
俳句の未来を考える
【上】
2025年11月24日に「ゆいの森あらかわ」で開催された第50回現代俳句講座の内容を2回に分けてご紹介します。

👤柳生正名
今日のテーマは「昭和百年俳句はどこへ向かうのか」ということですけれども、前半の第一部は現俳協で行ったアンケートの結果をご報告するところから始めて、後半で俳句の未来を考えていくということにしたいと思います。早速ですが2025年は昭和百年、なおかつ戦後八十年という非常に日本の歴史のなかで特筆すべきタイミングです。その2025年に、今の現代俳句とは何なのかということが基本的な問題意識としてあり、二回にわたるアンケートを行っております。「現代俳句」について問う内容ですけれども、その「現代俳句」の定義はこちらからはしない。定義の選択肢を提示し、この中から選んでくださいという前提なしに現代俳句を代表する作品を直接選んでもらう。
「現代」というのは「今と現代はどう違うのか」などと考えて行くとなかなか難しいですが、「過去と未来の触れ合う時間」、過去と未来の接点こそが今であり、現代です。これを俳句に置き換えると、過去の伝統は踏まえていなければ現代俳句とはいえない。一方、これから来る未来を先取りしている側面もあるのではないか。「現代俳句」という以上、未来の俳句の姿の片鱗が覗いているのではないかと思います。今回は現代俳句の具体的作品の傾向から未来を読み取る、それがアンケートの趣旨であるという考え方で話を進めたいと思います。
第一次アンケートはこの春に行いました。現代俳句協会副会長理事25人全員に私が推す現代俳句の五人五句を選んでいただいたわけです。現俳協会員誌『現代俳句』5、6月号の冊子版、ウエブ版でも結果は一般公開しています。最高点が4点でした、その5句がこちらです。
蝶墜ちて大音響の結氷期
富澤赤黄男
頭の中で白い夏野となつてゐる
高屋窓秋
戦争が廊下の奥に立つてゐた
渡邉白泉
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
金子兜太
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
池田澄子
次の3点句はなくて、2点句が5句ありました。
広島や卵食ふ時口ひらく
西東三鬼
雲秋意琴を売らんと横抱きに
中島斌雄
銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく
金子兜太
月の赤子はいまも宙を蹴る
宇多喜代子
地下鉄にかすかな峠ありて夏至
正木ゆう子
逆にいうと複数の人が選んでいるのはそれだけ。現俳協の副会長・理事連は一癖も二癖もある面々なので重複しそうなものはあえて選ばなかったのかもしれません。
作者別にみていきますと66人の俳人が登場し、これは金子兜太がトップで13人でした。続いて富沢赤黄男が7人、池田澄子さんが6人、現役の俳人もそうでない方も登場されています。
西東三鬼、高屋窓秋、渡辺白泉、松尾芭蕉あと正岡子規、高柳重信‥‥‥ 神野紗希さんも二人の選を得ております。そうそうたるメンバーではあるんですけれども、ここで注目しなくてはいけないのは松尾芭蕉です。松尾芭蕉が現代俳句なんですかという質問は必ず出てきます。私も実は芭蕉までは想定はしていませんでしたけれども、こちらは現代俳句について一切の限定はしていませんので、出てきてももちろん問題はない。ただこれを発表した後に、一部の方から松尾芭蕉まで出るんですかと声が上がりました。その時に私なりに考えたのは、芭蕉の唱えた俳句理念「不易流行」ですね。「去来抄」に出てくる言葉です。
不易を知らざればもとたちがたく、流行を知らざれば風新たならず、その本は一つなり
一般に不易流行は「変わらないものと変わるものと両方ある」と理解されているふしもありますが、芭蕉が言いたかったのはそのもとは一つということ。「不易」と「流行」は決して別のものではなく、一つのものの裏表、両側面、根本を突き詰めると一に帰す。そういうことが根幹ではないかと思います。
一方、19世紀のフランス象徴派の詩人にシャルル・ボードレールという人がいまして、この人は詩を作る一方で美術評論も行った。そのなかで提唱した理念が「モデルニテ」。英語ならモダニティ、「現代性」ということで、現代における美は移り変わるものと永遠性の両側面からなるという考え方のようです。これは芭蕉の不易流行と同じ考え方ではないか。ボードレールは芭蕉より200年ぐらい後の人ですし、地理的にも東洋の片隅の島国とヨーロッパ大陸の真ん中という時空を隔て、互いの存在はもちろん知らない。その2人が基本的に同じ発想を持ったとすれば非常に驚くべきことです。
