米騒動
仲田陽子
私が小学校低学年の頃、月一回の米飯給食が始まった。食の多様化によるパン食が増えたこと、米の消費量が減ったことから、余剰米対策と消費促進のための国の政策と記憶している。まさに飽食の時代の幕開けだった。
それから50年の時を経て、令和の米騒動。政府の備蓄米が流通しだしたとかで何かと騒がしい。
スーパーの米売場から米袋が消え、すっからかんの棚を見るたび、わが家のお米の備蓄はまだあるとはいえ、他人事ではいられない日も近づいていると再認識させられる。
思いおこせば三十年ほど前にも一度、明日食べる米に困る経験をしたことがあった。いわゆる平成の米騒動だ。あの年は前年の冷夏の影響で国産米の生産量が落ち込んだため、タイからインディカ米(タイ米)が輸入され、国産米とタイ米を混ぜたブレンド米なるものが食卓に上った。
タイ料理店もまだ珍しく、インディカ米を食べたことがなかった者たちは、慣れないブレンド米に「美味しくない」などと文句を言ったものだった。新米が出回る頃にはブレンド米は食卓から姿を消し、タイ米は大量に売れ残ったらしい。
そんな平成の米騒動に教訓を得て備蓄するようになり、日本の食料自給率の中で100%を誇ってきたお米。余るほどあると信じきっていたお米がないとなると、何を主食にすればいいのだろうか。
お米がなければパンを食べればいいじゃない?とばかりに、最近の私は手作りパンに凝っている。
材料を計量し、手で捏ね、一次発酵させ、成形し、二次発酵させ、焼くという一連の作業は予想以上に手間暇がかかる。
捏ねる作業はなかなかの力仕事だし、発酵の頃合いの見極めが特に難しく、上手く焼き上がったと言っても、パン屋さんで買うものと比べてはいけない素人レベル。
パン職人という言葉があるくらい職人技なのだから難しくて当然といえば当然なのである。
発酵するパン種の生温かい膨らみに指を差し入れ発酵具合を確認するとき、加藤楸邨の〈パン種の生きてふくらむ夜の霜〉の句がいつもよぎる。この句の季語「夜の霜」の斡旋は遠からずいい付き具合だなと感心する。何事にも頃合いを見極める力が必要ということだ。
ふと、飽食の時代はもう終ったのかもしれないと思った。
六月の米櫃の底見えてくる 陽子
夏の霜インディカ米の炊きあがり 陽子