
俳句の未来を考える
【下】
2025年11月24日に「ゆいの森あらかわ」で開催された第50回現代俳句講座の内容を『WEB現代俳句2026年2月号・3月号』の2回に分けてご紹介しています。

シンポジウム 俳句の将来はどうなるのか?
~口語俳句、AI俳句、この先20年を考えてみる

柳生正名氏
司会(柳生):第2部は、私が司会の役割を仰せつかって、3人で討議をしていきたいと思います。基本コンセプトとして、前半紹介したアンケートの結果から浮かび上がってくる俳句の未来の姿。その方向性を示すベクトルをイメージしながら、具体的に20年後、つまり戦後100年、これは現俳協の100周年ともほぼ重なるんですが、その時の俳句の姿というイメージを頭に置きながら進めていきたいと思います。
前半の最後では、同時代性という観点から伝達性の高い文体としての口語という考え方や、新しい時代に求められる語り手としての主体像、また今流行のナラティブ(語り)的な俳句のあり方が口語文体につながるという論点も提起されたようにお二人のご意見を聞きました。そのような点も踏まえ、まず筑紫さんに伺いたいと思います。

筑紫磐井氏
筑紫:先ほど神野さんが詳細な口語俳句の一覧を作っていただいたので、少し嫌みだけどそこからもれている作家と作品をあげてみました。ちょっと異議ありというところです。どういうことかっていうと、時代分けをしていただいて、新興俳句の、戦後俳句の口語、それも今回のアンケートの例句を挙げていただいたんですけれども、今回アンケートに上がってこない句を、強引に私があげてみたのがここに映っている句です。
街の雨鶯餠がもう出たか
富安風生
おそらく神野さんが分類した一番か二番の時期にあたるかと思います。要するに、花鳥諷詠まっただなかの人が、ぞんぶんに口語を使っているということです。富安風生がなぜ口語を使ったのか。それから戦後ですけれども、三番の戦後俳句のところ、韻律と主題と神野さんが挙げられていた時代で、これまたホトトギスの作家の
月見草開くところを見なかった
島田摩耶子
これはかなり、よく知られている句ですね。これが昭和28年。これ両方とも高浜虚子が目の前にいる句会で出した句なんですよね。だから虚子も、大賛成かしぶしぶかわからないけど、認めた口語俳句なんです。ここらへんは新興俳句とも戦後俳句とも違うということで、口語俳句の間口を広げた方がいいのかなという気がいたしました。
私が調べたところ〈街の雨〉は、「ホトトギス」の昭和12年6月号に載っています。なんでこんな句が詠まれたかと思うとですね、おもしろいのは、7月号が〈まさおなる空よりしだれ桜かな〉っていう、富安風生の一代の名句のわずか一か月後に、文語バリバリの格調高い句ができていると、こんなところがヒントになるかなと思います。口語俳句をべたべたに作ってる人じゃなくて、たまたま作る人っていうのがいて、その人は文語俳句で精一杯つくると口語俳句の傑作も作れる。そういうところがあるのかなという気がしました。実は12年6月号っていうのは、「街の雨鶯餠」の風生のほかに大傑作が出ている、山口青邨の〈蒲公英や長江濁るとこしなへ〉という、これもまた文語俳句の大傑作ですし。文語でぎっしり固められて、そうした中ですっと花鳥諷詠系の口語俳句というのは対比的に出てくるのではないか。
もうひとつの「月見草」、風生の「街の雨」の句は有名だけどあまり論争がありませんでしたが、これはまあ侃侃諤諤議論がありました。似た句があるじゃないかと言われたんですね。どういう句があるかっていうと、成瀬正俊というホトトギスの重鎮で、俳人というよりは犬山城のお殿様で知られていますよね、その人がだいぶ前に作った句で、〈炎天下吸いしタバコが苦かった〉っていう句。これと同じじゃないかと弟子たちが議論しているんですけど、虚子がいうのは、とにかく島田摩耶子の句は面白いと。かつ自然にできていると、そういう言い方でほめている。昭和28年というのは社会性俳句が出た最初の時期で、たとえば兜太の〈彎曲し火傷し爆心地のマラソン〉のようなぎすぎすした句が多く生まれていた、こういうのと対比して出てくるから面白みというのが受け取られるようになったのではないかなというふうに思っています。神野さんに作っていただいた新興俳句系の口語俳句表のとなりに花鳥諷詠口語俳句の一覧表を作っていただくと、口語俳句の本質っていうのがもう少しわかってくるかなと思います。
実は私、俳句新空間というブログをやっているんですが、いま福島大の女子学生の金光舞さんという人がいて、この人が熱心に口語俳句の勉強をしたいからページを貸してくれっていうので「口語俳句の可能性について」という連載をし始めています。この夏会ったんですけど、何回続けたいのっていうと「100回です」って。隔月で更新してるから年24回しかできないからあなたが卒業するまでに終わらないじゃないと言ったんだけど、でも熱心だし。たぶん彼女も、イメージしているのは神野さんのあげた戦前あるいは戦中の口語俳句のようですが、それだけではなくてホトトギスまで含めた少しいろんなものをみて、それからまた現代のものを見てもらったらいんじゃないかなと感じました。
実はそれに関連して星野立子も口語俳句らしいのを作ってるんですね。
星野立子は昭和45年に脳梗塞で倒れて、半身不随で俳句も作らない、選句もできない。選句は妹の高木晴子に任せてしまったと。ただリハビリを重ねた末、奇跡的に復帰して、俳句も作り、「玉藻」の選句も始めたというすごい精神力の持ち主の人なんですが。復帰してから、55年の1月号から左手で書いた俳句を発表しています。その中から集めたんですけど、
白芙蓉となりの家は留守らしく
(56年11月)
風花を呼ぶこの雲がこの風が
(57年5月)
老鶯のだんだん遠くそれっきり
(58年8月)
