秋田内陸線途中下車

泉屋おさむ

(ウエブ5月号からのつづき)

4 米内沢駅から再び内陸線に乗る。列車は、阿仁川沿いを遡るようにして走り十分足らずで、八つ目の駅「桂瀬駅」に着いた。この駅の北側の「白坂遺跡」からは、「笑う岩偶」が出土している。笑う岩偶とは、平成4年に、秋田県埋蔵文化センターが実施した発掘調査で発見された高さ6・6㎝、幅8・4㎝の石製人形で、ほほ笑んでいるような表情が珍しく、全国的に話題となり、国立博物館やフランス・パリで展示された。
 現在は、北秋田市の「伊勢堂岱縄文館」に展示されている。

5 桂瀬駅から川を挟んだ対岸に蛍を鑑賞できる「森のテラス」がある。

   一の橋二の橋ほたるふぶきけり    黒田杏子

 田舎でも蛍がふぶく情景はとんと見られなくなった。
 森のテラスは、東京で造園業を営む山田茂雄さんが2008年年に山頂から裾野までの26へクール(東京ドーム5個分の広さ)の土地に、開放型の個人庭園をオープンさせた。

 池やデッキ道などが造成され、豊かな水環境に支えられた山林、田んぼ、畑がある。
 ここは夏場には蛍の鑑賞会が開かれ、秋には百種類ものダリアが鑑賞できる場所になっている。
 桂瀬駅を過ぎ、10番目の駅が「前田南」である。この駅はアニメ「君の名は」に登場する駅にそっくりだと話題になり、多くのアニメファンが訪れた無人駅である。

 

6 鉱山の町「阿仁」

 列車は、鷹巣駅から12番目の駅「阿仁合駅」に着いた。秋田内陸線のほぼ中間に位置し、2002(平成14)年、「北緯40度線に位置する阿仁地域のシンボルの巨大な三角屋根のある駅舎」として、東北の駅百選に選定されている。平成30年にリニューアルオープンした。「4」を二つあわせた形を結びつけ、訪れた方が幸せになるように願いを込め、駅の愛称を「しあわせのえき」としている。
 駅を出ると近くに銅の産出日本一を誇ったこの地区の歴史を伝える「異人館・伝承館」がある。
 「異人館」は明治政府により、阿仁鉱山に派遣されたドイツ人鉱山技師の宿舎として建築されたもので、レンガ造りの住宅としては全国的にも珍しく、秋田県最初の洋風建築である。
  科学者として知られる平賀源内は、1773年(安永2年)に銅山経営に行き詰まった秋田藩の招聘を受けて銅鉱石の中に残存する銀の精錬方法を伝えた。 


秋田内陸線阿仁合駅(泉屋氏撮影)

7 難読の駅名「笑内(おかしない)」

 鷹巣駅からは15番目の駅である。難読駅名ランキングがあるとすればおそらく上位に来るとおもわれる駅名である。
 内陸線沿線にはアイヌ語に由来する地名が多い。これまで通過してきた「米内沢(よないざわ)」は「蛇の多い沢」という意味のアイヌ語「イオナイ」から名付けられた。「ナイ(内)」を使った地名は「川・沢」を意味しているという。

 

8 源平の落人の村「根子(ねっこ)」

(1)笑内駅から山道を辿り1.5キロのところに源平の落人が拓したとされる「根子(ねっこ)集落」がある。集落の入り口に隧道が あり、隧道を抜けるといきなり眼下に集落が出現する。
  四方を山が囲み、すり鉢の底のあたりの傾斜地に50戸も家が貼り付くようにしてある。「根子」は源平の落人伝説の村で、番楽と マタギ発祥の村である。


根子集落(写真提供:北秋田市観光課)https://www.city.kitaakita.akita.jp/genre/kankou

(2)「番楽」は、山伏神楽の一種で東北地方の日本海側では「番楽」、太平洋側では「山伏神楽」や「権現舞」と呼ばれている。


根子番楽(写真提供:北秋田市観光課)

   番楽は村の矜持か烏瓜      おさむ

   おろち討ち根子番楽幕を引く   おさむ

  例年8月14日に五穀豊穣、無病息災、家内安全を祈り、根子番楽伝承館を会場に行われている。

(3)番楽と双璧をなす文化としてあるのが、「マタギ」である。


マタギ(写真提供:北秋田市観光課)

  「マタギ」は広辞苑には、東北地方の山間に居住する古い伝統を持った狩人の群れ。秋田マタギは有名とある。
  マタギの全盛期は明治時代中頃で、昭和の終わりとともに昔ながらのマタギは消えてしまった。今もマタギを名乗る人はいるが少数である。マタギの装束も使う銃も村田銃からスコープ付きのライフル銃へと様変わりした。

   神体の虎魚崇めるマタギ村   五代儀幹夫

    マタギたちは山の神を深く信仰していました。
  山は山の神が支配するところで、獲物は神様の授かり物であると信じていました。山が荒れて、吹雪になれば猟はできません。
  マタギが崇拝する山の神は、女性の神様で、とても醜い姿をしていて、やきもちやきで、男性が大好きという変わった性格の神様です。そのため、マタギは狩猟で山に入るときは、水垢離を行って女性の匂いを消し,身だしなみを整えました。
  また、シカリ(マタギの頭領)は、乾燥させたオコゼを持ち歩いていて、山が荒れるとオコゼをチラッと出して見せるのです。すると、山の神は、「世の中には自分より見にくいものがあるのか」と機嫌を良くし、天候を回復させると信じていたのです。
   自然頼みの狩猟を強いられたマタギならではの風習ではなかろうか。

   母乳もて子グマ育てし日の遥か   五代儀幹夫

(4)マタギにとって最大の獲物は、熊です。
  ツキノワグマは普通7、80㎏まれに200㎏を超す大物もいる。鋭い爪の前肢は一撃で牛や馬を倒す力を持っています。
  クマが、穴から出てくる4月中旬から5月中旬はクマ狩りの最盛期です。
  母グマは、冬の穴ごもりの間に子グマを産みます。
  春になって、母グマは子グマを穴に残し外にでることがあります。その時に母クマが撃たれると小熊は穴に残されてしまいます。そうして確保された子グマもいるのです。

    家伝薬売るもなりわい旅マタギ   五代儀幹夫

(5)狩りで得られたクマの場合、クマの胆が最も大切にされました。クマの胆のうを乾燥させたものが熊の胆で、胃腸薬、毒消しの薬として珍重され、昔から熊の胆1匁(3.7グラム)が金1匁といわれる程高価でした。過去には根子に熊の胆などの家伝薬の行商人がおり、東北各県や、富山や滋賀県にまで行商にでかけていました。

   落人の村が生国女校長   五代儀幹夫

  行商で得られた知識や富が根子集落の文化の向上をもたらしたといわれている。
  昔ながらのスタイルで猟をするマタギは昭和の時代とともに消えてしまったが、今、阿仁では長く猟友会の中核で活動するベテランに加え、県外からマタギ文化に引かれて移住した若手が増えているという。伝統あるマタギ文化が継承されていくことを願う。