現代俳句2025年8月号「わたしの一句」写真提供:須田敏保

「わたしの1句」とその鑑賞
👤渡辺和弘

写真の構図は男郎花をアップし、1本の開花前の蕾と満開とを黒の背景に際立たせている。
印象深いゆえに、この写真からの一句となるとイメージも多岐にわたるように思う。

作者は、植物である季語に対し写真と同じように印象深い言葉でもって取り合わせている。
「サラブレッド」「骨折」「一瞬」そのどれもが、季語を含めて読者の読みを求めているかのようにも思う。
実際、サラブレッドの骨折とは、競走馬にとってのまさに致命傷であり、これまでもレースのあとに即断で安楽死を選ぶケースがあるほどである。
サラブレッドは、馬の品種のひとつで、競馬の主流はサラブレッドである。
イギリスで長きにわたり競走馬として作り出されたもので、「純血」という意味があり、「完全に育てあげられた」ということを表わす。
また、連続8代にわたりサラブレッドが交配された馬でもある。

骨折は一瞬である。
この事実は冷淡なイメージを伴う。
しかし、回復よりも死のイメージに繋がるのが馬であり、淡々とこれらの言葉が繋がる事で、作品世界はより奥の深い様相を呈することとなる。

競馬とも書かれていないし、骨折の後のことにも一切触れていない。
省略の妙味を読者に与えている。
何よりも、男郎花との取合せがサラブレッドとは懸け離れたイメージなので、その効果は大きい。
これが、作者のこの世でたった1つの個性の生み出した作品なのである。

『遠山陽子俳句集成』を何度となく読んだ。
作者の作品世界に近付いたような思いに駆られた。
そして、この「わたしの一句」の作品に接し、何の違和感もなく読み込めた気がした。
書くまでもなく、作品を自らの感性でもって生み出す力こそがその根底にあり誰をもが近づけぬ領域なのである。

漆黒の写真の背景が、この作品のイメージにあり男郎花よりも先に一句のイメージが決まったようにも思える。
それ程にこの漆黒の色は強調に値する。
これまで読んできた多くの「男郎花」作品とは明確に異なる位相を有する作品である。