👤仲寒蟬(なかかんせん)
第50回角川俳句賞2005年受賞

書斎こほろぎ
書斎こほろぎここには全世界がある
月光の部屋を沈殿する書物
草の花こぼして書庫へ行きしまま
全集は雪積む庭の書庫の奥
書斎開け放てば猫と春風と

本が好きなのである。

学生の頃から特に目当てはなくとも書店で本の匂いを嗅いでいるだけで幸せだった。

書痴という言葉がある。
横文字ではビブリオマニアと言うらしい。
筆者は書物の蒐集者としては然程でないのでせいぜいビブリオフィリアくらいだろうと思っている。

現在、スライド式本棚を設置した十畳の書斎と庭の小さな書庫、職場の部屋に分けて蔵書を置いているがどこも満杯で今後は断捨離する他ない。
売ろうにも鑑定団に出せそうな稀覯本は殆んどない。
本当は日本の古典、中国の古典、西洋文化、宗教・哲学、歴史、美術、などに分類してすぐに取り出せるようにできればいいのだが到底かないそうもない。
憧れは岩崎の東洋文庫、角川の武蔵野ミュージアム、司馬遼太郎記念館、蓼科温泉親湯という宿のロビー。

毎日気の向くままに好きな本を繙いているが時にはそれが俳句の題材に結び付くのだ。

「書斎こほろぎ」5句を読む
👤鈴木砂紅

▶書斎こほろぎここには全世界がある

 

▶月光の部屋を沈殿する書物

 

▶草の花こぼして書庫へ行きしまま

 

▶全集は雪積む庭の書庫の奥

 

▶書斎開け放てば猫と春風と

 

 


👤鈴木砂紅(すずきさこう)
第9回現代俳句年度作品賞2008年度受賞

序破急
ここからは老いの序破急冬薔薇
想い出をちょっと脚色日向ぼこ
縁側で猫の爪切る憂国忌
冬蝶一頭力石を抱え込む
落葉風半座を分かつ木のベンチ

令和7年11月15日運転免許証を返納し、バスを頼りとする生活になった。
スーパーも銀行もバスで行く。
図書館の本はネットで予約し、買物の負担軽減にコープ(生協)の会員にもなった。
どうしてもバスを使えない時は夫か息子に運転を頼む。
全て2か月前から検討して来たから多分大丈夫。

夕飯の献立を考えるように、毎月の家計を管理するように、主婦の老いは計画通りに進めなくてはいけない。
だからまだ体力と気力のある75歳で免許証を手放した。
残る課題は老いと俳句の折合いをどうつけるかということ。
句会に行く。
吟行を楽しむ。
類想類句にならぬよう他人の句を覚えておく。
過去の自己模倣もしたくない。
頭をクリアに保ち納得できる句を作りたい。
有季定型を突き詰めた先の無季・自由律俳句も掴みたい。

「有季定型を愛し、これを超克する」

30年前、河合凱夫先生に教えられた言葉を日々反芻している。

「序破急」5句を読む
👤仲寒蟬

▶ここからは老いの序破急冬薔薇

序破急とはもともと舞楽、能楽の構成形式で序は導入部、破は展開部、急は終結部。
楽曲の速さでは序はゆっくり、急は早く、破は中間ということである。
砂紅さんは自身を老の入口にいると認識し、さてこれから序破急で行くぞ、との決意を詠まれたのである。

つまり通常は老いると徐々に活力が低下し動作も鈍くなるものだが作者は逆に先に向かって激しく生きるのだと宣言したのだ。
冬という逆境に咲く薔薇のように。

▶想い出をちょっと脚色日向ぼこ

日向ぼこは昨今では老人がするもの、死を匂わせるものとして詠まれる。
一句目の老の語を受けて、ここでは日向ぼこする老人が故意か無意識か過去を脚色して幸福感に浸っている様子を描く。
序破急の「序」。

▶縁側で猫の爪切る憂国忌

小春日和なのだろう。
人も猫も心地よさそうだ。
だがそこへ「憂国忌」である。いきなり不穏になる。
あの市ヶ谷での三島の演説と割腹。
この縁側では僅かに猫の爪を切る刃物が剣呑さを漂わせるだけだ。
これが「破」。

▶冬蝶一頭力石を抱え込む

力石というのは力自慢の人達が持ち上げるためのものだがこの句の力石は人間が持ち上げたのではなかろう。
「抱え込む」という表現からは蝶が力石に留まり丸みのある表面に沿わせて翅を広げる様子が思い浮かぶ。
小さくて弱々しい冬蝶は老の象徴。
それでも力石を抱え込もうとする意思をしっかりと持っているのだ。
これが序破急の「急」である。

▶落葉風半座を分かつ木のベンチ

半座を分かつという表現、実によく状況が分かる。
元は仏教用語らしいが知らなくとも座席の半分を譲ったと想像がつく。
それでは誰に?
落葉の降る中を共に散歩してきた人、であろうか。
それとも作者はただ独りで人間ならぬ存在が横にいるのだろうか。