ヨーゼフ・ボイスと自由律俳句
荻原井泉水の詩学にみる〈社会彫刻〉としての詩的行為

山根もなか

はじめに

 詩を書くとは、いったい何なのだろうか。いつから詩は、整った形式や完成された形を求められるようになったのだろう。
 この問いを、ヨーゼフ・ボイスの思想は静かに、根本的に反転させる。彼が提唱した〈社会彫刻〉という概念は、芸術をモノではなく、むしろ行為そのもの、人と人との関係性そのものに見出す思想である。
 「関係性における芸術」というこの考え方は、じつは日本の詩の領域にも不思議な通路でつながっている。とりわけ、荻原井泉水によって深められた自由律俳句の詩学には、それと響きあう思想的な磁場があるように思われてならない。
 音数の律から自由になった一行詩が、読者との間に生み出す「応答の空間」。それは、ボイスが語る「関係を彫る」芸術とよく似た振る舞いを見せる。本稿では、詩が「社会彫刻」として立ち上がるときに必要とされる条件を改めて問い直しながら、尾崎放哉や荻原井泉水の句を〈詩的行為〉として再読する。そのうえで、俳句という詩型そのものに対する新たな視座を探っていきたい。
 この論考は、作品の解釈だけでなく、詩の未来の在り方についてのささやかな提案でもある。

Ⅰ「社会彫刻」という思想

 ヨーゼフ・ボイスは繰り返しこう語った。「芸術家とは芸術を職業とする人のことではない」。芸術とは、本来すべての人に開かれた思考の運動であり、行為の場である。言い換えれば、日々のなかで人と人が関係をつくりかえるその過程そのものが、彫刻的だということになる。

 1982年に現代美術展ドクメンタ7で発表された《7000本の樫の木》は、その考え方の象徴だ。都市のなかに樹を植える。ただそれだけの行為が、やがて風景の記憶や時間の感覚を変えていく。そこには「完成された作品」という発想はない。あるのは、変化し続ける関係性のなかで「意味」がかたちをもつ、その運動である。

ボイスにとって芸術は、額縁的なものや、目に見える形式的な作品というオブジェクトではなく、つねに生成の途中にある出来事だった。そう考えたとき、井泉水の自由律俳句が志向した「俳句は、いま・ここにある関係のなかで生まれるものだ」*1という立場と、不意に重なるのである。

Ⅱ 一行詩としての自由律俳句
 荻原井泉水は、俳句に求められる形式的な整合性よりも、「詩」であることを何よりも重視した。技巧を競うのではなく、音数に縛られるのでもなく、その瞬間に立ち上がる言葉の震えを信じる。その姿勢は、「完成された芸術」に背を向けたボイスの実践とどこか似ている。
荻原井泉水は「俳句は一段落ある一行詩である」と記している*2。この定義が意味する“俳句”とは、十七音の定型を超えた自由律俳句のことであり、読むことで関係を生成する詩としての俳句にほかならない。
 1913年、井泉水は新傾向俳句運動をともに担っていた河東碧梧桐と袂を分かち、『句の魂』を追求する詩的営みに踏み出した。このとき彼は、「俳句は印象より出発して象徴に向かう傾きがある。俳句は象徴の詩である」と述べている*3。すなわち、感覚の即興性にとどまらず、読むことを通じて象徴的意味が生成される場としての俳句という理念が明確に示されている。
 これは単なる定義ではない。読むことによって句が完成するという考え方が、その背後に息づいている。たった一行であることが、読む者の呼吸に寄り添う。声に出すと、行末の沈黙がじわりと身体にしみ込み、記憶と感情がにじむ。詩が「読むことによって変化するもの」となったとき、それはすでに関係の彫刻である。

Ⅲ 詩が「社会彫刻」になるという視点
 現在、定型俳句や短歌の世界では、完成度の高い形式美が重視されている印象がある。もちろん、それ自体に否定すべき点はない。ただその完成度の高さが、ときに読者の身体を遠ざけてしまうのではないかという危惧もある。
 