計画は生まれて消えて秋の空
(58年11月)
春寒し赤鉛筆は六角形
(59年4月絶筆)
たぶんこのころ「玉藻」の選者に復帰するって、その思いもこめて詠んだ句だと思います。復帰してからわずか6か月で死んでしまったのですが、そのときの絶筆が「春寒し赤鉛筆は六角形」。これ純粋な口語俳句といえるかわからないんですけど、実は病気で倒れる前はもう少し文語的な句が多かったんですよね。ここに上がってる句は、まだ文語は維持しているけど、口語そのものか口語調。ここは私の推測なんですけど、ことによると立子は左手で書きだしたからこうなったんじゃないか。医学的には右脳と左脳とありまして機能が違うという話です、左目しか見えなくて左手しか使えないと、働くのは右脳だから。だから倒れる前は左脳で俳句作っていたけど、右脳で俳句を作りだしたら少し作風が変わってきたんじゃないかと思います。星野高士さんにばかにされそうではありますけれどが、画期的に変わる理由が見つからないのは、そういうことしかないんじゃないかと。そういう気もしまして、いま星野立子の病気で倒れる前と倒れた後なにがどう変わったかをみまして、口語俳句を考えてみたいなと。こんなところでございます。
司会:先ほど上げられた富安風生と島田摩耶子の二句とも「た」止めの句。神野さんが自句で挙げた〈起立礼着席青葉風過ぎた〉も同じで「た」止めの魔力があるのかと思うのですが、作家としての立場でいかがですか。

神野紗希氏
神野:芭蕉自身も切れ字に用いるときは四十八字みな切れ字なりって、「去来抄」のなかでその言葉が伝わっているように、切れ字っていうのは「や」とか「かな」とか良く知られているものだけではなくて、切れを生むものはみな切れ字だって芭蕉が言ってるんですね。「た」も切れ字だと思いますし、そういう口語で俳句をつくるときに何が必要かといったら、表現上の技術継承というのが文語にはたくさんあるわけですけど、実は口語にも蓄積されてきた表現史というのがあるはずなので。「た」止めにすると、過去形ですよね。現在進行形でもあり、それをあったできごととして刻む「た」。「ありにけり」みたいな、「けり」のつもりで「た」を使う感覚なのかなと思いますけど。そういうものが口語俳句にはいくつも蓄積されているので、文語にあったいろんな切れ字が使えないときに、口語でそれに代わるものはなにかというのを共有するのは意味があることだと思っています。それから、なので文語と口語ですごい違うというよりは、文語には文語の、口語には口語の書き方があって、そのなかで切れるということが共通してあるんだということも、文語と口語と分けるというより、どちらも出力の一つだという考え方でいたいなと思っているんですれども。そもそも俳句って口語的ですよね。口語俳句というものがあとから生まれてきたのではなくて、むしろ俳句そのものが、伝統的な和歌や連歌の流れのなかから、ちょっと日常的な素材も取り入れて書きましょうというところから始まったのが俳句、俳諧だと認識しているので。今回私が分類したのはアンケートから上がってきた句を分類したので、残念ながら風生の句とか入ってなかったですけど、でも口語の俳句でいうと正岡子規からばんばん。なんなら小林一茶とか無茶苦茶口語ですよね。負けるな一茶これにありだって、文語も混じりつつ、発話文体、普段のことばが取り入れられていますし、子規の句でも「おとっさんこんなに花が散ってるよ」、上野でお花見してたら、そういう言葉が聞こえたのでそのまま句にしたらしいんですけど、前書きの母の言葉そのまま句にありて「まいとしよひがんのいりにさむいのは」という句もありますね。口語俳句というのは決して現在の前衛的な新しい方法というよりは、俳句という詩自体が口語的な表現、普段の言葉を活用して作っていくことを旨として成り立っている。むしろ口語俳句こそ伝統俳句だと私はいつも思って言っているんですけれども。伝統俳句の方が実は、俳句の大きな文学史の流れの中では新しいんじゃないかなと。逆に口語が前衛だというとしたら、俳句という詩が前衛詩だということだと思うんですね。俳句というものが日本文学の流れのなかで、常に庶民の側にあり、それゆえに新しいということなんじゃないかと思っています。
司会:俳句は本来的にむしろ口語が基調かもしれないという非常に刺激的な提起をいただきました。私はお2人に比べると、作句はより文語を基調にしています。今のご意見にはまったく賛成ですけれども、一方で口語調の表現力がありすぎる面も時々気になることがあるんです。例えば先ほど話題に出た〈蛍に生まれたの〉の〈たの〉ですが、例えば私がいまここで「私はこう考えたの」って言ったら、みんなあれって思いますよね。私が体現するジェンダーとずれるわけです。日本語の口語は「たの」が典型的ですけど、男言葉、女言葉がかなりはっきり分かれる。特に語尾は話者が女性か、男性かを表現してしまうケースが多い。だから口語で詠むと、そこで語られている言葉の主体のジェンダー、あるいは江戸時代では身分で言葉が違いましたから身分、あるいは年齢など、語っている言語主体のさまざまな情報がどんどん顕在化してしまう。むしろ私のような文語派はそれが時に邪魔だという気がするんです。座の文芸としての俳句は、身分制度のあった江戸期は句会に身分が違う人々が寄り集まって連中を形成したわけですが、匿名にすることなどの工夫を通じ、師を囲む皆が対等平等という理念を尊重する形で行われたというイメージが私の中にはあります。もし口語で詠むとなると作者の立場や身分が全部出かねない。文語で書くことで、そういった性別や身分・立場、年齢の違いを超越した一般的な語りで座はなりたち、句会という絶対平等の言語世界が成立する。これは当時としては革命的なことだったのではないかと思いますが、筑紫さんはどうお考えですか?
