大井恒行句集『水月伝』
――深く重い歴史性を背負うことばを編み込む現代俳句――
武良竜彦

◎大井恒行の方法論

「鏡花水月」ということばがある。「水月鏡花」ともいう。鏡に映った美しい花と水に映った美しい月―目には見えるが手に取ることのできないもの。そんな隠喩の表現方法を「鏡花水月法」ともいう。

この句集『水月伝』という題名に、自分の句業のことを暗示し、そこに編みこんだことばたちの、眼を凝らさなければ見えない、不可視の深い歴史性。不可視の彼方に歴史を葬り、ただ、今を生き、今を詠むだけに使われていることばたちとは、一線を画している意思表示である。

大井恒行氏

俳句は短い詩型なので、小説や評論のように、その歴史に纏わる人々の重い記憶自身をかたることはできない。

できるのは、その在処を指し示すことだけだ。だが、指し示すだけでは俳句という文学にはならない。それをどう表現するかという方法認識に、自ずと大井恒行氏の作家性が表れる。

以下に例示する句群を読めば、その優れた表現力、作家性に得心していただけるはずだ。

そういう俳句を創作してゆこうと決意した作者には、この最短詩型文芸に対する絶望感と不信感が先ずあって、だからこそ、その暮らしの実感の境涯詠という、今しか見えていない閉塞感を超えて、ことばたちに重い歴史性を負わせることで、独特の文学性を纏う詩空間の創造を、という祈りのような想いがあっただろう。

どんな歴史を、そのことばたちは背負わされたのだろう。

現代俳句文庫『大井恒行句集』収録句から、その軌跡を窺ってみる。

嗚呼!嗚呼!と井戸に吊され揺れる満月
木霊降るいちずに夕陽枷となり
日はひとたびの夢間めぐれる獄舎かな
椀に降る牢獄ながらの世は初雪
黒白の地図にて空の紺を煮る
木を揺りてしずかに狂う一語かな
怒髪は焼け衡は焼けて透ける耳のみ
秋の谷の一顧を許す不思議かな
背を透けて人かげ冬の山降りる
霙降るときどき見える人のかたち

深い暗喩的造形による重い歴史性を背負う語彙群によって、構成する作風で、その表現主題が取り込むものは深く重い。
この地点からの更なる飛翔が今回の『水月伝』ということだ。

◎『水月伝』の世界

「Ⅰ」の章から

東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク

戦禍の廃墟の景として東京とアフガンとニューヨークが串刺しにされている。あのニューヨークのツインタワーの崩壊(2001年9月11日のことだ)に、現代史の何かが象徴されていると感じたのは、大井氏と同年生まれの、わたしたち世代の感性だろう。
その句に大井恒行次の句を添えている。

なぐりなぐる自爆のイエス眠れる大地

国家間戦争のイメージが、テロルという自爆的暗闘の時代へと劇的に変貌していくことの予感。欧米の植民地主義の時代から続く、それ以外の地球規模の地域の人と文化との軋轢は、軋みつつこの次元へと突入していったのだ。

草も木もすなわちかばね神の風

世界がテロルの嵐に巻き込まれる中、作者はそれを遠景に日本の「神風」という、一種異様でもある独得な「たたかい」の歌の源流の不気味さへ鶴嘴を振り下ろしている。大東亜戦争中は準国歌ともされた「海ゆかば」の歌詞。

海ゆかば 水み漬づく屍(かばね)/山やま行ゆかば 草くさ生むす屍
大君(おほきみ)きみの 辺へにこそ死しなめ/かへりみはせじ

いわばこれは、日本型のテロル賛歌、自虐的聖化の歌とも言えようか。

兵として天皇に仕える大伴氏の家訓でもある歌だという。

この句では「神風」は天から吹くものではなく、勇敢に戦死して天皇(すめらぎのおほきみ)の「辺」なる神聖不変の誉の場に逝くのだという、自分が死の風になることを讃えていう表現である。その精神が日本詩歌のど真ん中に据えられて居座っているのである。俳句もまたその日本詩歌の末端に列するものにほかならず、この精神的呪縛からは決して自由であるとは言えないだろう。

こうして開幕する大井恒行「詩劇場」としての句集『水月伝』が尋常な方向に一直線に進行するわけがない。

洗われし軍服はみな征きたがる
軍隊毛布抜け出る霊の青い陽よ
明るい尾花につながる星や黒い骨
一本の 針金の ブリキの脚で 笑う人形
召されしに白木の箱の紙切れひとつ
溶けたのはガラスの兎 鳥 魚

そして日本的な「すめろぎ」の「辺」なる「いくさ」の犠牲の哀歌から、民衆的差別構造へと、三行書きの句へと転調する。

荊棘(けいきょく)の
九天(きゅうてん)めぐる
陽の殉義

「荊棘」は棘のある低木または、そんな木の生えている荒れた土地。転じて障害になるものの象徴、多難であることの比喩、人を害しようとする悪心のことで、「心に荊棘を持つ」などと使う言葉である。