一方で、現代詩や自由詩と呼ばれる領域では、「形式の自由さ」をうたいつつも、抽象的な比喩や専門的な語法への依存が強く、やはり読者の参与が難しい場面も多い。そうしたなか、自由律俳句のもつ〈不完全性〉や〈余白の多さ〉は、読むという行為そのものを詩的プロセスへと変換する契機を与えてくれる。
 読むことで詩が完成する。読むことで詩が変容する。その一行が、関係のはじまりをそっと差し出しているとすれば、まさにそれは社会彫刻そのものなのだ。

Ⅳ 放哉・井泉水の句を「彫る」
 尾崎放哉の一句を思い出してみたい。

咳をしても一人



 たったこれだけの言葉に、なぜこれほどまで空気が動くのだろう。読んだとき、その場に誰もいない部屋の匂いまでが立ち上がってくる。ここにあるのは、説明ではなく関係の再編成だ。読者がその孤独に触れた瞬間、句は彫刻のように立ち現れる。
井泉水のこの句もまた、同じ構造を持つ。



湯呑久しくこはさずに持ち四十となる



 この句が詠まれたのは1913年前後、井泉水が40歳を迎えた頃である。東京での詩作と思想的模索が深まり、形式から解き放たれた表現を本格的に模索し始めた時期にあたる。比喩も派手な技巧も誇張もない。しかし、この湯呑を「壊さずに持ち続けてきた」という時間の厚みは、読む者の手のなかで、まるで自分自身の時間であるかのように再生される。
 この句が詠まれた1913年は、井泉水が河東碧梧桐と決別し、「句の魂」を標榜し始めた転機の年でもある。彼は「俳句は印象より出発して象徴に向かう傾きがある。俳句は象徴の詩である」と述べた*3ように、単なる感覚の描写ではなく、象徴としての事物の持続性と、そこに宿る精神性を俳句に託そうとした。その象徴詩としての理念が、湯呑という具体物のうちに、人生の継続と自己の内的な歴史を重ねるこの一句にも滲んでいる。
 これらの句は、いずれも精神の中に「関係の像」を刻む行為である。ボイスの言葉を借りれば、詩は物質の彫刻ではなく、「精神の塑像」として読者のなかに生成する。

結びにかえて

 自由律俳句は、詩を完成品として差し出すのではなく、読むことで立ち上がる出来事としてひらいている。このような開かれた詩的実践は、ヨーゼフ・ボイスの〈社会彫刻〉にきわめて近い思想的振る舞いであると考えられる。

ただし、本稿の主旨は、自由律俳句だけが唯一の正解であるという主張ではない。むしろ、俳句という詩型が持つ多様な可能性のひとつとして、「関係を生み出す詩」という方向がありうるのではないか、という提案である。放哉や井泉水の句を社会彫刻として読み解くことは、作品の内にある完成性ではなく、読者との関係のなかにこそ詩があるのだという可能性を育てるだろう。

 俳句という世界を愛するすべての人と、〈詩とはなにか〉という問いに、形式や伝統を越えて向き合っていく。そのための一つの入り口として、この論を捧げたい。

参考文献
・荻原井泉水『詩と人生 新装版: 自然と自己と自由と』旺文社、1997年
・尾崎放哉『尾崎放哉全句集』講談社文芸文庫、1990年
・ヨーゼフ・ボイス『BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』水戸芸術館現代美術センター編、フィルムアート社、2010年
脚注
*1:筆者による井泉水詩学の要約。彼の言葉「俳句は、自由でなければ詩でない。詩でなければ俳句ではない」(『詩と人生』)などに基づく。
*2:荻原井泉水『詩と人生 新装版』所収「自由律俳句とはなにか」より。

*3:荻原井泉水『詩と人生 新装版』所収「俳句自由論」より。