筑紫:そうですね。口語にかぎらず言葉遣いはいろんなものが付着しちゃってる。もし女ことばというのを考えるとすると、夏目漱石の小説に出てくる女性のしゃべりかたと、いまの若い女性、神野さんのしゃべり方は全然違うなあと思います。あんなしゃべり方いまできないですよね。だからそういう中で言葉っていうのはどこかの時代で中性化してしまうということもあると思うんですけど、言葉を使う側の問題というか、気付きというか、違いがわからないということも大きなことがあるのじゃないかと思います。今回のシンポジウムのために柳生さんと何度かメールをやりとりしてそのときに言われたのが、河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」って明治の口語じゃないかって言われて、確かに気づいたんですけど、それって今の私が気づいたのであって、当時の人たちは気づいてたのかなって思って調べてみたんですよ。そうすると、碧梧桐を代表句する明治の「赤い椿白い椿」の句なんですけど、これがデビューしたというか、俳壇で脚光をあびたのは、正岡子規が「明治29年の俳句界」っていう有名な論文があって、そのなかで取り上げているんですよ。それをいくらみても、碧梧桐のこの句は印象鮮明である、碧梧桐はこれにまい進すべきだっていってるけれど、口語俳句とは一言も言ってないんですね。正岡子規がこれは口語だって気が付かなかったんじゃないかなと思います。実はその後の高浜虚子の有名な「進むべき俳句の道」ってあるじゃないですか。あの本で取り上げるのは石鼎とか青畝とか大正期の俳人ですけど、それの冒頭に明治期はこうだったって書いて、碧梧桐と自分の句を並べて解説しているけどこれが口語俳句だって言ってないんですね、印象鮮明な句だとばかりで。虚子ですらこれが口語俳句とは気づいていなかったということがあるんじゃないかと。言われて初めて気づく口語俳句というのは結構たくさんあるような気がするんですね。たぶんここにあげたような口語俳句が、論争になったのは島田摩耶子さんの句で、これはみんな丁々発止と議論したというのはあるんですけど、富安風生の「鶯餠はもう出たか」って論争が、少なくとも私が調べた限りでは残ってなくてですね、まあいい句はいいんじゃないって思っていたようです。
私が言いたいのは、あんまり口語だ口語だっていって、作るときに口語って意識するのはどうかなと思わなくもないです。ただ、席題で「た」を入れた句を作れっていわれても困っちゃうんで、私が思うのはむしろどちらかというと、一種の顕在化しない意識みたいなものがそういう、口語になじむ方向に向いていくのであれば、それをもって広い意味での口語俳句といえるのではないか。例えば富安風生はこれよりだいぶ前に、〈退屈なガソリンガール柳の芽〉って有名な句を作ったんですけど、これを加藤楸邨がけしからんって批判した。面白いのは、戦後になってから楸邨がすみませんでしたって、謝ってる(笑)。あれはかわいいガソリンガールのイメージがわいていい句ですねって褒めている。あまりそういう言葉遣いだけに固執しちゃうよりは、口語的な精神、そちらの方が大事なんじゃないかという気がしているんですけど。どうでしょうか。
司会:ちょっと解説を加えると、碧梧桐の〈赤い椿〉の句はみんな何も言わないけど、〈けり〉という文語の切字を使っており、文語で統一するなら〈赤き椿白き椿と落ちにけり〉。ちゃんぽんですよね、今の短歌の世界ではこういうのをミックス文体というらしい。私などカルチャーの講座などで教える際には「どちらかに統一するほうがいい」と教えています。確信犯でやってるのならいいけど、ちゃんぽんであることに気づいていないのはどうかと。でも今の話を聞いてたらあまりうるさく言っちゃいけないのかなと思えてきます。こういうミックス文体っていうのはどうですか?
