【1】神話の国 山陰 がふるさと
👤ほなが穂心

1.

私の両親は戦時中迄神戸の方で暮らしていた。
現在の中央区中山手通り辺りとのこと、空襲がひどくなり、母の生まれ故郷・鳥取県米子市に疎開した。
第二次大戦末期には、父も鹿児島県で米軍の通信傍受の軍務に就き、米機の機銃掃射にもあったそうだが、幸い生きて終戦を迎えることが出来たとのこと。
私は終戦直後、母の実家の疎開先、米子市で生まれた。
ここも飛行場や化学工場があり、また鉄道の要衝だったので、松江に比べるとやはり空襲もあったそうだ。

戦前の父は私学の教師をしていた関係で、終戦直後は教職者追放を経験し、次の職探しに苦労したらしいが、その後は国家公務員として定年まで勤務することが出来た。
在職中は各地への転勤が続き、私も引っ越しと転校を余儀なくされ、その為、各地の風習の違いに戸惑いつつも短期間で順応できるようになった(つもり?)。
「その土地で生活した」ということが「ふるさと」の条件ならば、結構多くのふるさとを持つ私である。
が、生まれてから中学時代までを過ごした山陰の米子と松江は、一番思い入れが強いのかも知れない。

先日久し振りで故郷を訪れたが、子供時代に遠く感じた距離も、「えっ!こんなに近かったの?」と感じたが、街の裏通りや路地奥には、まだまだ当時の面影が残っており、過ぎゆく時の速度は都市に比べて緩やかだと感じた。

2.

米子は昔から交通の要所であり、山陰の東西(山陰本線)や山陽と結ぶ(伯備線)交通の要(接点)として、旧国鉄時代から此処に鉄道管理局が置かれ、列車・機関車等の修理工場や貨車操車場も健在だ。
島根半島を風除けに天然の良港とした境港は、米子よりバスとJRで1時間弱。
古来より日本海側有数の漁業基地であり、日本海の守りの要、海保の巡視船基地でもある。

境港市 キタローと目玉おやじ

JR境港駅  奥に見える山が島根半島

旧日本空軍のあった美保基地は、弓ヶ浜半島にあり、敗戦後、アメリカ進駐軍の空軍基地として朝鮮戦争時は軍用機が頻繁に発着、森山レーダー基地と共に日本に返還された。
その後「米子鬼太郎空港」として整備され、現在、民間空港と航空自衛隊基地が共存する。
利用頻度と機体の大型化に対応して、中海の方へ滑走路も随時延長されてきた。
他に山陰の空港として、鳥取市、出雲市、益田市にもある。
鳥取空港はアニメに因み「鳥取コナン空港」に改名され、益田市は「萩石見空港」と呼ばれた。
出雲市は斐伊川河川敷にあった旧日本空軍の訓練用滑走路を整備し出雲大社に因み「出雲縁結び空港」と命名された。
但馬コウノトリ空港・高知竜馬空港など、名前の付け方も各地の地域性を表す言葉を使って表現されるようになった。
地方空港の生き残り策なのだろう。

3.

山陰の神話には日本各地で発生していた地殻変動を思わす国引きの記述があり、黄泉の国の入口・黄泉比良坂(よもつひらさか)を示す地名もある。
長い年月で作り上げられた砂州と海洋浸食との関係を示すものとして興味深い記述である。

川からの山砂が海流によって流され、島であった島根半島を砂州が陸続きにしていったという説が、国引き神話の原話なったという。
山陰には鳥取砂丘を作った千代川、弓が浜半島を形作ったという日野川、西には出雲平野を作ったと云われる斐伊川がある。
形成された時期の差もあるが、それぞれ手触りも全く違う感じの砂なのだろうか。
山から流れ出た砂が日本海で最初に洗われる海岸線には粒子の荒い砂が残り、細かい砂の粒子は海流により運ばれ、静かな内海(うちうみ)と呼ばれる海岸に沈殿していった。
こうして砂州は次第に伸び島と繋がる。
長年かけて出来た土地は神の贈り物だった。

最近は逆の現象が見られ、日本の沿岸で続く海岸線の(砂浜の)後退は、河川へ流入する山砂が減ったことが原因の一つとして挙げられている。
砂に含まれる珪素はガラスの原料であり、スマホの液晶版としての需要が急増し、川砂の乱掘により河川へ流入する砂が激減したことにも原因があるようだ。

