Aのモヤモヤ
👤太田うさぎ

我が家は二つの駅の中間にある。
どちらも駅前はぱっとしないが、下り方面の駅の方が途中の公園や川沿いの遊歩道が楽しい。
だから、買い物と散歩を兼ねたいときはこちらを選ぶ。

ある時、ロータリーから枝分かれする道の中でも目立たない小路にふらりと入ってみた。
一軒のログハウス風の居酒屋がある。
表に出ている品書きには美味しそうな料理が並び、価格も手頃だ。
日本酒の種類も多い。
これは一度来てみるべし、と店の名を探すと、壁の板に白ペンキで書かれた英字二語を見つけた。

Little Luck

リトル・ラック――「ちょっとした幸運」や「小さな幸せ」ほどの意味なのだろう。
店の外観には洋楽ファンらしき雰囲気もある。
もし店主が私くらいの世代なら、ポール・マッカートニー&ウィングスのヒット曲「幸せの予感(With a Little Luck)」から取ったのかもしれない。
いや、古すぎるか。別の曲やフレーズかもしれない。

それにしても、リトルの前に「ア」を付けないと! 
英語の授業で、「a little」は“少し”、冠詞なしの「little」は“ほとんどない”だと習った。
つまり、Little Luck なら「ほとんど運がない」――つまり「運に恵まれない」という意味じゃないか。
頭の中で、「酒場リトル・ラック――運に見放されこの地に流れ着き、しがない居酒屋を営む主。
集まる客もまた夜な夜な我が身の不運を嘆く」という映像が勝手に流れはじめる。

気になりすぎて、一度家族を誘って入ってみた。
品書き通り、日本酒は好みの銘柄が揃い、酒肴は串揚げから胡瓜の一本漬けまで豊富だし味も悪くない。
店主は黙々と厨房で腕をふるい、常連らしきおじさんはサワー片手に新聞を読み、近所のサラリーマンたちが笑い声を上げる。
そこには名前の印象とは裏腹に、ささやかに満ち足りた時間が流れていた。
地元にあると安心できる店だ。
それだけに店名が惜しい。

採点趣味などさらさらない。
リトルだろうが、”ア”・リトルだろうが、通りすがりが口を出すことではない。
お店側も意味を承知のうえで、響きの良さを優先したのかもしれない。
分かっちゃいるのだ。
それでも、あの看板を見るたびに「幸薄い店なんですわ~」と語りかけられているようで、どうにも気になる。
あるべきところにない違和感に体がムズムズしてしまう。
お願いだからLittleの前に冠詞Aを付けてくれ・・・

友達に話したら、「luckはほぼないけれど寄ってってよ的な感じかもね」と言われた。
うーんそうなの?

モヤモヤを抱えたまま夏は過ぎていった。
路地の奥で、Aのない小さな幸運(?)は今日も灯りをともしている。

秋風や暖簾が額打ちつけて うさぎ

太田うさぎ
1963年東京生まれ。「街」「なんぢや」同人
現代俳句協会、俳人協会会員
『俳コレ』(共著)、『また明日』