神野:もう俳句って基本こういうものじゃないかって思ってるんですよね。松永貞徳が俳句は配合の詩だと言っていて。日常のふだんの言葉を取り入れて詠むんだと。ようはその頃の文語のなかに普段のことば、口語的なものがはいってきて。もともとミックス文体は俳諧のなかにあるので、いまがうるさすぎる、と思いますね。「赤き椿白き椿」って言いにくいね、「赤い椿白い椿」って、その句にとってどういう表現がベストかという、その句にとってのレトリックとして口語があるということだと思いますけどね。さっきおっしゃっていた性別と口語の問題はけっこう根が深いと思っていて、私高校時代に「さみしいといい私を蔦にせよ」っていう句を作ったんですけど、これもミックスですよね。「さみしい」は口語で、「せよ」は強く言っている文語で。最初は「蔦にして」とか書いていたんですけど、そんな弱弱しい話ではない。日本語で強くいまの言葉でいうと「しろ」という暴力的なことになる。でも「蔦にせよ」というプレーンな文語の言葉ならニュアンスにとてもあうなあと使いました。でもそれが昔の言葉っていう考えはなくて、いまでも文語も使いますよね。「応答せよ」とか全然使うし。口語と文語って完全に二つに分けて、昔のことばと今のことばではなく、今使っている私たちのことばにどちらも混じっていて、それを自分の実感に近い言葉を詠みたい内容にあわせて、縄のようになっていくということだと思いますし。私の世代より、どの世代でもそうだと思いますけど、男性でも「あたし」っていう人いますし、小学生の女の子とかは一人称「ぼく」の子がすごく増えてきています。ことばにまつわるジェンダー性というのはずいぶん自由になってきていて、もしかしたらこれからあまりそういう問題出てこないのかなと思いますけど。今言ったように「してよ」が女性的で「しろ」が男性的だという言い方をしないで、そこに入っている成分を、どんなニュアンスなのかを、性別にかかわらずあげていくようにすればいいのかなと思っているんですけど。じゃんけんの句も三橋敏雄が〈生まれたの〉にしたというのは、複雑な話だと思っていて。澄子も考えたのかもしれないけど、澄子さん自身ががあえて女性言葉を自分では選ばなかったのは、「してよ」と言いたくなかった私の気持ちに近いものがあるのかもしれないし、そういう言葉を使うということは無名性を手に入れるということかもしれないなと思うんですね。口語で一人の言葉でありながら、「生まれたぜ」じゃなくて、女性がかつてまとってた、権力をもたない側であった存在としてのことばのニュアンスとして、蛍の命を切実なものとして響かせるために、当時これがよいととしおが選んだのは、女性言葉のなかにある無名性、なにかスポットが社会的にあたるわけではないけれども、それでもいまを生きているものとしての庶民性、無名性を引き出すためにおんなことばをかつて使われたというのも、ことばの無名性を引き出すために活用されているんじゃないか。権力と反対側にあるものとして俳句がこれまでいきてきたとしたんだとしたら、この句にも権力にあらがう無名性を、言葉としての口語が生きている俳句だと、性別の問題も多少歴史的に語りつつそんな解説ができるのではないかと思っています。
司会:口語/文語の文体選択の問題には限りませんけど、俳句を作るうえで自分、語る主体としての自分のジェンダーや年齢などをあえて強調して押し出す方向性と、普遍的な無名の存在にしていく方向性と両方あると思います。20年後の俳句を考えた場合に、どちらがより強くなるのでしょう?
神野:俳句は一人称の文学だと波郷がいったと思いますが、私はそこに書いてある俳句が一人称だった場合、〈さみしいといい〉の句の場合、「私」は神野紗希のことではないと思っていて。俳句にかかれるのはすべて一人の出来事というよりは、もっとオムニバス的なものだと思っているんですよね。そもそも連句自体が、いろんな人が出てくるわけですよね。一人称でもいろんな人が出てきて、三人称のひとも出てくるし、いろんな景色も出てくるし。俳句自身もそこに出てくる人間がすべてその作者の属性や存在に還元されなくてはならないというよりは、作ったこの句がちょっと若者風かもしれない。この句はいま介護に向き合っている人かもしれない。そういうものを一つ一つ詠んでいくことで、この社会全体や今をいきる人間を描くっていうことができるんじゃないかと思っていて。どうしても俳句ってそこに主語が入りにくいので、そこに書いていることは=作者のことだねってとらえられる場面も多々あると思うんですけど、むしろこの世界にいろんな命があって、いろんな生き方があって、その万あるたくさんのいのちのなかの一つの声を、毎回この一句で、この命をこの一句で書く、それらを束ねて一つのこの世界を描き切るということにつながるんじゃないかと。自分自身の作るときも、人の俳句を詠むときも、そういうふうに考える方が、俳句という詩がとても大きくて自由で、可能性に満ちたものだと感じられます。その主体がさまざまと感じられる感覚は、もしかすると時代の感覚ともあってきているかもしれなくて、柳生さんが20年後の俳句についておっしゃいましたが、かつてはここに住んでいて、この村の、その町でいきていて、お母さんならお母さんになるし、神野紗希なら神野紗希で。だけどいまはインターネットがあってSNSがあって、すべての人はいろんな人になれるわけですよね。ふだん家族のなかで生きている自分、仕事をしていたら誰かに接している自分、スペースのなかでアバターを使って出ていく自分。私という存在が一人の人間に集約されて、どこにも出ていけないこの、ある意味では強靭な私なんですけれども、そういった感覚が強かったかつての私という意識から、いまの人たちはこの複雑な社会のなかで感じている私の感覚というのはもっと多面的で、もっとたくさんの私から私が成り立っているという感覚じゃないかと思います。だしたら俳句だってそれでいいじゃんと。蛍が私のこともあれば、青鮫が私のこともあるし、蔦が私のこともあるし。人間だとしても女のときもあれば子供のときもある。それが全部自分の俳句になると、読む側も作る側もなっていくんだとしたら、二十年後もっと面白くなっていると考えています。
司会:口語文語のミックス文体、ちゃんぽんがむしろ本来のかたちに近いんじゃないかという議論は非常に魅力的です。たとえば文語の「や」とか「かな」の切字がミックス文体のなかで口語俳句として生き残っていく。「けり」は「た」になる一方、「かな」や「や」はそのままの形で口語の中に自然に溶け込んでいく可能性もある気もしてきました。山頭火の〈夕立やお地蔵さんもわたくしもずぶぬれ〉など基本口語調だと思うんですけど「や」という切字を入れてごく自然につながっていて。ミックス文体をずっと以前から先取りしていた感もある。我々、定型を主にやっている人間は、実は自由律俳句からの影響を大きく受けている可能性があるのに、そのあたりが自覚されていないのではないかという気がしないでもない。そのへん筑紫さんなにかお考えあります?
