檻の鳥に季感はあるか
👤飯田冬眞

 

10月26日、所属結社の吟行で多摩動物公園を訪れた。あいにく朝から小雨が降り続き、肌寒い一日となった。
10月の最終週の日曜日で、立冬まではまだ2週間ほどある。
暦の上では「秋」だが、肌感覚としては「冬」あるいは「冬隣」がふさわしく思われた。
そのせいか、ドーム状の金網のなかにいる「鶴」「鷲」「梟」といった鳥たちも、どこか寒々しい印象を受けた。
これらの鳥は歳時記では冬の季語として収載されている。
そんな折、メンバーの一人がこんな質問を投げかけた。

「先ほど見た『鶴』『鷲』『梟』は、『秋の鶴』『秋の鷲』『秋の梟』として詠んだ方が良いのでしょうか」

◆師の教えと実感の尊重

私の師匠・鍵和田秞子は、「物を見て、自分がどう感じたか。それをどう伝えるかが俳句」と説き、実感を大切にされた方である。
そこで私はこう答えた。

「歳時記で秋とされていようと、目の前にいるものから感じ取った季感を俳句に取り込めば良い。今が秋だからといって、無理に『秋の鶴』などとする必要はありません」

つまり、目の前の鶴や鷲、梟から受けた印象をそのまま詠むべきだということだ。
もちろん「今は秋なのだから、歳時記の冬の部に記載されている季語は用いない」という考え方もあるだろう。
しかし、私たちは目の前の鶴・鷲・梟に心が動かされたのであれば、季節にかかわらずそれを俳句に詠むことを否定しない立場をとっている。

◆「檻の動物」は季語足り得るか

さらに別のメンバーが、より本質的な問いを投げかけた。

「動物園の動物を季語として扱ってよいのか」

つまり、動物園の鶴や鷲や梟は一年中そこにいるのだから季節感がなく、季語としては不適切ではないか、という問題提起である。
仮に「檻の鷲」と詠んでも、別に季感を補う季語を添えるべきではないか、という意見だ。
なるほど、それにも一理ある。
そこで私は携行していた『ホトトギス季寄せ』で「鷲」の項を引いてみた。
そこには高濱虚子の句が用例として挙げられていた。

大空をただ見てをりぬ檻の鷲
              高濱虚子

◆巨匠たちの作例に見る視点の違い

さらに電子辞書版『角川俳句大歳時記』で「鷲」の項から「檻の鷲」「鷲に檻」の用例を探すと、次の五句が確認できた。

• 大いなるまたゝき寒し檻の鷲
              田村木国

• 羽搏たむとしてよろめくや檻の鷲
              右城暮石

• 檻に鷲短日の煤地におちる
              桂信子

檻の鷲世はふりてゆくばかり
              加藤楸邨

檻の鷲さびしくなれば羽搏つかも
              石田波郷

これらを見ると、「檻の鷲」に「寒し」「短日」「雪」など冬の季語を添える作者(木国・信子・楸邨)と、単独で用いる作者(暮石・波郷・虚子)がいることがわかる。
一概には言えないが、木国・信子・楸邨は「檻の鷲」単独では季感を見いだせず、明示的な季語を添えたのかもしれない。
一方、暮石や波郷は「檻の鷲」を単独で用いている。
この視点の差はどこから来るのだろうか。

◆結論を求めて

動物園の「檻の鷲」が季語として成立するかどうかは、季語の持つ「本意」と「連想力(本情)」という二つの要素に光を当てることで解決できる。

一つ目の「本意」(季節的な事実)で考えるならば、「檻の鷲」は一年中、動物園にいるため、「冬に飛来する渡り鳥」としての季節性は失われているといえる。

二つ目の「連想力(本情)」はどうか。「鷲」という言葉が持つ、大空・猛々しさ・寒々しい景といったイメージや、歳時記によって共有されている「冬」という概念が連想される。
虚子や暮石、波郷といった俳人が「檻の鷲」を単独で用いるのは、二つ目の「連想力」を重視しているためだろう。「檻の鷲」には、次の三つの連想が働いていると考えられる。

1. 鳥のイメージ:
猛禽としての孤独、寒々しい佇まい。
2. 歳時記の知識:
「鷲」は冬の季語であるという共有認識。
3. 檻の情景:
自由を奪われた「鷲」の状況が、冬の厳しさや侘しさと重なる。

この三つの連想によって、「檻の鷲」は、冬の寂寥感や寒さを喚起する力を持っていると判断される。
よって、単独で季語として成立すると考えるのが現代的な解釈だと思われる。
一方、木国、信子、楸邨らが季語を添えたのは、この「連想力」だけでは不十分だと考えたためだ。
その意図には、主に以下の二点が考えられる。

• 季感の補強と明確化:
「短日」や「雪」という確固たる景物や「寒し」という直接的な感覚を添えることで、季感をより強く、明確に、作者の主観として提示しようとした。
• 句の主題化:
季語を二つにすることで、主題を「檻の鷲の姿」だけでなく、「冬の厳しさの中で、檻の鷲を見る」という、より哲学的な視点や主題へ広げようとした(特に加藤楸邨の句)。

結局、「檻の鷲」は、単独で冬の季語として成立する
虚子や波郷が証明しているように、鷲が持つ孤独で寒々しいイメージは、檻という場所と結びつくことで、強く冬の季感を喚起する力があるからだ。
もちろん、「檻の鷲」を単独で用いるか、季語を添えるかは、作者の意図次第ではあるが。

閉ぢひらき羽音しだいに鷲となる
              冬眞

飯田冬眞(いいだ とうま)
東京都練馬区在住
「磁石」編集長 「豈」「麒麟」同人