百景共吟

写真提供:飯塚 英夫
「百景共吟」より2句鑑賞 井上論天
「百年の孤独」を酌みて探梅行 安西 篤
「百年の孤独」とは、コロンビア出身のノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスのベストセラー小説「百年の孤独」から名付けられた焼酎であるらしいが、一般的な焼酎とは異なり、蒸留した焼酎をホワイトオークの樽で熟成させた度数四十度の逸品である。掲句はまだまだ寒い候であるだけに、コクとボリューム感がアップするお湯割りを飲み干し、山野を逍遥されたことであろう。
梅林や偶(たま)にはゐるぞ花おんち 山本鬼之介
私には耳の痛い話である。違うことなく私もその「花おんち」の一人であるが、無知と言う方が正しいであろう。その他、「方向音痴」「運動音痴」「機械音痴」なども身に覚えがある。しかし流石に「梅」と「桜」を見間違えることは無いが、それでも「梅」には三百種以上の品種があるとされ、その中でも「花梅」「実梅」と大きく分類されていると聞く。今更ながらの不勉強ぶりが露顕され、身につまされる一句となった。
「百景共吟」より2句鑑賞 小野裕三
紅梅白梅白兵戦の気配かな 安西 篤
白兵戦には、機械の兵器は登場しない。機械の兵器の場合、戦闘と言っても、具体的に誰を攻撃したのか、誰に攻撃されたのか、がお互いによくわからない。白兵戦だとそこは明確で、生身と生身が揉み合うようにぶつかり合う。顔が見える一対一の殺意という人間臭い不穏さは、確かに梅の咲き誇る感じと何かが通じる。紅梅と白梅、という色の対比にも、作者はそれを感じたのか。表記においても、梅の文字が一字跳びで反復され、重なるように白の文字も一字跳びで反復され、そんな文字の仕掛けもどこか幻を呼び寄せるように作用する。
紅梅どつと疎林の先が気にかかる 山本鬼之介
三つの要素が重なり合い、景色を作る。紅梅が目立つ場所にあるのだろう。咲き乱れるさまは圧倒的な存在感だ。その梅からはたぶん少し離れたところに、疎な林がある。それぞれ「どつと」と「疎」と言い表される。前者は口語的な擬態語。一方の後者は「まばら」や「ぱらぱら」などとは表記されず、堅い漢字で表される。豊かな柔らかさと、乏しい堅さ、というこの鮮明な対照は巧みだし、この二つのさらに向こうに様子もわからないその「先」を置き、その不明さに意識を向かわせるのも、三つの要素を見渡した計算された配合と思う。