「九天」は古代中国で、天を方角により九つに区分したもので、中央を鈞天、東方を蒼天、西方を昊天、南方を炎天、北方を玄天、東北方を変天、西北方を幽天、西南方を朱天、東南方を陽天という。その中の天の最も高い所を指して「九天」ともいう。

問題は「殉義」という言葉。

これは辞書にはなく、ある詩人の造語である。

わたしが、この造語を初めて知ったのは、その詩人の詩に抱いた強烈な印象故である。

あゝ友愛の熱き血を
結ぶ我らが團結
力はやがて憂いなき
全人類の祝福を
飾る未来の建設に
殉義の星と輝かん  ※注 太字化は評者
      ―─柴田啓蔵「解放歌」七番

この詩人とこの詩のことを知ったのは、《君は「殉義の星」を見たか 歌い継がれる「解放歌」作詞者の激動人生》と題する朝日新聞デジタル版の2020年10月28日の記事だった。その記事の冒頭を引く。

 戦前のエリート中のエリートが学んだ旧制一高の寮歌「嗚呼(あゝ)玉杯に花うけて」のメロディーを借りて、エリートとは対極に置かれた人々が歌った詞がある。
《今や奴隷の鉄鎖断ち 自由のために戦はん》
 ほぼ100年たった今も、歌い継がれている。
 作詞者は九州・福岡県生まれ。/生まれた場所が、被差別部落だった。/そこでは、貧しさゆえ、大半の子どもが尋常小学校どまりだった。/だが彼は旧制中学校に進んだ。/才能を惜しんだ尋常高等小学校の担任が、炭鉱労働者を管理する納屋頭だった父親を説得してくれたおかげだった。/文学や哲学に目覚め、読書に親しみ、被差別部落出身の教師の苦悩を描いた島崎藤村の『破戒』に感銘を受けた。/成績優秀。習字で学校代表に選ばれた。だが、ねたまれたせいか、同じ小学校の出身者に被差別部落出身であることを暴露された。/差別から逃れさせようという家族の配慮で、姉の夫の戸籍に入って姓を変えたのに。/罵倒、嘲笑、嫌がらせ。彼は「学校をやめたい」と訴えた。だが、無学で苦労したという父親らの説得で続けた。/進学先に旧制五高(熊本)や旧制七高(鹿児島)が頭に浮かんだ。/しかし、同じ九州だと、素性を知る者と一緒になるかもしれない。四国の旧制松山高(愛媛)を選んだ。
■水平社との出会い
 1922年2月。/全国水平社創立大会の予告記事が載った新聞を目にした。/「部落民自身が自ら立ち上がる運動」/そんな言葉に、仰天した。問い合わせのはがきを出した。/水平社幹部がやってきた。自身も運動に取り組み始めた。/それは自ら素性を明かすことだった。/旧制高というエリートコースへの未練はあった。それを断ち切って1年後に中退し、運動に身を投じた。/帰郷。「部落解放の父」と後に称されようになる松本治一郎と会談し、「全九州水平社」の設立に賛同を得た。/23年5月、設立大会。松本が委員長に選出された。
 このとき、初めて披露されたのが、冒頭の歌だ。(略)
 “殉義”は柴田の造語。「正義に殉ずる」「正義のために命をかけて闘う」という意味だ。/部落差別からの解放。その正義は、一切の人間差別を許さない、全人類の解放につながるものだった。

大井恒行のこの「荊棘(けいきょく)の/九天(きゅうてん)めぐる/陽の殉義」の句の「殉義」にはそんな歴史的記憶が編み込まれているのである。

日本が単一民族でほとんど人種差別がない国だというのは「神話」である。北はアイヌ民族、南は沖縄、国内ではこのような「部落差別」、未だに改善されない女性差別などなど、苛烈な差別が横行している。

句集にもどろう。

油虫「童子死ねり」と書き 桃史
世界中の遺骨にありしきのこ雲
光の粒の蘇生す済州島(チェジュド)ヤブツバキ
落葉「スベテアリエタコトナノカ」

「落葉」の句はこれだけを読むと季節の循環の表象ひとつとしての「落葉」という現象が「スベテアリエタコトナノカ」という句と解されるかもしれない。だがこの句は、句集でのその前の句群で、福島の原発事故が広島長崎の原爆と一続きの「核禍」として詠まれており、そしてこの「スベテアリエタコトナノカ」は、原民喜の連作詩「原爆小景」の一節の引用句なのだ。原民喜は1905年(明治38年)に広島市で生まれたが、1945年8月6日に広島市に投下され原爆の、爆心地から1.2キロメートルの生家で被爆している。その体験を小説『夏の花』と連作詩篇「原爆小景」を遺し、被爆6年後の1951年(昭和26年)に死去している。