筑紫:例としてあげると池田澄子の〈じゃんけんで〉、やっぱり〈生まれたの〉に着目しちゃうけど、一句で価値もつのはそれだけじゃないと思うんですね。なにをして俳句たらしめているのかっていうのは、全体の中で生まれるのであって、「生まれたの」を使えばだれでも名句ができるかっていうとそんなことはない。いったい何をすれば名句に届くのか。それは「生まれたの」を使おうが使うまいわりとが同じ問題にさかのぼっていくんじゃないかと思うんですよね。
池田澄子がじゃんけんで負けて蛍に生まれたことは現実にはたぶんないと思うんですよ。これ誰がみても明らかだけどあまりみんなその議論しないじゃないですか。誰が主なのか。それでいうと、フィクション俳句なんですよね。かなり池田澄子が作り出している世界っていうところでは。そういう意味では攝津幸彦もしょっちゅうお父さんとかお母さん殺してました(笑)、俳句のなかで。攝津幸彦のお母さんはやはり俳人で、攝津よしこさんといって、桂信子の「草苑」の幹部同人だったんですが、そのとき宇多喜代子が「親殺して紛らわしいことしないでよ」って忠告をしたっていう。私もしょっちゅう作る句のなかで妻を殺したり逆に妻に殺されたりしてますから(笑)。そういう意味ではありとあらゆる俳句は、フィクションじゃないかなあと。同じ今日議論にならなかったけど飯田龍太の〈一月の川一月の谷の中〉って、あれどこもなにも書いてないんだけど、あらゆる人が狐川って、書いてないんだけど広瀬さんも延々あれ書きまくって原稿料稼いでるわけです。やっぱり俳句ってのは与えられてそこで終わってしまって、あとは解釈しか残ってない。それのが原点じゃないかっていう気がするんですね。兜太の句にしたって、〈彎曲し火傷し〉だって、言葉がやっぱり足りないところがあって、それを我々が想像して補って、解釈して名句にしちゃってる。そういう仕組みのなかでいったらいくらでも口語も使えるし、〈おおかみに蛍が〉っていうのも現実の風景としてはありえないわけで、そういう意味でフィクションとしてとらえて、そこで言葉ひとつひとつが効果的に使われるようになっているのか。そこが一番問題じゃないかと思いました。神野さんの「起立礼」の句も、これ絶対風生と島田摩耶子の隣に並べた方がよくわかりますよ。花鳥諷詠の真骨頂というか。ほかの戦争中の口語俳句なんかと並べるとちょっと違和感を覚えますよね。あの句はあの句でそういうとらえ方をするとものすごく引き立つので。
神野:わかります。わかりますというのはあれなんですけど、さっきの星野立子の晩年の口語俳句もそうですけど、近代になって正岡子規が写生という概念を持ち込んで、要はありのままを俳句にしようっていって。でも実際にはさっきの自由律もそうですけど、定型があるなかで自由にしようとすると、ありのままにしようとするとすごく難しいわけですよね。だから碧梧桐は新傾向俳句にいき自由律俳句という定型から自由になる俳句が生まれていった。一方で高浜虚子は写生の理念を引き継ぎながら、文語や口語をミックスさせていったわけですけど、そういう意味で星野立子が、定型の五七五の感覚を全然逸脱しないかたちで、季語もあり定型もあり、しかしそのことをあまり意識させずナチュラルに写生をやるのが、実はめちゃめちゃ難しいことをやってるんだけれども、もしかしたら正岡子規が写生っていってやりたかったのが、碧梧桐でも虚子でもなくて、さっきの立子の「風花」とかいい句ですよね。ああいうものが、子規の思い描いていた写生っていうものと、近代以前から続いている俳諧のエッセンスの融合だったのかなと思います。私自身も定型があり季語があり、でもそれが枠組みとしてではなく、とても自然なかたちで作品になるというものを作れたらいいなという気持ちでいるというと、そこに起立礼の句を並べていただくのはうれしいことですね。
筑紫:ですから、島田摩耶子のときに虚子が言ったのが「とにかくおもしろい」、「自然なんだ」と。この二つなんですね、虚子が許容できるのは。
神野:そういうものだっという思いで見れば、ホトトギスと反ホトトギスとか、文語対口語というよりも、子規が導入してその後の俳句で広がっていった自然とか自然体、写生、ありのまま、どう俳句の中で浸透して表現として実現されてきたのかというところに口語の問題もついでに出できたのかなという感じがします。
司会:自然ということで考えると、きっちりとした定型が自然な定型性にかわっていくと、そこに息遣いの感覚が入ってくる。それは本来自由律が求めていたものと接近していくこともあると思います。先ほどから話題にしている「た」止めの俳句にしても。
神野:自由律俳句にも「た」止めのは多いですよね。
司会:山頭火は〈酔うてこほろぎと寝ていたよ〉なんて昭和初年ぐらいにもう作っています。ある意味自由律俳句が先駆しているなと最近とみに思っていまして、今日たまたま会場に自由律俳句されている方がいらっしゃっているので、今までの議論踏まえてご感想などもいただければ。
山根もなか:現代俳句協会会員で、自由律俳句の結社におります山根もなかと申します。 ようやく山頭火という名前が出て、正直、涙を流しそうになりました。というのも、私たちは長く、荻原井泉水を核として自由律俳句を考えてきたからです。まず、私自身の「切れ」の捉え方からお話ししたいと思います。私にとって「切れ」とは、俳句における一つの装置です。それは確かに断絶を生みますが、同時に、あるイメージの時間や視点を分岐させ、別の方向へと接続していく回路でもあると考えています。井泉水自身も、いわゆる切れ字に強く依存していたわけではなく、 「切れを作る」というより、句の内部で意味や感覚が水平に変化していくことを重視していたのではないでしょうか。ですから私は、「切れ」を何かを断つための刃物のようなものではなく、世界を多方向に行き来するためのジャンクションのようなものだと捉えています。