モデルニテという理念は、後の詩人たちに大きな影響を与えています。かのランボオの詩人としての遺書といえる散文詩集『地獄の季節』に『永別』という一篇がありますが、そこにランボオは
徹底的に現代的でなければならない
と記している。この「現代的」がボードレールからきているのは間違いない。私の場合、高校時代に読み、この一言が自分の中で決定的なスローガンになりました。今、「現代俳句」に関わっているのもその結果です。それだけボードレールの「モデルニテ」の影響力は大きく、そもそも「現代詩」という理念が成り立つようになったのは彼以降でしょう。その「モデルニテ」を200年先んじて芭蕉はすでに知っていた。言葉は知らずとも本質的な部分を共有していたと考えれば、芭蕉の作が「現代俳句」というのもさほど無理がない気がしてくるわけです。
以上の第1次アンケートに加えて、第2次アンケートをこの秋に実施しました。今回は3人3句選ということで協会の評議員約150人全員に質問状を送り、4分の3弱から回答を得ました。結果は本日初めて発表いたします。世界初公開ということで本来はファンファーレぐらい用意しなくてはいけないんですが、時間の関係で上位のみ簡単にご紹介します。今回3位は8点集めた2句が両方とも同じ作者の作です。
おおかみに螢が一つ付いていた
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
金子兜太
兜太がくしくも同率三位を二句で占めたことになります。実は次が一位が同率で並びました。これが今回の最高点句になりますね。こうなりました。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
池田澄子
戦争が廊下の奥に立っていた
渡邉白泉
ここで気づくことなんですけれども、まず第一に上位に並んだ句の大多数が口語調の句といえます。上位4作でいっても、終助詞「た」を用いた句が多いですが、「た」で終わるということは口語ですよね。「た」を用いていない「梅咲いて」も文語でしたら「梅咲きて」ですから口語調。4句とも口語句だと思うんですね。第二に四句のうち三句までが「た」止めです。これにはちょっとびっくりしました。
これ以外の詳しい内容は資料を後ほどお配りしますのでそれをご参照ください。
以上をみて直感的に思うのは、現代俳句においては口語化が進んでいるという感覚です。実感としても口語調の句を見ることが増えています。俳句の口語化を考える場合、問題になるのは俳句にとって本質的とされる要素が文体の基調が変わる際にどう変化するか、ということです。例えば定型とか季語季題は、俳句にとって必須とは言わぬまでも、相当に本質的な要素である点に異論はないかと思います。こうしたもののうちの何が口語になっても受け継がれ、一方で口語になって捨てられてしまうものが何かあるか、です。
定型と季語季題については現在の口語俳句の中に自然と実現されており、既に内在化しているといってよい。問題になるのは切字ではないかと思います。俳句の重要な要素とされるもののなかで、切字が口語になっても存在するのかというのが論点になる。今までのところ口語でも俳句には切字があるという発言を私は聞いたことがない。口語句を詠む中で「これが口語の切字」と明言された方はいらっしゃるのでしょうか。いれば大いに参考にさせていただきたいし、いないとすれば少し挑発的な言い回しながら、口語句がここまで普通になった現状では一種の知的怠慢とされてもやむをえないのではないでしょうか。
今後、口語と文語の関係が俳句においてどうなっていくかを考えるとき、口/文語それぞれの表現力の差を意識する必要があります。口語でしか、文語でしか表現できないことがあるのか。口語に切字がない場合、文語俳句において切字でしか表現できないと俳人が感じていたものは口語俳句では表現できなくなる。そうなると口語に切字がないことは寂しい、というより困る気がしてきます。文語の切字で表現できたものが表現可能となる同等の手立てが口語でもあるべきだ。これは意見というよりは私の気持ですね。
今、背後に映しているパワーポイントの表示に「『た』止めの切字性⁉」と書きましたが、「た」というのは切字と言っていいというのが私の仮説です。「けり」という切字が文語にあり、これは本来、過去の助動詞だってわけで、「た」というのも口語の過去の助動詞ですから、似た性格があるのではないか。ならば「た」に切字性を認めてもよいというのが、私のなかで最近芽をもたげつつある考え方です。