『夏の花』は単行本や文庫本としても刊行され、また戦争文学のアンソロジーなどに加えられているので知っている人は多いようだが、連作詩「原爆小景」のことは知らない人の方が多いのではないか。小説『夏の花』にもこの詩の一部が使われている。「スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ」というフレーズは、その中の「ギラギラノ破片ヤ」という詩の一節である。その全文を以下に引用する。

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニホヒ

この太字にした文節を、この句集に編みこんでいるのである。そして「夏の花」ということば自身を使った次の句もある。

原子炉に咲く必ずの夏の花

このように、原発禍を詠むにしても、大井恒行氏の詩眼の奥行の深さ、広さが解るだろう。

叫びは立ちこめ土砂より速く飲みこむ海
かたちのないものもくずれるないの春

沖縄辺野古の海から恒常的に列島を襲う地震災害までも、高度な俳句的アナロジーで詠み込まれている。

「Ⅱ」の章から

春の陽の飛魂(ひこん)よ風をつかまえろ
暴かれて立つまぼろしの花の木よ
雨を掬いて水になりきる手のひらよ
嘆きの日青のみ痩せて青き空
ひかりなき光をあつめ枯れる草
赤い椿 大地の母音として咲けり

この章の句は歴史性を負うことばではなく、不可視の景の可視化という大井恒行の俳句観、方法論に特化、純化した表現の句が多い。鑑賞者の力量が逆に問われる。

「Ⅲ」の章から

この章は個人名の前書きのある悼句なので、ここで安易に引用して紹介するのが憚られる。わたしの師系の佐藤鬼房、尊敬していた齋藤愼爾、亡くなった上田玄の悼句だけを紹介するに留める。

いくたびもまかせて希望の春を言いし   佐藤鬼房 悼句
愼爾深夜の夏の扉を開けましたか     齋藤慎爾 悼句
「鮟鱇口碑」肌に彫りたるぞうはんゆうり 上田 玄 悼句

上田玄についての句で「鮟鱇口碑」は句集名との注記。上田の「口碑」シリーズの第一作である。彼の『月光口碑』も名作である。

「Ⅲ」の章はいわば死者の魂への悼句の章だが、この句集『水月伝』全体が、歴史的な膨大な死者の魂への悼句集であるといえるのではないか。

「Ⅳ」の章から

見殺しや泳ぎてたどる朝の虹
辺陲の地に咲く椿 明日ありや
家ぬちの裸女は常なる木蔦かな
夕焼けや走り続ける道化を負い
虚舟(むなしぶね)漕ぎつつ列を崩さざる
緑星やみどりの霧に鳥語せる
墨書は「死民」暗黒の満つ力石(ちからいし)
根は風のうそぶく水を生きており
天体に差し入れし身や嘆き舟
赤い林檎かの痛点に至りけり

最後に「死民」という言葉の、私の中にある記憶と記録に触れておきたい。この「死民」ということばは、政治的また一般概念的に一括りされる「市民」という言葉の埒外で、見殺しにされている民びとという意味で、石牟礼道子と渡辺京二が初めて使ったことばであると記憶している。

被害漁民たちを発ち上がらせ、水俣病闘争を共に戦った石牟礼道子と渡辺京二が使った言葉が端緒になっている。その活動を纏めた『わが死民: 水俣病闘争』という書は、石牟礼道子によって編集されたことになっているが、実質は渡辺京二が企画し編み上げたものである。その印税を出版社に前払いさせて、闘争資金に充てるという戦略を立てたのも彼である。一株主運動、株主総会への巡礼姿での乗り込み、大阪、東京の本店、本社への抗議の座り込み、社長との直接対話の要求、という江戸時代の一揆のような、直接的なことばと行動による闘争方針で、あくまでも被害漁民の気持ちを優先することを願った石牟礼道子の意向を、渡辺京二が現実化した闘争だったのである。空疎化する建前言葉を拒絶し、血の通ったことばを復権させる、ことばの闘いでもあったのだ。だから「市民」を拒否して自分たちとその死者たちを包み込む「死民」と称して闘ったのである。

渡辺京二自身は自著『死民と日常《私の水俣病闘争》』―1960年代後半から1970年代にかけての水俣病患者、市民、支援者の関わり合いの中で生まれたこのドキュメタリを上梓している。この本は闘争を支援することに徹した著者の視点から、日本社会が抱え込んだ闇の本質を抉り出していて、石牟礼道子の『苦海浄土』の口誦文学性を持つ価値とはまた別の、一般的な社会論と無縁の独創的価値を持つ書である。

以上、顕著な例句だけを上げて解説めいたことを書いたが、これはほんの一例である。他にも同様の重い歴史性を背負ったことばがある。

自句の中に、そんな深い歴史の「記憶」負うことばたちを編みこむ、大井恒行の姿勢に、深く共感する。

これぞ現代俳句というべきであろう。