👤鈴木牛後
第64回角川俳句賞2018年受賞
水面鏡(みなもかがみ)
みな尻を向けて田鴫や枯の冬
鳰鳥の着水みづに溝つけて
鴨とからまつ水面鏡(みなもかがみ)を分けあひぬ
冬鷺や護岸の容赦なき平行
上澄みのやうな眼をして檻の鶴
関東へ転居してきてからバードウォッチングを始めた。
私が住んでいた北海道にも、もちろん鳥はたくさんいたのだが、じっくりと観察してみることは少なく、郭公や鶯などの声が特徴的な鳥以外は、あまり俳句の材料とはして来なかった。
しかし古い写真フォルダを見てみると、仕事中に携帯電話で鳥を撮影していたことがわかる。
どれも不鮮明だが、鳥は人間より自動車を警戒しないので、おそらく車中から撮ったものだろう。
その中に、関東では見ることのできないエゾライチョウの写真があった。
ヒバリもこちらでは珍しいが、私の牧場にはいくらでもいて、放牧地を歩くたびに足下から飛び立った。
アカゲラもよく見かけた。
牧場は谷間にあったので、アカゲラのドラミングが辺りによく響いていた。
こうして思い返してみれば、つねに鳥は私の身近にいて、何となく気にかけながら過ごしてきたのだった。
今年も、北海道へ鳥を見に行きたい。
「水面鏡」5句を読む
👤武良竜彦
▶みな尻を向けて田鴫や枯の冬
「みな尻を向けて」。
田鴫という生物の存在が律する景。
「尻」の整列―意図していない協調―というユーモラスな動物性。
田の冬景色の寒気の中で、身を寄せて動かずにいるのは一種の防衛的な姿でもあろうか。
「枯」という言葉が、静けさと寂寥感で田鴫たちを包み込んでいる。
作者の眼差しが実存的だ。
▶鳰鳥の着水みづに溝つけて
鳰鳥は水に潜る小鳥で、敏捷さと静かな水辺の景を象徴する存在である。
その「着水」。
水面にその軌跡が「溝」を描く。その一瞬を切り取った表現。
ひらがな書き「みづ」で、景全体にやわらかさが与えられる。
生き物の柔らかさ。
そこに作者の視線が立ち上がる。
▶鴨とからまつ水面鏡(みなもかがみ)を分けあひぬ
この句にも、鴫とからまつというそこに生きて在るものたちの、生き物としての共存的実存の手応えがある。
鴨の水上の動、からまつの静。動物と植物。
対立せず相並び合う命たち。
風のない水面は鏡のように静かにそれを映し出している。
それを「分けあひぬ」と言い切る作者の実存的な眼差し。
▶冬鷺や護岸の容赦なき平行
冬鷺という生物と護岸という人工造設物。
その「容赦なき平行」。
どこまでも交わることのない拒絶。
人間は自分が作った世界の中でしか生きられなくなっている。
無自覚に自然を拒絶することで、逆に拒絶される人間の営為。
冬鷺はあるがままの姿で佇っている。
▶上澄みのやうな眼をして檻の鶴
「上澄みのやうな眼」が語るものとは何か。
の中という人生の暗喩のような状況で。
飼いならされている諦念か、それでも生き物としての尊厳が保たれているのか。
さまざまな感慨が、濾過されたあとのような静かな境地の眼差しか。
現代人の精神状態―社会という「檻」の中で生きる人間の、それでも「在る」ことに折り合いをつけて生きる他はない境地か。
鈴木氏の俳句には実存の手応えがある。
👤武良竜彦
第39回現代俳句評論賞2019年度受賞
和讃句・不知火經
南無不知火渚のアポリア寄せ返す
南無不知火黙せるものの那由他經
南無不知火命と水の永劫回帰(とわルフラン)
南無不知火未完の明日を手渡され
唱へ継ぐ不知火經や南無地球星(テラコグニク)
わたしのライフワークの石牟礼道子文学論が2026年2月に上木できる運びとなりました。
石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』と出会って五十五年強。
彼女の全句集『泣きなが原』と出会ってから21年。
高野ムツオ主宰の「小熊座」で俳句の勉強を始めてから17年。
石牟礼道子俳句論で現代俳句評論賞を受賞してから6年、「小熊座」連載4年、それから2年の歳月が流れました。
石牟礼道子文学は、その作品世界だけを研究するだけでは済まない、現代のあらゆる課題と密接に関連する、全方位的な内容であり、それらの研究検証にも膨大な時間を費やしました。苦しくも充実した日々でした。
『石牟礼道子 たましいを浄化する文学』と題して上木する本書で一応の完結ですが、石牟礼道子から手渡されたバトンに、終わりというものはなさそうです。
わたしのほぼ一生をかけた本書ですが、多くの方の心に届き、そのたましいの浄化されることを願います。
「和讃句・不知火經」5句を読む
👤鈴木牛後
タイトルの「和讃句・不知火經」、そしてそのタイトルの下に編まれた五句から、作者がライフワークとして研究している石牟礼道子の世界が色濃く薫ってくる。
「不知火」は言うまでもなく石牟礼の故郷の海・不知火海であるが、石牟礼と同じ水俣出身の作者にとっても、さまざまな記憶が絡みついた土地の名であるにちがいない。
だとすれば「和讃句・不知火經」というタイトルが意味するのは、近代文明によって、なかんずく水俣病によって永遠に失われてしまった、彼の日の不知火海への鎮魂の詩というだけではなく、作者が不知火海へ寄せる整理しきれない思いを、俳句形式に乗せたものとも言えるのではないだろうか。
一句目から四句目は、いずれも「南無不知火」という措辞で始まっている。
「南無」は仏に対する帰依を表す言葉であるから、「不知火へ捧げる」というような意味であろう。
▶南無不知火渚のアポリア寄せ返す
不知火海の渚に、波ならぬアポリアが寄せ返すという。
水俣病はいまだ現在進行形であり、アポリアはまだまだ残っている。
そして、たとえ水俣病の記憶が遠くなったとしても、現代という時代がもたらすアポリアが尽きることはないだろう。
▶南無不知火黙せるものの那由他經
「黙せるもの」とは水俣病の死者・患者だけではなく、生きとし生けるものすべてではないか。
そしてそれを祈りの声が永遠に包み込むというイメージが浮かぶ。
▶南無不知火命と水の永劫回帰(とわルフラン)
命と水の循環を感じる。
どんなに痛めつけられたとしても、生き残った世界には命と水が回帰する。
そこに一縷の希望を託したい。
▶南無不知火未完の明日を手渡され
明日という日はつねに未完だ。
そして人は否応なくその未完の明日を手渡される。
この「明日」をどう使うか。それが試されている。
▶唱へ継ぐ不知火經や南無地球星(テラコグニク)
「ゴクニク」とはラテン語で既知のことという。
つまり「テラゴクニク」は「既知の地球」ということになる。
この「既知」には過去の歴史も含まれるだろう。どのような歴史も、なかったことにしてはならない。
「唱へ継ぐ」という措辞からは、そのような決意を感じる。