ちなみに最近見つけて非常に興味深かったんですけれども、雑誌『くらしの手帖』夏号で池田澄子さんが評議員アンケートでトップに輝いた〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉の句が生れたいきさつを語っています。この句は池田さんが師と仰ぐ三橋敏雄との度重なるやり取りを経た添削の末、生まれたものであることを率直に認められています。衝撃的なのは、池田さんが下五を〈生まれたの〉にしたのは三橋敏雄のアイディアと明言されている点です。ならば、この〈生まれたの〉は深い信頼に結ばれた現代俳句の巨人2人の、ある意味で「合作」だったともいえる。こうした経緯こそ、句末の〈たの〉という修辞がこの五七五の言葉を歴史的一句として屹立させる根源的な足場——それこそが切字の持つ本質的なはたらきです——を築き上げる原動力となったことを意味します。
逆にいうと、口語文体にこれまで誰も言及していない切字に当たる語を用いるという挑戦に踏み出すには、子弟の深い縁のみが生み出し得る「勇気」、いやむしろ「蛮勇」が必要だったのかもしれません。それを知って、ますます「た」は切字といっていいという確信が私の中で強まった実感があります。
続いて作家別ランキング見ていきます。これは金子兜太がダントツですね。続いて池田澄子さんが入ってますね。現役俳人では高野会長も上位。宇多喜代子氏。大井恒之さんも入っておられます。
ということで私の話はこれまでですが、後半については口語と文語の表現力の違いあたりから、他の方の意見も伺いつつ進めたいと思います。
👤なつはづき
今回のアンケートで上位に選出された現役俳人から池田澄子さんと大井恒之さん、高野ムツオ会長から感想などをいただいており、ご紹介したいと思います。
⬇️こちらのPDFをご参照ください

第50回現代俳句講座投影スライド(なつはづき)
👤筑紫磐井
実は昨年この会場で高野ムツオさんと星野高士さんと座談会をしました。私がいまのなつさんのような司会をしていたんです。非常に内容は充実していたんですが、あとで言われたのが、司会がなにか物言いたそうな顔してたね、ということで、今回は私が壇上で、みなさんになんの質問も許さず、20分間勝手にしゃべらせていただくということにさせていただきたいと思っています(笑)。
私が使うのはこういう資料で、柳生編集長の分析的なお話のあとに、少し今のお話をひっくり返すような話をさせていただきます。今回一年にわたって、柳生編集長がいろいろアンケートを集めていただいて、非常に充実した内容だったんですがまず冒頭に文句をいいたいと思います。アンケートは企画者の枠組みの中でやりますので、こんなことがまずは気になりました。
一番が母集団の性格ですね。当然ながら俳人協会、日本伝統俳句協会が入っていないですね。それから回答者は副会長、理事、評議員ですから、会員がいない。特に最近入ったばっかりの会員がどんな意見かというのを必ずしも捕まえていないかもしれない。それから時期がなにせ昭和百年という長い時間なのに今年一年のアンケートでやったのかが気になります。それから母数が十分か、133件だったんですが、こういうアンケートを分析するのにこれで十分なのか、ということもあります。それで私はどちらかというと俳句研究者ですので、時間を隔てたほかの資料を使って分析してみたい。他の二つの資料を使い、あわせて「三点測量」をしたい。この言葉は文化人類学なんかでよくいう言葉だそうです。そうした資料と比べて今度の柳生さんのしていただいたアンケートの全体的な評価につなげたいなと思っております。
そのひとつ目が、平成4年に角川書店の『俳句』が行ったアンケートがございます。はがきで募集した、
