができれば喜びである。
文章における言葉遣いや表現の選び方、文章の構成の仕方などを見ても当時の社会におけるルールやその人の癖、または大切にしていたことなどを窺い知ることができる。
調べている中でふと感じたことがある。
それは数千年前〜数百年前の過去に生きた人々も、意外と今の私たちと同じようにたわいないことで楽しんだり、悩んだりしていたのではないかということだ。
例えば、昔の中国や西欧に生きた人の手記や手紙などを読んでみると、くだらないことで冗談を言ったり、現代でもよくあるような苦しみを抱えていたり、といったことに気付かされる。
古文書は過去の遺物であると同時に、今を生きる私たちを映す鑑(かがみ)でもある。
ともすれば未来を知る手掛かりにもなると思う。
しかし、言葉というのは、一旦外に晒されると作り手から離れることにもなり得る。
言葉に対して、本人の意図とは別に他者の評価やコメントが一人歩きしてしまうこともよくあることだ。
俳句も同様である。
正岡子規の詠んだ「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句は、「鶏頭論争」と呼ばれる程多数の人を巻き込んで多種多様な評価が語られた。
元来言葉に込められた意味が、作り手の意図とは別に広がりを持って受け取られることは、よく考えれば恐ろしいことだ。
それを避けるために私たちは言葉を何に依拠させれば良いのだろうか。
いや、そもそも言葉は何にも依拠させることはできないのかもしれない。
言葉も私たち人間と同じように生きているのだ。
だとすれば時代や場所によって、言葉の持つ奥行きも違って捉えられることは当然起きる。
言葉を受け取ることは作者との対話というだけでなく、そこに至るまでに様々な時空を生きてきた、あるいは今後生きるであろう人々との対話でもあるのだ。
今日も私は他者の言葉に触れることによって、その背後にある様々な人生に想いを馳せる。
そして、そのことを通じて私は私との対話も楽しむ。
偶然を重ねて
高架下悴む指も心地良し
シャガールの昏き水音山眠る
偶然を重ねて此の世返り花
バス停に着くやバス来る朝時雨
白鳥や溢るるほどの命有り
山茶花のひとつ枯山にぎやかし
冬之月未だ生きてゐる昭和かな
シチューより旅立つ湯気や冬銀河
東狼(とうろう)
1988年神奈川県生まれ 東京都在住
楽園俳句会所属