俳句の「読み」とAIと
👤田中信克

生成AIが普及して久しい。
22年の秋、OpenAIがChatGPTを公開した時は、その応答の速さと親しみ易い日本語の表現に驚嘆したものだが、現在はすっかり日常生活に溶け込んでいる。
Googleで検索を掛ければ、最初に表示されるのは「AIの回答」であり、仕事上の課題解決や企画のヒントをAIに求めるのは茶飯事になっている。
AIとは便利なもので、此方の質問がいい加減な言葉の羅列であっても、質問の意図を汲んでそれなりの答えを出してくれる。
こちらがさらに尋ねると、その追加情報を加味して深堀し、より相応しい回答を返してくれる。
なんだか楽しくて、この「会話」に長い時間を費やしてしまったという経験をお持ちの方も多いだろう。

私は常々、このAIとの対話は、俳句の「読み」に似ていると思っている。
俳句はもともと極端に短い詩形なので、言いたいことの全ては包み込めない。
読者は、十七音中に鏤められた言葉の片々から、自分の知識や経験に照らして様々な「読み」を行い、作者の意図を汲みながら、どう解釈するかの「筋立て」を考え、コメントや評文の形で「表現」することになる。
AIも同じように、我々からプロンプト(質問)を受け取ると、アクセス可能なビックデータに回答の為の材料(データ)を求め、質問者の意図に沿うようにロジック(筋書き)を組み立てて、それらを分かりやすい文章(表現)に仕立てて回答してくれる。
なんと似ていることだろうか。

このことは俳句の共感性にも関わる問題だ。
文芸である以上、多くの人々に共通する感動をもたらすことは理想だが、多様性と複雑性が深化する世界にあっては、作品の背景事情や感情の在り方は千差万別なものとなる。
その際に、私は、俳句が持つこの「対話性」が相互理解(共感性)の鍵になると思うのだ。
もともと日本の詩歌は、和歌の相聞に始まり、連歌や俳諧における発句と連句との間の思い遣りの交換、発想の共有と想像の展開に特徴がある。
俳句が発句の形を以て全世界への相聞の形を採るならば、新しい共感性は、作品の持つ「伝達性」よりもむしろ「読み」の方に委ねられるのではなかろうか。
このことを考える時、先程のAIの読みと回答のプロセスは大変参考になると思うのである。
俳句の解釈によって難解句が名句に変わることはよくあるが、もしかしたらAIはその達人となり得るのかもしれない。

梅ふふむAIそっと恋をする

田中信克(たなかのぶかつ)
1962年東京都生まれ。荒川区在住。
「海原」同人、「青山俳句工場」、「豆の木」所属
現代俳句協会会員