ですから回答数がすさまじくて1681通。そこでトップ30というのが発表されております。一番が飯田龍太、二番が森澄雄、三番が能村登四郎、四番が加藤楸邨、五番が鷹羽狩行、六番が角川春樹となっています。柳生さんのものと全然顔ぶれが違うのといのはこれでよくおわかりいただけると思います。ちなみに一番下に書きましたがわりとこのアンケートは公明正大にやったので、回答者はどんな結社から寄せられたかという根拠が示されていて『ホトトギス』が1番、『雲母』が2番、3番が『鶴』、4番が『馬酔木』ということで、現代俳句協会員がいない結社から集まった、その結果がこうだということです。ただ平成4年11月のアンケートだということは、要は昭和末年までの俳句を評価したアンケートになるだろうと思います。ちょっと余計な話ですが、この時代は角川書店は、秋山みのる編集長によって「結社の時代」というキャンペーンが張られていて俳句上達法の特集ばかり進めていた大衆化の時代であります。もうひとつ平成4年と言う年ががショッキングなのは、飯田龍太が『雲母』終刊しているのです。ですから非常に端境期にあたる微妙な時期のアンケートなので、それなりに価値はあるんじゃないかと思います。
ただこれだけ順番だけ並べて現俳の作家が少ないとかみてもしようがないので、これちょっと分析してみたらとやってみたのが、こういうことです。世代別に作家を挙げて、トップ30に入った人と、落とされた人対比してみました。柳生さんが今回のアンケートで芭蕉が上がっていたと驚いていましたがこのときもけっこう江戸時代の人が取り上げられていまして、そのとき26位が与謝野蕪村、28位が松尾芭蕉となっています。ですから誰がやっても芭蕉というのは上がってくるんだなと思いました。角川のアンケートは毎年やってまして、前年は芭蕉が15位だたったかな、蕪村より芭蕉の方が上だったんです。変わらないのが小林一茶で出てこない。兜太先生が怒り出すんじゃないかと思いますけれども(笑)。
それから明治の作家になりますと、正岡子規、碧梧桐、夏目漱石といったところは上がってきていません。これは山本健吉の『現代俳句』に明治を代表する作家として出ている作家なんですけど、この人たちは無視されて、虚子一人になっちゃってるようです。その次の時代は大正世代作家になると思いますが、飯田蛇笏だけが上がっています。25位です。龍太が一位になってますから、それのおこぼれかもしれません。次に4S時代に突入するわけですけれども、7位が阿波野青畝、17位が山口誓子、水原秋櫻子はないんですが前年は16位だったので、4Sのうちの3人はそれなりにトップ30に入ってきていると見てよい。高野素十はちょっとはずれてしまっているなということがわかります。なんで阿波野青畝だけ点が高いかということ、このときまだ生きているからなんです。あとから出て来る4位の楸邨もそうです。生きている人は強いというのはいえると思います。それから時代を下って新興俳句世代。これはすごい、誰もいません。これで現俳協のアンケートと角川のアンケートがいかに違うかということがよくわかります。私は西東三鬼ぐらいは上がってもいいんじゃないかなと思っていましたけど、見事に全員外れていました。新興俳句のライバルである人間探求派は、加藤楸邨は4位、石田波郷15位なんですが、これもちょっとショックだったのが、中村草田男は上がってないんですよね。昭和を代表する俳人では私は中村草田男がダントツではないかと思っているのに、結局このアンケートでは上がってこなかったと、こういうことになっています。
今度は一番脚光を浴びる戦後派ですが、先ほどの飯田龍太らのあとちょっと間をあけて8位が藤田湘子、9位で金子兜太。伝統派の人たちでもそれなりには評価をしているけれども、ダントツとは思っていない。先ほど「俳壇的」と大井さんも言ってましたけど、俳壇的にみるとこういうことになっているのかもしれません。
その次の世代ですけれども、いわゆる昭和一桁世代になりますが。5位に鷹羽狩行、しかし同世代の現俳協の阿部完市も宇多喜代子も、あるいは俳人協会の鍵和田秞子といった人たちも上がってきていません。その後の若い世代では角川春樹、黒田杏子がいると。あとは分類しにくい作家はご説明しませんけれど。これがいわゆる俳壇的にみた評価だということで、現俳協のアンケートと照らし合わせるのに一つの材料になるのかなと。
もうひとつの資料が『俳句界』が平成29年に行ったアンケートですが、すでに平成が終わるということがある程度わかってまして、平成俳句の総まとめといった特集になっています。平成を代表する俳人を募集したところ、175人の回答、著名俳人にアンケートをとったことになっています。金子兜太が25点、これはダントツではあるんですね。回答した人たちもそれなりの見識で選んでいるのではないかと思います。第2位が宇多喜代子と鷹羽狩行で10点。ここに戦後生まれで一番点を集めたのが田中裕明の6点、5位に有馬さんがいるほか、関悦史、高野ムツオといった戦後世代がいる。それから8位が稲畑汀子と正木ゆう子が4点と。
