眠れない夜
👤村瀬ふみや

一か月に数回、寝つきの悪い日がある。
よくあることだから特に焦りはしない。
「ああ、今日は眠れない日だな」と思うと同時に、条件反射のように二つのフレーズが浮かんでくる。
“眠れない夜。コーヒーを飲んで余計眠れなくなったりして”
“眠れない夜。眠らないのもひとつの手かもしれないね”
どちらが先に浮かぶか、そのときどきで順番は入れ替わるものの、必ずセットで思い出す。
ピンときた人もいるかもしれないが、どちらも岡真史(おか まさふみ)くんという12歳で自死してしまった少年が書いた短い詩によるものだ。
この詩に初めて出会ったのは、中学生のころ。
きっかけはテレビドラマだった。
当時ドラマっ子だった私は、テレビガイドで毎週めぼしいドラマをチェックしては楽しんでいた。
普段は刑事ドラマや時代劇が中心だったけれど、たまたま見つけた『ぼくは12歳』という連続ドラマの解説から目が離せなくなってしまった。
彼の死のはっきりとした理由はわからない。
遺書はなく、残されたのは一冊の詩のノートだけ。
毎週毎週、息をするのも忘れるくらいドラマの世界に入り込み、最終回を終えたころには、世界変わったように感じた………んだと思う、たぶん。
ドラマの原作本があると聞いて本屋に走った。
一気に読んだ。
彼の遺した詩を、言葉を、何度も読んだ。
そして、書き写した。
自分の心の内を誰に語るでもなく、ただ文字にすることができるのだ、ということに気づいたのはこの時かもしれない。
いま冷静に振り返ってみると、「言葉」とか「詩」とか、そういうものに興味を持ち始めたのはこのときなんじゃないかな、なんて思えてきたりして。
今回、購入して改めて読み直してみた。
ページをめくりながら「ああ、そうだ、こんな詩があったよね」「そうそう、これ、好きだったなぁ」「この詩のこのフレーズ、何度も口にしてたな」……次々と思春期の自分が蘇ってきた。
“ねむれないよる/コーヒーをのんで/よけい/ねむれなくなったりして”
「ねむれないよる」というタイトルのこの詩は、ひらがなとカタカナだけで書かれていた。
大人になった私はいつの日からか漢字混じりで脳内再生していたことに気づく。
この詩の4編あとに、もうひとつの「ねむれない夜」というタイトルの詩もあった。
この詩は、私が呟いているフレーズよりも長い詩だった。
そして……違った。
“ねむいと思ったとき/ねむんないのも/ひとつのかんがえかも/しれないよ/
ずうっと/ねむってないと/目がさえるもんさ//(以下略)”
何ということだろう。
「眠れない夜」じゃない。「ねむいと思ったとき」だったのだ。
その事実に衝撃が走ったものの、単に覚え違いをしていたわけではないと思いたい。
私は成長の過程で眠れない夜が多かったから、そんな自分を肯定するために、無意識に自分で詩を作り直していたんだ。
真史くんが「しれないよ」と語りかけてくれた言葉に、そうかも「しれないね」と応えていたのかも。
そんなふうに真史くんと会話していたのかもしれないな、って。
願ふとは信じることさ龍の玉
眠れない夜はこれからも間違いなく何度も訪れる。
そのたびに、私は性懲りもなく冒頭の二つのフレーズをつぶやくことだろう。
中学生の私が出会い、自分を励ますために形を変えて、40年以上付き合ってきた言葉だ。
いまさら変えられはしない。
それに、眠いと思ったときに寝ずに徹夜をする体力も気力も、もう持ち合わせてはいないしね。
眠れない夜は「眠れなくてもいいじゃん」と開き直ってただ目を閉じる。
眠れぬ夜を共にしてきたあのフレーズをつぶやいて、「言葉」について考えるのだ。
ホットレモン眠れぬ夜は詩の欠片
村瀬ふみや
北海道千歳市在住
「雪華」会員 俳誌「ASYL」同人
2024年第57回北海道俳句協会賞