
現代俳句2025年6月号 「コウノトリの親子」岡部武夫
「わたしの1句」とその鑑賞 佐藤映二
写真は、コウノトリの擂り鉢型の巣に二羽の雛が生まれ、親鳥が一羽の雛に餌付けをしている場面。残る一羽は嘴を半開きにして、キイキイとせがんでいる。
鳥の巣づくりは、雄が巣の材料集めに飛び回り、雌は届けられる木の枝などを嘴と両脚を使って組み合わせ、形を整えるのだという。産卵後は、父鳥が主に餌運びに飛び回る一方、母鳥は抱卵に夜も日も明けない日々が続く。卵が無事に孵っても、強風や豪雨、外敵の侵入などにも怠りなく備えて雛たちを庇護する日々が続く。親鳥は、おちおち安眠もできまい。
そういう意味から、掲句の〈巣立ち待つ〉に籠められた作者の思いは、雛の側に立ったものというより、労苦の多い親鳥への気づかいの気持からと読みたい。その意味で、〈遠く夕暮れる〉の措辞にも、作者の親鳥への思い遣りがほのかに漂っているのではないか。
話は飛ぶが、五月のある日、カラスの巣組みをした一本の欅を仰ぐと、巣立ち間近な雛の声がひとしきり。その巣に青い筋が見え隠れしている。きっと、例の、針金にブルーの皮膜のついたハンガーだ。間に合わせというより、頑丈な巣組みを意図したカラスの知恵であり、これも涙ぐましいではないか。
ハンガーの見え隠れして鴉の巣 映二
鳥の巣づくりといえば、私淑する宮沢賢治に次の詩がある。生前発表はなく、詩のタイトルが、〈ロマンツェロ〉の案もあったが、成稿では無題である。
きみにならびて野に立てば、
風きららかに吹ききたり、
柏ばやしをとゞろかし、
枯葉を雪にまろばしぬ。(以上第一連)
げにもひかりの群青や、
山のけむりのこなたにも、
鳥はその巣やつくろはん、
ちぎれの艸をついばみぬ。(以上第二連)
第一連は、愛し合う二人が春浅い根雪の柏林を歩いていくと、疾風がきて
ひとしきり音を立てるし、吹き落とされた枯葉が雪の原をころがっていく景。
これを承けての第二連は、春近い青空の下、雪煙も立つ強い風のなか、巣づくろいに精を出して、枯葉や枯草をせっせと啄む鳥がいる。親鳥のそうした一途さにひきかえ、自分たちの愛の巣づくりは何時のことやら‥‥、といった二人の想いが暗示されていよう。
掲句といい、この賢治の詩といい、鳥の巣に托した詠み手の想いは、余人には及びがたい一面もあるようである。