これは角川がやった平成4年のと比べてみると、ある程度わかると思いますけれど、この昭和一桁世代の人は金子兜太を除いてみんな死んじゃったから、けっこう横滑りで平成の代表作家になってきたのがここにいる人たちだと思います。ただ前に上がってた岡本眸さんとか上田五千石はわりと早く引退したり亡くなったりしたものですから名前が消えています、その意味ではわりと角川の俳句とのアンケートとの連続性はあるんじゃないかなと思っています。こんなことが私が集めた資料からわかったので、現在、平成、昭和を考えるときには、いちおう参考になるのかなとご覧いただきました。一つ忘れてました。それで平成を代表する句はなにかと同じ人たちに訊いた結果が上がっています、点数はそんなに開かないんですが、一番多かったのが「おおかみに蛍がひとつついていた」金子兜太。それから「一瞬にしてみな遺品雲の峰」櫂未知子、「ふたごなら同じ死に顔桃の花」照井さん。「まだもののかたちに雪の積りをり」片山由美子、まあちょっとどうかなと思う句も混じってると思いますが、全般にいえるのは平成の社会的な大事件、サリン事件、9.11のテロ、東日本大震災とか、そういうのがみんなの投票行為に反映しているんじゃないかという気がいたします。こういう風に三代にわたるアンケートをしてみた結果、私の非常に独断的な結論というか評価を見ていただきたいと思います。
アイロニカルなまとめとして、
・回答者の所属協会、結社により人気作家、人気句は大きく変化する
・世代間で上昇・降下が激しい
・昭和(戦後)は龍太の時代、平成は兜太の時代(ミーハー感覚で)
・分裂した俳句界を統合する理念は生まれていない
・夏石番矢、長谷川櫂、小澤實が登場してこなかったのは同世代としてショックだった。
・こうした現代俳句史の流れの中で、新しい世代はどうやって生まれるのか、残るのか
どうやって生まれるかはそんなに難しくないので、どうやって残る算段とるかというのがむしろ戦略的に大事なのではないか、そのためにいろいろ古い資料を掘り返して、なにか教訓になることがあるのではないかと、そういうつもりで今日はお話してみた次第です。以上でございます。
👤神野紗希
みなさんこんにちは。この会に参加する前、今日の午前は近所の田んぼのお手伝いで収穫祭があって、羽釜でお米を炊いて、焚火で芋を焼いて、子どもと空の下で食べてきました。まるで昭和の風景でしたが、私自身は昭和58年生まれです。物心ついたときには平成になっていて、今年は「昭和百年」というテーマを現代俳句協会が掲げているんですけれども、正直、昭和百年のほとんどを体感していません。平成以後しか直接知らないので、昭和百年といったときに、平成はどこ行った?みたいな、私の知っている平成は、令和は、なかったことになっているの? みたいな気持ちが一方で出てきます。「昭和百年」とくくったときに、そこから零れ落ちるものもあるのではないか。そのあたりの問題意識も軽くお話しながら、逆に私の知らない昭和について、先輩方のお話を伺いながら考えを深めたい、というのが今日の私のテーマでございます。このあとの討議につながるように、現代俳句から現代の俳句へ、ということで、口語の変遷と題し、アンケートの上位作品から時代をさかのぼって、口語の話をしてみます。
そもそもこのアンケート、柳生さんがおっしゃったように「現代俳句」の定義はそれぞれにお任せしますというアンケートでした。なので「現代俳句」を選んだ人もいれば「現代の俳句」を選んだ人もいるのでは、と。
そもそも「現代」という言葉が、この日本でいつできたのか。初出は「モダン」の翻訳だと思うんですけれども、明治31年、『風俗画報』という雑誌が初めといわれています。近代になって外国の言葉・概念が入ってくるなかで「恋愛」や「文学」などの翻訳語が新しく創出されましたが、そのなかの一つ。俳句では、大正14年に俳句の雑誌『現代俳句』が素人社から出されます。それから昭和21年、戦後すぐに石田波郷がやはり『現代俳句』という名前で俳誌を刊行しています。昭和22年には現代俳句協会が創立していまにいたるわけです。なぜ俳句じゃなくて「現代」とつけるの。広い意味での「現代俳句」といえば、現代の俳句と大きくとらえることができます。そういう風に大きくとらえれば、芭蕉からいま、この令和7年の俳句まで、広く現代性をもっている俳句ならここに収まるわけです。現代性をもっているとはなにかというと、伝統的な枠にとらわれない自由な表現をしている。あるいは現代という時代を色濃く映しているということもここに入ってくるかと思います。
