三人で観た芝居
👤柏柳明子

二兎社という劇団がある。
昨年の大河ドラマ『光る君へ』の脚本を手掛けた大石静さんと永井愛さんが立ち上げた。
その後大石さんは退団、現在は永井さん一人で活動している。
上演作品はオリジナルが多く、永井さんの鋭い視線とユーモア、先が見えない物語展開、社会や人間への深い洞察力に支えられた芝居は毎回見応えがあり、もう十年以上劇場に足を運んでいる。
今回はアントン・チェーホフの小説を基にした新作ということで楽しみにしていた。
上演作品のタイトルは『狩場の悲劇』。
小説と同名である。
原作はチェーホフが若い頃に書いたもので、ロシア貴族の邸宅を舞台に森番のオーレニカを愛してしまった執事、伯爵、物語の語り手である予審判事の愛憎を中心としたドラマだ。
さらに、パンフレットによるとこの小説は「叙述トリック」という手法を使った作品として推理小説ファンの間では有名らしい(ちなみに、叙述トリックの有名な作品としてはアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』とのこと)。
「チェーホフのミステリ?」
芝居を観るまで私はそのことをまったく知らなかった。
同じ作者による『桜の園』や『三人姉妹』などは芝居やバレエで観たことがあった。
閉じられた人間関係とその中で溢れ出る濃厚なドラマに心惹かれるものを感じた。
だから、今回も勝手にそういう内容だと思っていた。
そして、実際にそうなのだがいきなり殺人事件が発生し「犯人は?」という展開に虚を突かれた思いがした。
結果的に素晴らしい舞台だった。
永井さんの脚本では当時のロシアの不安定な世相を背景に恋愛はもちろん、貴族と平民の階級間の問題(差別や貧富等の実情)、世代間の相互理解の困難さ等、現代にも通じるさまざまなテーマやシーンがドラマティックかつテンポよく描かれていた。
永井さんお得意の大勢の登場人物による台詞の応酬から愛憎のさまざまな側面がリアルに浮き彫りにされ、一気に芝居の中に引き込まれていった。
緊迫の続くシーンの中に適度に差し込まれたユーモアも秀逸で、観客は芝居からいったん離れて笑うことで再び目の前のドラマに集中できる。
二時間半以上の上演時間だったが、緩急の付け方が見事なこともありあっという間の贅沢な時間だった。
上演終了後のカーテンコール。
会場は温かい拍手と熱気に包まれていた。
ふと隣を見やると、友人の上気した頬と力強く手を叩く様子が目に飛び込んできた。
友人は最後の一人になってもずっと手を叩き続けていた。
その表情、そして最後まで拍手し続ける様子は先日亡くなった家族と同じだった。
本当は家族と一緒に観るために今回のチケットを取っていた。
家族も二兎社が大好きで、久しぶりの新作を心待ちにしていた。
でも思いがけず行けなくなり、私たちと親しかった(そして家族が信頼していた)友人を誘った。
「ああ、きっと今一緒に彼も観ていたんだな。私たち三人で観ることができたんだな」
声をかけてよかった、と思うと同時に突然の誘いを快諾してくれた友人に感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
芝居やダンス、音楽など生の「舞台」の魅力は今を表現する人々のパワーが溢れ、観客はそのパワーを精神の糧として受け取ることができる点にあると思う。
『狩場の悲劇』を観ている間、そして観終わったとき、確かに自分の内部が満たされた実感があった。
それは一瞬だったが悲しみから私を解放し、喜びに包んでくれた。それからまもなく、私は久しぶりに習っているフラメンコの個人レッスンの予約をとった。
葬儀後だったから練習などまったくできてもいなかったが、自分の中から「何かを表現をしたい」という思いが止まらなかったのだ。
今はまだ、今後どう自分の日々を再形成していくのかは見えてこない。
でも、「きれいなもの、素敵な生命溢れるもの」を感じ続けたい、ということだけははっきりわかった。
芝居を観ること、俳句やフラメンコを通じて自分を表現すること。
それらを今後とも続けていきたい。
そして、そこから新たに見えてくるものを追いたいと思う。
伝言は聖樹の星に託します
明子
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年生まれ、神奈川県横浜市出身
「炎環」同人、「豆の木」参加、現代俳句協会会員
第30回現代俳句新人賞、第18回炎環賞
句集『揮発』『柔き棘』