この視点は、国際的に活動されている堀田季可さんの発言とも重なります。堀田さんは、世界的には自由律がむしろ主流であり、定型か口語か、自由律かといった問題は、日本固有の文脈に過ぎないと指摘されています。そう考えると、「型があるのだから、あとは書きたいように書けばよい」という、過度に配慮された姿勢そのものが、かえって俳句本来の緊張や息苦しさを生んでしまうのではないか、という疑問も湧いてきます。
自由律俳句を語るとき、必ず「では、俳句らしさとは何か」という問いに突き当たります。私自身、この問いに対して、いま最も注目すべきなのは若い世代だと感じています。定型と自由律という区分を過度に意識することなく、神野さんがおっしゃっていたように、現在、SNSを通じて、小さなコミューン、あるいは集落のような場が次々に生まれています。そこでは、「自分たちにとって俳句とは何か」という根源的な問いと向き合いながら、作品が生み出されています。 特に自由律俳句は、定型のような明確な型を持たないからこそ、「俳句とは何か」という問いそのものを、共同体として引き受けているのだと考えています。俳句らしさを疑いながら、同時に俳句らしさから学ぶ。その往復運動そのものを、共同体として引き受けている。このあり方自体が、非常にファジーで、しかし創造的なのだと思います。だからこそ、こうした動きは俳句を次の時代へ運んでいく力になるでしょうし、おおらかに言えば、俳句の未来は決して暗くない。
立場の違いを越えて、穏やかに仲良くしていけたらよい、そんなふうに感じています。
神野:素晴らしい。自由律俳句て何から自由なのかっていうがありますよね。自由律なので韻律から自由というふうについ考えがちだけど。それだけではない、いろんなものから自由になる力があるから、自由律俳句が成立しているんだろうなと思います。そういうことからいうと、教育現場における定型感覚っていうのが実はけっこう馬鹿にできないところがあって。うちの子が小学校4年生で、学校で俳句を作る機会がちょこちょこある。小学校3年生から俳句が国語のカリキュラムにも入ってきているので。で、うちの子がこの秋に授業で作った句が「そらをみるかかしのうらやましさがある」。そしたら先生が、五七五になってないから五七五にしないとだめだよって直してくれたっていうんですよ。句またがりからそもそもダメなのかっていうことと、もうひとつかつて平成の時代だったと思うんですけど、俳人協会のなかの人が教科書を作っている会社に、「自由律俳句が教科書に載っているのはおかしい」と、いうことを各教科書会社に送ったという事件があったんですよね。今は教科書にはちゃんと自由律俳句が載っていて、これも俳句だっていうふうに載っている。そのことが俳句の自由度をちゃんと確保するためにとても大事で。それが、教育現場が五七五の定型だけが俳句ですよと小さくなってしまうと、20年後の俳句が心配だなあと思って。うちの子には「句またがり」という技法があり、ヒーローの技のように繰り出すものなんだということを教えております。
司会:あと、自由律は定型俳句以上に無季も是とする側面があると思います。ここで話題を有季、無季に振ってみようと思うんですが、今回のアンケートの上位に無季句が一定数出てくるんですね。トップの白泉〈戦争が〉も、三鬼〈広島や〉も兜太〈彎曲し〉もそうですね。こういったアンケートで無季の句が選出されているということは、現代俳句協会の立場として無季句も俳句であることに疑いをさしはさまないという立場を意味します。一方で広く俳壇をみると、俳句のユネスコ文化遺産の登録問題で「無季俳句に関しては」と対象とすることに反対するような声もごく一部ですが聞こえてくる。ユネスコ問題でいろいろご苦労されている筑紫さんに、無季句の未来、季語の未来ということについてお話していただけませんでしょうか。
筑紫:ありがとうございます。待ってたんです(笑)。経緯が三つ四つありまして。まず歴史的な事件でここに昭和36年に現代俳句協会から俳人協会が独立した。ここが発端なんですが。その後角川から膨大な「現代俳句大系」が出たんですけど、ぜんぶ無季を排除しろという方針が角川源義社長から下って。十何巻に無季句集は入っていません。それからいま神野さんが言った、平成11年に俳人協会が教科書に掲載する俳句は有季現在定型を厳守せよっていう意見書を会長名で出したんですね。これに教科書会社が怒って抗議してきた。笑っちゃうのは現代俳句協会が抗議しなかったこと。私は当時俳人協会にいたので、なんてだらしのない協会だって思っていたものです。なんとなくそれが落ち着いて、その後も相変わらず俳人協会の副会長が「無季・自由律は俳句に似たもの」であるということを公言したり。もうだめなのかなと思ったら不思議なことに、ユネスコ登録が始まって、4協会が一緒にユネスコ登録推進協議会に参加しちゃったんですね。参加した経緯が、おそらく誰も知らなかったので、私が今年いろいろ古文書を調べたところ、そのときとりまとめた有馬さんが、俳句は有季と定型で、プラスその周辺の無季俳句、自由律を包括している考え方ですって宣言しているので、一気に問題は解決したということです。前の会長がそういうことを言ったからといって、現在の会長がそうかどうかわからんといって、後藤専務理事と一緒に今年8月行脚をしてまいりまして。国際俳句協会、伝統俳句協会、俳人協会。念のため現代俳句協会の会長も、副会長やってる星野さん(国際俳句協会会長)にも聞いても賛成しましたから、全協会が無季、自由律を入れることに賛成しましたので、今年をもってこの問題は解決しました。みなさんご安心ください。(拍手)そのうえでどうなるかということですけど。今日本当はここに対馬さんが見えてたら伺いたかったんだけど、有馬さんがなんで伝統俳人で無季自由律を入れるのかっていうと、有馬さんはユネスコ問題なんかより関心が深かったのは国際俳句なんですね。