一方で狭義の「現代俳句」とはなにか。ある特定の時代の俳句の潮流ですね。それをどこに定めるのかというのは人によって違っていて、正岡子規以後だという人もいれば、小林一茶から始まっているという説もあります。あるいは水原秋櫻子が虚子の『ホトトギス』を離脱して新興俳句がおこった昭和6年頃からだと考えることもできます。また俳句用語の解説などでは、戦後の社会を見つめた作品を中心に「現代俳句」と呼ぶことが多いと書かれているものが多い印象はあります。こうしたいくつかの定義をみていると、共通しているのは「前の時代からの脱却」を意識しているということですね。つまり現代とは、近代の次にあるもの。現代がいきなりぽっと出てくるのではなくて、それまでの過去があって、それに対して新しい時代として転換した「現代」がある。たとえは子規が大きく革新を起こしたということで、ここから現代が始まるという考え方もある。水原秋櫻子の花鳥諷詠の高濱虚子からの価値転換ということで、ここが近代から現代になったんだという考え方もある。狭い時代の意味や表現を特定した現代俳句というときには、前の時代からの転換がそこに意識されています。現代俳句協会ができたのも、わざわざ「現代」と名前を付けていうときには、伝統的な俳句観からは脱却して、今の時代の新しい俳句を作っていこうじゃないかという気持ちが込められているからこその現代俳句協会だと認識しています。
では昭和百年をざっくり区分すると、昭和20年までが恐慌・戦争の時代。昭和44年ぐらいまでが戦後復興の時代。昭和63年、本当の昭和が終わるころはバブルの時代、平成に入るとバブルも崩壊して失われた30年と呼ばれる平成がある。続いて、私の知っている平成令和の時代はどういう時代だったかと。私の生まれた1983年は、高柳重信と中村草田男が亡くなった年でした。1989年にベルリンの壁が崩壊したことを、幼心にうっすら覚えています。1991年にバブルが崩壊し、少子化が問題視。95年、小学校6年生の年には阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がありました。2001年にアメリカ同時多発テロがあったのが高校3年生。2011年には東日本大震災、2020年には新型コロナのパンデミックがあり、2022年にはウクライナ侵攻、いままだガザの問題も解決していません。リストラや増税、社会不安が広がる一方、インターネットやスマホなどのメディアが変化した時代でもありました。アナログからデジタルにさまざまなものが移行していく。メディアが変わるときとは、文学や言葉が変わるときでもあります。正岡子規も近代になって郵便制度や印刷技術が普及する時代の流れに乗り、新しい俳句を広げる力を持ちました。ですから、今の時代は、新しい俳句が広がるという観点で見ると、可能性に満ちています。インターネットが出てきて、SNSが広がって、それぞれの人が個人の立場から、しかもお金をかけずに発信ができる。そんなプラットフォームが当たり前となった現代、どんな言葉が必要とされ、生まれてきていて、逆にどんな言葉が意味をなさなくなっていくのかということを、あらためて考える時期だと感じています。
社会のあらゆる場所へつながってゆく可能性のあるメディアとの関係の中で、俳句の言葉がどう変わっていくのか。そこで、口語俳句というかたちは非常に可能性があります。今回のアンケートで、私の俳句も2句選んでいただきました。〈コンビニのおでんが好きで星きれい〉と〈起立礼着席青葉風過ぎた〉、どちらも口語ですね。現代の等身大のくらしの中での心情が描かれているという点で「現代俳句」に選んでいただいたのかなと思うんですけれども、いまを生きる同時代の人と共有したいと考えると、おのずと口語的な表現を選びたくなります。池田澄子さんのコメントにもありました、人の心に届くように書けているか、普通のことばで書こうと思っているとお話されていましたけれども、私も同じこころです。そもそも今の時代に文語をよみとくリテラシーがある読者はどんどん減っているわけですね。だからといって文語に価値がないといっているわけではないですが、しかし、誰に言葉を届けたいかといったときに、普段のことばで俳句を作ることがより広い読者に届くという真実は、そりゃそうだろうなと。
