癪の痛み
仲田陽子
それは花冷えの丑三つ刻のこと、突然の腹痛に襲われる。みぞおちから右脇腹へ何者かが内臓に爪を立てて悪意を込めて握り締めているような、これまで経験したことのない痛みだった。
体の向きを変えてみたり、症状を検索して気を逸らせてみたものの、一向に痛みが治まる気配がない。それどころか激痛となり、いよいよ我慢の限界へ到達してしまった。意を決して病院へ。
血圧・採血・心電図・CT・腹部エコーの検査の結果、胆嚢結石症(胆石症)と診断がついた頃には朝になっており、緊急手術と数日の入院が決まった。迷惑をかけるであろう各所へ連絡を入れ終わるとホッとしたのか、ようやく点滴の鎮痛剤が効きはじめた。
外来の消化器内科・外科をあらためて受診し、手術に必要な検査と各種同意書に全て署名して、麻酔から覚めた夜には胆石は胆嚢ごと摘出されているという、とても長い一日となった。
知人の医者の話によると無自覚で胆石を持っている人は多いらしく、胆嚢は無くても問題なく生きていける臓器だという。
その昔、胆石症は「癪(シャク)の痛み」と言われていたようで、時代劇などで「持病の癪が…」「さしこみが…」と女性が腹部の痛みを訴える場面を観たことがある人もいると思う。
まさかその癪の痛みが悶絶するほどの痛みとは思いもよらなかったけれど、胆嚢を摘出してしまってはこれまでどおり「癪に障る」という言葉は使えなくなってしまった。
ならば「癇癪を起こす」ということもなくなるかもしれないが、残された《癇》が強くなり癇癪のバランスが崩れ「癇に障る」ことが増えないとも限らず、常に怒りっぽくイライラした性格に変わるかもしれない。できれば《癇》は弱まってほしいものだ。
術後一ヶ月経過、今のところ《癇》は強くなってはいないようであるが、今後影響が出ないとも限らない、まだまだ経過観察が必要である。
春の夜の自ら上る手術台 陽子
花冷えの身体に疼く癇と癪 陽子
プロフィール
1969年生まれ。京都市在住。
「寒雷」を経て無所属。現代俳句協会会員
「ユプシロン」「義仲寺連句会」参加。