鳥取砂丘では「馬の背」と呼ばれるコブを境に海側はガラス質の荒い砂粒、斜面の内側(陸側)は風紋ができる程の粒子の細かい砂である。
砂丘近くの「砂の博物館」にある展示される砂像も、そうした細かい粒子であるため、水を加えただけで固まり、砂の彫刻ができるそうだ。

米子市や出雲市には海岸から離れ内陸となった「砂山」と呼ばれる場所がいくつかあった。
長い年月をかけて山砂が堆積した砂州だった場所と考えられる。
中国山地での源流はそう離れていない日野川と斐伊川が作り出した砂州が、陸地を形成し宍道湖、中海を形作ったものと考えられるようになった説がある。

砂州が形成されただけでは農作物は育てられない。
雨の多い山陰で長い年月をかけて砂に含まれる塩分は薄まり、固められたことで周囲の海からの塩分の浸透もないというが、農業にとっての一番の問題は「水」。
江戸時代の藩主池田公により、60年の歳月をかけ日野川から取水する全長20㎞の米川用水ができた。
これにより特産の白葱や綿花、桑などの畑作物はもとより、水田による米作も可能となった。

綿花から伯州絣を、桑から養蚕業を通じて繊維産業へ、更に化学工業へと発展した。

境港の観光土産店で綿花の苗を売っていた

水木しげるロードに寝そべる鼠男

戦前は砂地を活用しての農業は大生産地に、紡績産業も思考国の低賃金攻勢に衰退はしたが、伯耆の国の伝統産業としての意地は残しているようだ。

4.

少し前にブームとなったが、水木しげるの描く妖怪たちも、今や弓ヶ浜半島の有名人、米子駅霊番線(0番線)から発車する境線の駅毎に妖怪の名前が付き、境港市を歩けばそこら中に妖怪がおり、境港氏は妖怪のふるさととなった。

境線は妖怪の(JR境港駅)

山陰本線はコナンのラッピング車両

因幡の国と呼ばれる鳥取県の中・東部は、「名探偵コナン」の作者・青山剛唱氏の生まれた北栄町があり、JRの客車のラッピングは名探偵コナンのキャラクター江戸川コナンや毛利小五郎などが描かれた。
同じ県の東西での誕生したアニメのキャラ設定の違いが面白い。

5.

大山は中国地方随一の名峰・標高1726メートルと記されているガイド本もある。
私が小学校の時は1713メートルだった。
大変古い地層で崩落が激しく一時は1709メートルで表示された時もあった。
これ以上の山の崩落を防ぐため、登山者に呼びかけ、石を持って登り、山頂に石を置き、木道で崩落を防ぐ一木一石運動により山頂の崩落は防げた。
最高点は剣ヶ峰ではある。
しかし剣ヶ峰に至る縦走路が危険であり、古くから第二峰の弥山(1709メートル)で祭事が行われたことから、一般には弥山を大山の頂上としているが、県民の気持ちとして、中国一高いなら剣ヶ峰の高さで報じて欲しい、という気持ちも分からなくはない。

大山は、出雲風土記では「火神岳」(ほのかみだけ)または大神岳(おおかみだけ)と呼ばれ、国引き神話で大陸辺りから島根半島を引っ張って来た綱(弓ヶ浜、出雲平野)を繋ぎ固める杭が、島根県の大田市の三瓶山であり、この大山だったと書かれてある。
古くから山岳信仰の山として、各地から多くの信者を集めており、麓の大山寺集落では古くから公の牛馬市が開かれており、大山寺馬喰座(ばくろうざ)の地名が残っている。

西側からの見た目が美しいことから伯耆富士、出雲富士と呼ばれてきたが、山陰本線上りの大山口駅を過ぎたあたりから、山容は北壁と呼ばれる壁のような景色になる。
又、岡山に向かう伯備線溝口駅を過ぎると、山容も蒜山高原へと続く普通の山となってしまう。
その意味では米子で見る大山の姿は最高であり、裾野の広い美しい山容を市内どの地点からも楽しめる。
視界が開けた米子城址から山容に朝日が昇る大山も迫力満点である。

JR米子駅の朝

米子市には日本最古級の電車があった

他に大山の見どころとしては、日本海に湯が沸くと云われた皆生温泉側からの眺めであり、また、境港から対岸の島根半島の美保関町(松江市)に渡れば、弓が浜半島越しに海と白砂松林、そして青空にそびえる大山の景色はまさに絶品と言えよう。

大山2景 山陰本線車内より大山口付近

大山2景 米子 久米城址より