じゃあ、それなのになぜ俳句で口語が広がらないのかなっていうことも、いつも考えていることではあるんですけれども、今回のアンケートでも、時代を表す俳句として選ばれてくるもののなかには、口語の文体がとても多く上げられるんだなと驚きました。少なくとも、現代俳句協会という場で「現代」を考えるときに、口語という表現がとても重要視されているということを、今回のアンケート結果は物語っています。
では、口語にもいろんな時代にいろんな口語があるので、ざっくりとみなさんがアンケートで上げてくださったなかで時代別・タイプ別に並べてみたものを五、六パターンぐらいざっと読んでみて、このあとの議論につなげていきたいと思います。
現代の俳句における口語文体ということで、まずは新興俳句時代。なかでも戦争が始まる前の俳句を挙げています。
頭の中で白い夏野となつてゐる
山鳩よみればまはりに雪がふる
高屋窓秋
夏草に汽罐車の車輪来て止る
山口誓子
水枕ガバリと寒い海がある
西東三鬼
アンケートでどなたかが挙げた句から引用しました。文体の話、〈なっている〉〈ゆきがふる〉〈きてとまる〉〈うみがある〉、最後下五ではっきりと口語で言い切るかたち。新興俳句にはさまざまな表現上の達成があるんですけれども、なかでも口語の文体を新しく採用して模索して高めていったという点は、大きな達成です。そんなベースがあって、時代が戦火に突き進んでいくなかで、「戦争」という大きな主題を詠むときに新興俳句の俳人たちは、この口語を多く使いました。
戦争が廊下の奥に立つてゐた
憲兵の前で滑つて転んぢやつた
渡邊白泉
灯をともし潤子のやうな小さいランプ
やがてランプに戦場の深い闇がくるぞ
富澤赤黄男
「潤子」は赤黄男の幼い一人娘です。大陸に出征している際、従軍先で詠んだ連作で、軍事郵便で送られた「ランプ」という連作八句がありました。赤黄男の二句はそれぞれ、その句です。どの言葉にも、口語を使うことによって、生きた人間が発した言葉という肉声の感じが宿っています。それが宿ることが何を意味するか。戦争という大きな流れに押し流されそうになるなかで、一人の人間がそこに確かに生きているんだということが、口語俳句の肉声のひびきによってしっかり刻まれた。そこには大きな価値があると思っております。
では次に、戦後俳句の口語です。「戦後」という言葉には、「戦争のあと」という意味があるので、単に昭和の戦争のあとの時間が全部戦後ですというよりは、かつての戦争を経てきたなかでどういう俳句を作るかという問題意識がある、そういう俳句が「戦後俳句」なのではないかと思います。
人体冷えて東北白い花盛り
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく
金子兜太
烏賊のごとくは文語なんですけれども、このはみ出していく韻律の感じは、口語的な発想のなかで俳句の定型をぐいんと伸ばしていく力が働いているように思います。定型と韻律と感覚のバランスですね。銀行員の句も、表現的には文語を使っているけれども、これも口語俳句の影響下にあるのではないかと思っています。あるいは
あやまちはくりかへします秋の暮
三橋敏雄
八月の赤子はいまも宙を蹴る
宇多喜代子
こういった句は韻律や定型に載せながら、戦後をどうとらえるかという主題がはっきり出ています。
一方でもっと同じ時代でもよりテーマから自由になっていく口語もあります。要は、くびきから解き放たれた自由の象徴として口語表現を使う。金子兜太の
おおかみに蛍が一つ付いていた
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
もここに入るかなと分類してみましたが、阿部完市や坪内捻典の句がよりその方向に当てはまるかなと思います。
少年来る無心に充分に刺すために
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん
阿部完市
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
三月の甘納豆のうふふふふ
坪内稔典
そこに主題性があるかというと、主題性がないことが主題ですみたいな、意味を離れてゆくことの快楽が本質にあるような作品ですね。文語文脈をベースにした俳句の文脈の上に、新しい異質なエッセンスとして口語という文体が選び取られている例ではないか、と。表現のうえでの異化作用をうむための、表現史としての口語俳句も試みられたのが、昭和の後半あたりの動きでしょうか。
