5年前のわたし
👤赤尾双葉

5年前の自分がこれを読んだらきっと別人だと思うだろう。
2020年、コロナという言葉をニュースで初めて知った頃、双子を授かった。
数か月後、クリニックの待合室の雑誌類は全て撤去され、パパママ教室なるものも全て中止になった。
元々そういうものが苦手だった私には好都合でもあったが、初産だったため多少なりとも不安はあった。
出産は計画帝王切開で無事に2人とも取り出してもらえたが、出血が止まらず私だけ転院してICUに3日入った。
その後2人と無事合流したのだが、それからが大変だった。
覚悟はしていたものの甘い考えだと痛感した。
1年は何とか乗り切ったが、張り詰めていた糸が切れて育児ノイローゼになりかけた。
そんな時に「プレバト!」の俳句コーナーを初めて観た。
出産して半年ほどはテレビを観る余裕が無く、観るとしてもご飯時にニュースを観る程度だったためバラエティー番組は本当に久しぶりだった。
俳句は高尚なものだからと今まで観るのを避けてきた。
ましてや自分が詠みたいなど思うこともなかった。
だが、この時はなぜか観入ってしまった。
すっと内容が入ってきて久しぶりに穏やかな気持ちになった。
そんな私を見て夫が地元で開催される俳句教室を薦めてくれた。
「子育てだけの生活だったから息抜きに」と言ってくれたのがありがたかった。
3か月の教室も無事終えてそこで俳句熱も冷めるかと思いきや、その教室が先生の一存で個人の教室として延長するという。
夫もそういうことなら続けてみれば?と言ってくれた。
この頃はまだ子供達が寝てくれていたのでその間に教室に通えていた。
(結局1年半通わせてもらった。)
そんな縁もあり、3日坊主の私が俳句にのめり込んでいくことになるのだ。
40歳で双子を産みコロナ渦という時期を過ごさなければ俳句を詠むことは無かったと思う。
教室以外の場としては、夏井いつき先生、そしてネット句会(夏雲システム)の存在が引きこもり生活を過ごしていた私に俳句を続けさせてくれる原動力となったと思っている。
もちろん俳句を始めるきっかけをくれた夫にも感謝している。
そしてx(旧Twitter)で知り合った句友の存在も大きい。
現代社会の生み出したツールのおかげで俳句を続けられ、今のところ育児も乗り越えることが出来ている。
そして自分の俳句や言葉がデジタルや書籍で残るという機会をいただいている今に感謝している。
生命体 赤尾双葉
花栗や胚盤胞に成る過程
いざよいや帝王切開はあした
双子取り出され救急車から月
天の川産んで三日も抱けぬ吾子
夜露ぽたり黄檗の初乳ふくませて
秋の灯や赤子のミルク攪拌す
着ぶくれて手洗いならう二歳かな
三寒四温知育菓子ってあまい
赤尾双葉
1979年生 岐阜県在住
俳句結社[楽園]会員
いつき組、まなざし句会、青い鳥句会
兄妹
👤あいだほ
ぼくの妹は知的障害を持っています。
別に隠しているわけではないけれどわざわざ言うことでもないし、友達と喋っていて兄妹の話題になったらその時の状況で言ったり言わなかったり、場の雰囲気を考えて伝える感じ。
兄妹は妹が一人だけ、三つ年下で知能指数は四歳程度、日常生活はそれなりにできるけどやはり急に不機嫌になったり歌いだしたり「四歳だなぁ」といった様子。
母の意向でぼくと同じ地域の小学校に入学。
母から「お兄ちゃんなんだからちゃんと見てあげてね」と言われたけれど妹との学校生活はそれなりに大変だったように思う。
ある日の授業、クラスメイト同士で“長所”を決め合うという時間があった。
ぼくの長所を決める時間。
ぎこちない空気のなかぼくの長所は「妹思い」に決まった。
複雑な気持ちだった。
小学校高学年の頃のこと。
居間で誰かからのお土産の扇子を妹がうまく開けずにいた。
最初は優しく教えていたけれど妹は何度やってもうまく開けない。
つい苛立ち叱るような口調になってしまった。
そのことを母に酷く叱られた。
母の言いつけを守って自分なりに妹に気にかけてきたつもりだったし、学校での同級生からの「知的障害者の兄も頭がおかしい」といったような陰口にも耐えてきたつもり。
いろいろな感情が無理くりに混ざってどろどろになった。
その時泣いたり怒ったりしたかは覚えていないけど妹と距離をとるようになってしまった。
二年位前、父親の退職祝いのつもりで両親にさだまさしのコンサートをプレゼントした。
二人を車で会場に送ったあと終了の時間まで妹とレストランで食事。
タッチパネルで注文するオーダーバイキングのお店、「これ食べる?」って聞くたび困ったような半笑いでこちらを見ながらうんうんと頷いてくる。
だけど頼んだお寿司などはあまり食べて貰えず、どうやらスイーツにターゲットを変更した様子。
嬉しそうにケーキやプリンを食べる妹を見ながら大量の寿司を胃に詰め込むことになった。
苦しいけれどしょうがない。
お兄ちゃんですし。
妹の食後の飲み物は意外にもブラックコーヒー「めっちゃ大人やね」って言ったら「うへへ」と笑っていた。
ぼくも一緒に「うへへ」と笑った。
「配られたカードで勝負するしかないのさ」というスヌーピーの有名なセリフがありますが、ぼくの「妹」のカードって実はとても強いカードなのではと思っています。
人生いろいろありますけれど、なんでも俳句にしていけたらな。
兄妹
いもうとが泣いてる蜂が死んでいる
平等を愛して孤独桜の実
峰雲より産卵管のような雲
放課後の木下闇ではおともだち
湖は内気の匂い七月来
藻の花や四の地蔵に四の椀
見せるつもりだけの木苺だったらし
兄妹のありかた扇子のひらきかた
あいだほ
1987年生まれ
「福岡県現代俳句協会」「いつき組」所属
「noi」誌友