さきほどいったように平成29年にユネスコ推進協議会を作ったけど、そのはるか前、平成12年に、国際俳句に関する「松山宣言」を兜太、有馬さん、それからいろんな文学者、詩人と一緒になってまとめて、その宣言書のなかで、二つ提案しているんです。正岡子規国際俳句研究所の創設と、国際俳句賞の創設。国際俳句賞はすぐ創設されて、外国人含めて二十人ぐらいが受賞していて、ちゃんとした成果を挙げたんですが。スポンサーである愛媛県が金がなかったんで研究所はとうとう作れなかった。ただここで有馬さんが言いたかったのは、国際俳句も含めて「俳句とはなにか」という結論を出してほしいというのが悲願だった。そういうことを想ってるからこそ、ユネスコの登録をするときに無季も自由律もみんな入るんだということで、稲畑さんも鷹羽さんも抵抗したと思いますけれども、それを押し切ってこういう結果になったということでしょう。実は今年をもって俳句は本当に自由になったということができます。これはそれぞれの機関誌、「現代俳句」「HIA」にも掲載されました。皆さん心おきなく無季、自由律俳句を作れる。ぶっちゃけ言うと実は有馬さんは無季より自由律俳句の方が好きなんです。というのは、世界的に認められている俳人はたった二人しかいないそうです、松尾芭蕉と種田山頭火なんです。順番がいつも無季、自由律ではなくて、自由律、無季なんです。それは兄弟みたいなものだから構わないんですけど、有馬さんという人は現代俳句協会にとって非常に恩人であるということで、ご冥福をお祈りしたいと思いますが。そういうことでご心配のないように、もう四協会は手打ちが済んだということでご了承ください。
司会:とても心強い現状をご説明いただいて、一安心という感じがいたします。無季俳句に関しては先ほど、高野ムツオ会長が全国大会で「昭和俳句」という演題で講演された最後のところで、次の四句を選んで言及されていました。
戦争が廊下の奥に立つてゐた
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
切り株はじいんじいんと響くなり
切り株があり愚直の斧があり
先ほども出ましたけど、この4句は全部無季ですね。高野会長自身は有季の俳句を主に作っており、季語の世界はすごく大事だと語っている。ただ自分の場合、大震災や戦争に直面すると無季になることがあり、さらに自分が戦後の代表作を選ぼうとすると、挙がってくるのは無季の句であると。ここには俳句のおそろしい底力があると感じるともおっしゃっています。
反面、最近は熊が人里に出現したというニュースがさかんに伝えられ、気候変動の話と関連付けられもします。こうした気候にまつわる問題が人間自身の存続、さらに地球全体の存続にとって決定的であるということがむしろ以前より明確に自覚されてきた。未来になるとだんだん季節の感覚が薄れていくというのはむしろ逆でしょうし、その分、有季性は人間中心主義(アントロポセントリズム)へのアンチテーゼたる俳句のもつ重要な特質として人新世(アントロポセン)という時代の中で維持されていく気もします。
それでは最後に冒頭申し上げましたように20年後の俳句がどうなっているかという議論をしてみましょうか。この三人の中で私と筑紫さんは20年後どうなっているか必ずしも保証はないのですが、神野さんはほぼ確実にまだ俳句を作っているはずですね。俳句に絶望していなければ。ならば今日話されたことは20年後にどれだけ的確だったか検証されるべきだし、神野さんが20年後にそうしていただければと期待します。
その前提として、この3人が20年後の自分、もしくは他の俳人でもいいですけれど、こんな俳句を作っているに違いない、という句を出してもらうという、無茶振りを私からしました。これから披露しますが、なかなかおもしろいというか、わけわからんという句になっています。一句ずつ自解をしつつ、今日の議論のまとめをしていただきたいと思います。言い出しっぺの私からいきます。
大足のおほかみ大口でもあつた
正名
兜太の弟子ですので、おおかみをいただきました。「た」の切字性が確立するだろうとの思いも込めています。さらに「大足OOAsI」と「おほかみOOkAmI」という韻を踏んだ。日本語の韻は母音のつながり方を基調にしていますから、「大口OOgUtI」もかなり韻が一致していますね。なぜそうしたかというと、若者には周知のことですが、昨今、日本語のポップスが世界で受けています。「アイドル」というYOASOBIの曲とか、Creepy Nutsというヒップホップユニットの日本語ラップ。世界中の人が日本語を聞いて、意味は分からないのに何かいいと思ってくれているのは、たぶん「アイドル」はラップ形式で書いた部分があって、そこは韻を踏んでいる。クリーピーナッツの曲は完全に韻を意識している。韻を踏んでいると、日本語は意味が分からない人の耳にも魅力的に響くのではないかという気がします。
実はこの句もラップ調で読み上げ可能です。日本語俳句で押韻の問題は今まで軽く見られていたけど、日本語の俳句が日本語のままで魅力的な事実を世界に伝えるのに韻は大事な要素ではないかと思っています。
ラップバトルってありますね。二人のラッパーが韻を踏みながら掛け合いで言葉を紡ぎ合っていく。つまり連句みたいなものですね。例えばこの句に対して、〈おおかみは兜太に激似まねっこだ〉と混ぜっ返して付けてみたり。実は「おおかOOkA」と「とおたtOOtA」は韻を踏んでるんですよ。だから兜太がおおかみの句を読んだのは自分の名と韻を踏んでるからじゃないかと最近思い始めたんですけれども。ラップバトルは相手の韻を引き継ぐことで、言葉の意味上では相手の句をけなしつつ、音韻では相手の押韻の手際へのリスペクトを表現している。聴衆がそういう互いの音韻構成の見事さに気付き、歓声を挙げたりもする。俳句の「座の文学」性をさらに回復し、強化していくためにも韻を踏むことは面白い試みと確信しています。
