思い出を買います
👤亀山こうき
「思い出を買います」
猥雑なチラシが溢れる電柱の中。
そんな一文が私の目を奪った。
自死を企てんとする私には、あまりにも魅力的な一文であった。
忘れたい。
心の底からそう思うことが山のようにある。
あの時の心にもない言葉。心にもない態度。
後悔は消えず、日に日に心の中で大きなパイを占めていく。
過去に殺される。
もう、限界であった。
線路とこちらを分け隔てるものは粗末な一枚のフェンス。
生死の境はこんなにも軽くて薄いのかと、思い知らされ、愕然とする。
あとは乗り越えるだけの、一粒程の決心があればいい。だがそれがつかない。
電車に撥ねられる瞬間の自分を想起してしまう。
過程が恐ろしい。
死の手前の痛みが恐ろしくて、一歩がなかなか踏み出せない。
長いことフェンスに足をかけていた。
通過する電車を見続けていると、それが化物のように思えてきて、怖くなって無意識に視線を逸らした。
その視線の先の電柱。
そこにこの一文があったのだ。
思い出を買うとは何だろう?
私の呪いのような思い出も買い取ってもらえるということだろうか。
私は興味を持った。
何も死ぬことはないのではないか。
死を望むのは、唾棄したい記憶があるからだ。
それが私のものでなくなったのなら。
この衝動も私の中から消え失せてくれるに違いない。
そうなれば、きっと、穏やかに生きていける。
短絡的にそう思えた。
チラシにあった番号に電話をかける。
普通に考えれば質の悪い悪戯。
そうとしか思えない。
ただ、わずかな決心を必要としていた私には良い機会でもあった。
「もしもし」
数回のコールの後。
出たのは老年と思しき女性であった。
どきっとした。まさか本当に誰かが出ると思っていなかった。
ましてや、こんな声音の柔らかい女性につながるとは露ほどにも思っていなかった。
「ごめんください。あのう、チラシを見てお電話をさせてもらったのですが」
自分で自分が可笑しくなるぐらい、馬鹿丁寧に言葉を切り出した。
こんな時にまで他人にどう思われるのか気になって嫌になる。
「思い出を買っていただけるのですか?」
私の問いに、しばらくの間をおかれて、
「ええ。買いますよ。お代はあなたのこれからの美しい未来で結構です」
そう優しく言われて、電話を切られた。
狐に化かされたような気持になった。
死ぬのが馬鹿らしくなって、家路についた。
それから今日まで生きて、こんな駄文を書いている。
小さな×
桜東風象も象使いも眠る
夜逃げする友と見ている遠花火
神を信じずかき氷崩してる
終戦日空映るまで磨く靴
履歴書に小さな×をされて秋
居候の女が秋刀魚焼いている
流星群ひたすら土下座する俺に
本当は優しい人と言う寒さ
亀山こうき
歴を略すと何も残らない野良俳人。
外的特徴は、髭・眼鏡・スキンヘッド。
最近、コンタクトレンズに浮気中。
ネイティブとして
👤山川太史
最近外国人移民の話題が世間の注目の的である。
在留外国人が増えることによって治安の乱れや文化の崩壊が起こることを懸念する声をよく耳(目)にする。
治安の問題はさておき、そもそも外国人によってであれ何者によってであれ、「壊されたくない文化」があるとしたら、それは何だろうか。
私自身は、こうして俳句という言語文化活動に携わっているわけだし、また仕事の方も言葉に関わるものだということもあって、やはり日本語やそれをめぐる文化は尊重され続けてほしいという思いがある。
とはいえ、現在のスケールでの在留外国人の増加程度では、日本語文化が直接的に棄損されたり変容の憂き目を見たりするのを心配する必要はあまり無いはずだ。
もちろん、たとえば日本語指導が必要な児童生徒が全国で増え続けていて現在七万人近くいるといった文科省のデータもあるが、そうした日本語に熟達していない人々が着実に増えていくことが懸念されるわけで、それに対してどのようにフォローしていくべきかという課題はある。
しかしながら、そのことは決して日本語という文化自体が揺り動かされるという事態へ直ちに接続されるものではないだろう。
日本語をルーツに持たない人がこの国にいくら増えたところで、それによって私たち「日本語ネイティブ」の日本語使用が貧しくなることなどあり得ないのだから。
むしろ、その当の「日本語ネイティブ」の側こそ、日本語文化を貧しくさせる引き金を与えられているということは、よく考えておかなければならないと思う。
たとえば私である。
先ほど私は俳句に携わり、仕事においても言葉に関っていると述べたが、わが身を振り返れば、それらのどちらに対しても十分な深さの理解を有しているとは全然言えない。
今もこうして何気なく日本語でものを語ったり、自句を披露したりしているが、その一々の語彙、表現、発想のなかに、俳句文化や日本語文化を貶め得る要因が紛れ込んでいないだろうか。
無知、誤認、不勉強、浅薄な遊び心。私が何か言葉を発するたびにこれらが世界に飛び出していき、言葉の文化を悪い方向へ変容させる素子として堆積してゆく。
そんな気味の悪い想像をしてしまう。
私こそが来るべき文化崩壊の担い手であり得る。心して言葉を扱っていかなければならない。
ずしり
弁当ずしり冬晴の真中なる
短日や飾りとしての写真集
セーターのぎゃははと笑ふ女学生
寝て起きて忘るるほどの風邪なりき
隣席の湿布のにほひ年の暮
抜かれゆく風呂のうづまき去年今年
年の酒拭く使ひ捨ておしぼりで
晩年も若さも遠く初山河
山川太史(やまかわたいし)
1985年生まれ
「とちの木」、「いぶき」所属