そして最後、現代のいま詠まれている口語を大きく二つにわけてみました。現代を日常的にとらえ、当たり前にみえる日常を口語で詠む。そうすると、そこにどうやって詩を生むかがすごく難しい問題になってくるんですけれども。おおきな主題があるわけでもない日常のささやかな心のできごとを、等身大の口語で詠む俳句ですね。
起立礼着席青葉風過ぎた
神野紗希
ゆず湯の柚子つついて恋を今している
越智友亮
寒いなあコロッケパンのキャベツの力
小川楓子
寝静まるあなたが丘ならば涼しい
大塚凱
初夢の代はりにYouTube見てる
葉ざくら
こんな俳句がいま作られています。一方で社会が混乱してゆく時代の流れのなかで、平成令和の時代は喪失と無常の時代でしたが、そのなかで口語に、現代の生きづらさや、生きるとはなにか死ぬとはなにか、戦争とはなにかということを、昭和の回顧とは違うかたちで主題として引き受けようとしている人たちがいます。池田澄子さんがいまもこれだけ支持されているのは、かつての戦争だけではなくて、いまの私たちが生きている実感や、私たちが生きている社会変化も俳句にリアルタイムで詠み続けているから、現代の作家として名前が挙がるのだと思います。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
池田澄子
ここにはやはり、なんで私たちは生まれて死ぬのだろうという大きな主題がありますね。
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る
福田若之
これは東日本大震災の直後に詠まれた俳句でした。句またがりになっている口語のリズムが、切実さを押し出しているでしょうか。
蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか
池田澄子
Rest in Peace 向日葵は泣かない
光峯霏々
ねむる天牛だめなことをだめって言うちから
林田理世
いまの時代を見つめて、口語の力でいまの社会をとらえようとしている句が現在進行形で作られているということを想うと、新興俳句の時代からいまにいたるまで、さまざな口語表現が作られてきましたけど、いま新たに主題性の強い口語が意識される時代になっているようにも思います。
最後に、では俳句はどこに行くのかという話です。かつて主題を前提とした「大きな物語」の時代がありました。テーマの強さはもちろん、表現革新という主題を信じられる時代もありました。草田男とか金子兜太とか、大きな存在が大きなテーマを詠むという時代ですね。そこから、社会全体としてもポストモダンの時代がきます。大きな主題が語り尽くされ、それぞれの小さな物語のなかで生きていくことを志向する時代の変化ですね。そこで等身大の俳句が詠まれたり、感覚的・主観的な描写を突き詰める人が出てきたり。あるいはトリビアルなものを詠んでいこうという志向も目立ちました。
そんな流れの上で、ここ数年また主題性が強くなっているのは何かなと思ったときに、かつての「大きな物語」はいったん消えたんですが、かといって一人ひとりが「小さな物語」に閉じこもるだけではなくて、一人の人間が自分のことをしゃべっているなかに大きな社会の歴史も入ってくるというやり方で、「個別の大きな物語」ともいうべきものが語られるようになってきているのではないでしょうか。世の中的にも、生活史とかファミリーヒストリーとかいったものが改めて重視される時代になっていますけれども、AIが台頭してくるなかで、対比的に主題性や人間性が復権してくる。個人が語る人生や生活実感のなかに、社会の時代性や歴史を見出し考える時代になっているのではないか……という投げかけをして、前半のお話を終わりにしたいと思います。
主体の問題としては、「大きな物語」の時代には「私」は代替不可能な唯一無二の存在感をもっていたと思いますが、ポストモダンの時代は「私」というのはどこにでもいて「代替可能などこにでもいる私」に変化しました。そしていまの時代、「代替不可能な私」を想像することはもうできないんだけれども、かといってここに生きている私は唯一の私であるということもまた真であり、大事にしたい。代替可能でありながら同時に唯一の私である、「代替可能な唯一の私」を通して時代を見つめようとしているのが、いまこれからの主体の在り方ではないかということを考えており、そこでは私が「語る」ということがとても重要になる。そこで、口語という語り方の問題、普段のことばで語るという態度は、これからの時代の意識の変化を具現化していく上でとても重要になるのではないかという投げかけでした。以上です。ありがとうございます。