順番で神野さんお願いします。
神野:ほんとに無茶ぶりだと思っていて。二十年後のことは二十年後の私に任せるとして。もし二十年後を考えるとすれば、たとえばいま何が大きく変化しているかといえば、今日あんまり話題に上がらなかったですけどAIの問題ですよね。私たちがなにかを考えたり、喋ったり、暮らしていく中でどんどんどんどん活用されているのがAIです。AIはこれからもっともっと私たちのくらしを便利にもするし、一方で、AIがある時代のなかで私たちの残されたものはなんだろう。AIが俳句を作れる時代になったときに、私たちがAIじゃない人間として作りたいものってなんだろうということで、とてもわかりやすい句を、人間、二十年後のヒューマニズムがどういう形で残るかっていうことで、こういう風に日常の、二十年後の日常を想像しつつ作りました。
バーチャルフィギュアの母よく喋る雑魚ごはん
紗希
戦火のなかの俳句になる可能性もあるなと思いつつ、いまの政治や社会をみていると、もっとこわい俳句になる可能性もあるなと思いつつ、言葉の力でそれを引き寄せるのはとてもおそろしいので、この日常がこのままいろいろな変化をしながら続いていったとしての日常です。バーチャルフィギュアっていうのはホログラムで投影された人間の姿ですね。母がもう死んでしまっても、かつての母の情報を取り入れれれば、バーチャルフィギュアによってずっとそこに母はいます。死んだ人間と一緒に暮らす未来というのが二十年後にはきっときているだろうと。もう死んだはずの母と、バーチャルフィギュアの母が、生前のように、生前とは違う今の話をしている、そういう死者とも共存している日常というもののなかに、私がいたら、こういうことを、日常の当たり前のナチュラルな俳句として詠むんじゃなかろうかと想像をして作ってみました。さきの無季の俳句として高野さんが挙げてらっしゃったのも、基本的には人間を詠んだ句でしたね。AIが拡大してく時代のなかで、なにが残されていうかというときに、やっぱり人間、ヒューマニズムの問題は再認識されていくところかと思うんですけれども。一方で、さっき最後に、お話していた、私たちは大きな物語の時代には戻れない、唯一無二の神様があって、唯一無二の権力者が決めてくれる価値観に従って生きていくみたいなことはもうポストモダン以後の私たちにはできないわけですけれども。それをしたいという人がいまポピュリズムに走っているわけですけど。でもそういうポピュリズムにいかないで、でもポストモダンの時代を人間として生きていくためにはどうしたらいいかっていうときに、「私」という個別の人間が語るなかに、おのずと社会が現れてくると。さっき磐井さんも、口語俳句を作ろうとして作るんじゃなくて、結果的に口語になると。社会の俳句にしても普通に作ったらそこに社会が入ってくるように、個別の一人の人間が、AIじゃない人間が語るなかに、生きた人間があり生きた時代があり社会や歴史もあるという句がこれからより重要視されていくんじゃないか。そうなっていけばいいなという気持ちも込めて。個人史のなかに社会がある例として挙げてみました。
司会:ありがとうございます。次筑紫さん。これなかなか読み方からして。
筑紫:読めなくてもいいわけです。(笑)視覚で感じてもらえれば。
渾 煌めく犠
磐井
どだい無茶ぶりな話なので、こうやって並べば私が一番なに言い出すかなって、みなさんのご期待に応えなきゃいけないと思って考えました。いちおう理屈はあるんですよ。俳句の未来だから、未来の予測理論があるべきで。これ、理論を考えてみると二十通りぐらいあるんだけど、私は前衛派には属するんで、前衛派がなにをめざすか。私が利用した理論は金子兜太の造型俳句論。解釈はいろいろありますけど、イメージ論に着目した。それから種田山頭火ですね。やっぱり短律を目指していく点は素晴らしい。実は私自身は自由律短歌をまずやって、それから俳句にきたんです。自由律短歌と俳句が違うのは、自由律短歌は31プラスマイナスαが自由律短歌。ところが自由律俳句というのは極限まで、四文字とか三文字まで短くなる。あれはちょっと自由律俳句の珍しい特色だろうと思う。それからもう一つは、アヴァンギャルドというと普通はシュールレアリスムだけど、私はイタリア未来派って注目してるんです。なぜかっていうと、山口誓子と兜太って、案外イタリア未来派の影響を受けてるんじゃないかなって思います。イタリア未来派はなにを主張したかっていうと、助詞と助動詞を使用しません。名詞と動詞だけで詩はできるっていう主張で。だから現代風景をそれでどんどん書いていったら、結局は定型をぶち壊すというところにたどり着く。たぶんAI俳句ができないのは、俳句をぶち壊すことなので、一足先に私が打ち壊してみようかと。短歌はぶち壊すと俳句に近づく。俳句はどんなにぶち壊しても俳句であり続ける。そういう点もありまして、作ったのはいいけど、意味なんてないのです。まず最初に「渾沌」と入れようとしたけど、「沌」の字いらないですよね。「渾沌」になるに決まってるんだから。「犠牲」もね、前から思ってるんだけど、「犠」だけで十分だと。たぶん未来の俳句っていうのは、できるだけ言葉を。未来の俳句ではなくて未来の前衛俳句というのは、どんどんそぎ落としていくと、その結果残るものだけになる。そう言う予測をたてまして。ただそうすると、ネガティブなイメージばっかりなので、ここに、間に華やかな「煌めく」を入れたと。なにを意味しているかを作家もわからないし、たぶん読者が勝手に判断できるんじゃないかなあ、できたらいいなあと。もしそういうのができたとしたら、私がその先駆者になるわけだから、今日この場で第一号を作ったという、そういう思惑で出させていただいたものです。以上です。