曲がる腕
中嶋憲武

三十をひとつかふたつ越えた頃、勤めていた会社を辞めた。ぶらぶらしているのも何なので有名な運送会社の夜勤仕事をしていた時期がある。やっていたのは荷物の倉庫内仕分け作業で、体育館のような倉庫内へ入り、トラックが運んでくる荷物を地区別に分ける仕事だ。その仕事は現場ではマゲと呼ばれていた。膝の高さほどの環状レールが作業場を、グラウンドのトラックのように小判型に周回していて、その上に乗って周回している荷物を、伝票に印字されている記号を頼りに、分担ごとの地区の空間へ直角に引き込むのである。

夜通し十二時間、体力勝負、日払いの仕事を終えて労働者たちは、それぞれの決められている派遣会社のハウスへ引き上げ、そこで着替えを済ませて帰る。たまに誰かの「パーッとやろうぜ」の一言で、幹線道路沿いの、やけに駐車場のだだっ広いファミレスへ7、8人ほどで乗り込み、サイコロステーキとハンバーグセット1180円を誂えたりする小さな祝祭を分かち合った。    

着替えも休憩も、その十畳ほどの畳の上だった。みんな「助っ人」という会社の緑のTシャツ、その背にはローマ字で白く染め抜かれた「SUKKETO」と綴りの間違った文字の入ったシャツを脱ぎ、着替えて送迎バスの来るまでの時間を楽しんでいた。みんな若く力自慢の者ばかりで、その朝はたまたま腕相撲に興じていた。僕は些か腕力があり腕相撲に自信があって、一人二人と勝ち、三人めは組んだ瞬間、強いと思った相手だった。案の定圧倒され、テーブルに手の甲がもうすぐ着きそうな状況で、ぷるぷると耐えていた。しかしここから巻き返して勝ったことは幾度もある。それが僕の戦法でもあった。隙を突いて巻き返そうと力を込めたその瞬間、僕の右手の甲はテーブルに叩きつけられ、曲がる筈のない方向へ鍵型に曲がる腕が見えた。痛みは感じなかった。立ち上がり、右手はまっすぐ下に伸びたままで指を曲げようとしても、力が入らず曲がらない。

数人の仲間がタクシーで、接骨院へ連れてってくれた。医師に右腕上腕の投球骨折と診断された。らせん状に骨折するのがこの骨折の特徴で、野球のピッチャーが投球の際に、上腕の骨幹部に捻転する負荷がかかり骨折することがよくあるらしい。野球をやっていたという医師は、「筋肉の強い人がなるんだよ」と笑って言った。

最初に医師に治療は半年ほどかかると言われて唖然としたが、経過が良好で三か月の見通しになった。三か月ほど右腕は重たいギプスに包まれ、三角巾で吊られた。仰向けには寝られず、半身を起こしベッドのヘッドボードに寄りかかって寝ようとするがあまり眠れず、これは肩が凝って仕方なかった。

ギプスの腕と接骨院の苑のハンゲショウの穂先をしみじみ見比べる。十二時間の夜勤労働で稼いだ金は、治療代と世話してくれた数人の仲間へのタクシー代、謝礼となってほぼ消えた。これこそ骨折り損のくたびれ儲けなのであった。

ひとびと黒く夜勤をつとめ朝焼へ
憲武