
現代俳句2025年12月号掲載 写真提供:須田敏保
「わたしの一句」鑑賞
👤杉美春
水鳥は冬の水上にいる鳥の総称。
鴨、かいつぶり、百合鷗、鴛鴦などで、公園や庭園の池など、近隣でもよく目にする。
留鳥もいるが、日本に秋に渡ってきてつがいを作り、春に北方の繁殖地に戻るものも多い。
掲句を最初に読んだときには、水上で暮らす水鳥に「おほぞら深く底ひ」があるというのは不思議な気がした。
「水底」深く、ではなく「おほぞら」深くなのだ。
今、目の前にいる水鳥が見ているのは、池や川や湖に映る冬青空なのかも知れず、あるいは渡りの途中に見て来た蒼空なのかもしれない。
そして水面に映る青空の底=水底へ向かって、餌をとるための嘴を差し込む。
水鳥の姿が鮮やかに見えるのは、「おほぞら」の青さと底知れぬ深さがあるためだ。
それにしても掲句から静けさを感じるのはなぜだろう。
正木ゆう子さんの第三句集『静かな水』に、
しづかなる水は沈みて夏の暮
という句がある。
あとがきによれば、「あるとき、自分の感情の波立ちに疲れ、それならばいっそ波の立たない水底へ潜ればわれとわが身は鎮まるだろうと思って作った句である」という。
このあたりに掲句を解く鍵がありそうだ。
掲句の水鳥は、作者自身の姿なのかもしれない。
さらに水鳥の句を探してみる。
第五句集『羽羽(はは)』(2016年9月刊行)で第51回蛇笏賞を受賞している。
不思議な句集名だが、あとがきによれば「羽羽は単純に大きな翼という意味」だという。
「毎年秋の彼岸に鷹の渡りを見に行く習慣はあるものの、格別に鳥好きという意識はなかったのに、編集してみると鳥の句が多くて以外でした」(あとがきより)
第五句集から水鳥の句を引用したい。
水鳥の寝そびれ鳴きの春浅し
白鳥の羽霧(はぎ)る逆光けふ発つか
真下より見る白鳥の大つばさ
一句目、「寝そびれ鳴き」が可笑しい。
浮寝鳥のはずがうまく眠れずにいる。
まるで寝ぐずる子どものように、この鳥も鳴いている。
「春浅し」といえども着実に季節は進み、北へ帰る日も近づいているのだ。
二句目、「羽霧る(はぎる)」という聞きなれない言葉が出てきた。
「羽霧る(はねきる)」とは、はばたきをして水しぶきをあげること。
万葉集に〈埼玉(さきたま)の小埼の沼に鴨そ翼霧る己が尾に降り置ける霜を払ふとにあらし〉(高橋連虫麻呂歌集)がある。
鴨が羽ばたいて羽につもった霜を払い落としている情景だが、この句で羽搏いて水しぶきをあげているのは白鳥である。
その姿と水しぶきが逆光のなかで鮮やかに浮かび上がり、神々しいまでの美しさだ。
「けふ発つか」により白鳥も間もなく北方へ帰る頃だとわかる。
三句目は、飛び立つ白鳥を真下から見上げたときの、つばさの大きさと美しさがシンプルに表現されている。
第六句集『玉響』は2023年9月刊行された最新の句集だが、その中に川烏の句がある。
潜水に浮力ふりきり川烏
水面よりすぽんと抜けて川烏
川烏は山間の渓流に留鳥として生息し、水中に潜って水底の昆虫などを捕る、黒褐色の鳥。
さわがらす、くろどり、とも。
夏の季語である。
二句とも川烏の動きをいきいきとユーモラスに描いている。
以上、正木ゆうこさんの水鳥の句をいくつか見てきた。
それぞれに素晴らしい作品ではあるが、〈水鳥におほぞら深く底ひあり〉の詩情には及ばない気がする。