
現代俳句2025年10月号掲載 写真提供:須田敏保
「百景共吟」より2句鑑賞
👤高木一惠
王さまの如き雲湧く大暑かな
津久井紀代
「王」には畏敬の念を込めて呼ぶ第一義と、同類の中で最高のものという第二義があるが、先ずは両義を重ねてモリモリの入道雲を想起すると、ミュージカル『王様と私』でユル・ブリンナーが演じた王様の姿も浮かんだりして…「王さま」と敬称の仮名表記によって親しみが増した所為かもしれない。
「王」にはほかに「絶対的な権力・勢力をもつもののたとえ」の意があり、掲句がアンデルセンの『裸の王様』の王の如き昨今の独裁的為政者の姿を呼び込むのは、季語「大暑」の力であろう。
「大暑」について手元の講談社大歳時記を繙くと、時候二十四節気の一つで晩夏とあり、例句の筆頭に村上鬼城の<念力のゆるめば死ぬる大暑かな>が挙げられて、忽ち得心の感である。
われここぞ白花コスモス風を呼び
山田貴世
ただ風のなすままに揺れているのではないのだ。
自ら風を呼んで天上天下に存在を誇示するかのような「われここぞ」の白花一輪…作者の社交ダンスで鍛えたしなやかな姿も彷彿される真っ白いコスモスである。
その揺らめきが爽やかな風を呼び、風はまた様々な詩韻を呼び寄せる。
作者の主宰誌「波」が今年5月に創刊50周年を迎えて愈々盛んなのは、子供俳句の指導ほか藤沢の地から俳句の輪を広げ続けてきた作者の努力の賜物でもあろう。
心よりお祝い申し上げる。
倉橋羊村先代主宰が董振華氏の案内で道元の故地を尋ねた折、寧波から天童山までの行を共にしたが、旅の疲れもなんのその、ホテルで作者は小句会を開いていた。
俳諧ここにあり、であった。
「薄墨桜」より1句鑑賞

現代俳句2025年10月号掲載 写真提供:岡本宗佳
👤高木一惠
枯れきれぬ山ただ歩き卒寿過ぐ
伊藤希眸
草木の枯れ果てた山は静かで澄んだ佇まいを見せもするが、作者は「枯れきれぬ山」をただ歩いてきて卒寿の九十歳を超えたという。
芭蕉の「夢は枯野をかけめぐる」とは異なる境涯である。
「卒寿」の人は、第二次大戦とその後に続く高度経済成長の時代を生きて、戦前の情報を持つ生き証人でもあるが、やがて肉体の衰えに悩まされ、時には認知不全の気配も感じて、友人の訃報も相次ぐ。
枯淡の境には到らず、それでも生きて日々の暮らしを繋ぐほかない人の「枯れきれぬ山」のひたすらな往還を、筆者も昨今近しく感じている。
しかし作者はそんな老境を達意の「五七五」に表してみせた。
柳生正名曰くの「その世」の顕現を思う…作者の白寿の「その世」も見せていただきたい。