「間違い」について

うにがわえりも

春縁微慕

うにがわえりも

霞濃階前聲難聞
斜風渡影映春陽
白硯試書浮花影
春雨對影氣相通
磨几月光痕猶在
夜櫻道行心閑然
宵闌誰測千里意
春暁微光沁心深

 私の俳句との出会いは、大学四年生の冬まで遡る。訳あって就職が上手くいかなかった時、普段とは違ったことをしてみたい思いになり、たまたま目にした「鬼貫青春俳句大賞」に応募してみることにしたのがきっかけだ。元々短歌が専門なので、俳句の知識はほぼ皆無。「歳時記」の存在すら知らずに、「一句の中に季語が一つ入っていればひとまずいいのではないか」といった理解で、ネット歳時記を頼りに三〇句を一気に作った。今になって振り返ってみると《幸せなことだけを書く日記買う》といったちょっとマズイ句もある。「間違い」だらけの一連であったが、自分としては心を込めて一生懸命に作ったつもりだ。結果的にそれが大賞をいただけることになり、浅川芳直君の誘いで「むじな」創刊にまぜてもらえることになり、あれよあれよという間に短歌よりも俳句の原稿依頼の方が多くなっていって、麒麟俳句会で俳句にどっぷり浸っている今日に至るというわけだ。自分が本当にやりたかった短歌と、世間が評価してくださる俳句との狭間で複雑な気持ちになった数年間であったが、今は俳句が心から楽しい。
 ここまでの道のりを振り返ってみると、私はいろいろな「間違い」を犯してきた。「鬼貫」受賞時の作風に拘りすぎてしまった時期。その反動で、言葉の雰囲気のみでホトトギス的な美しさを出そうとして空回りした時期。そのまた反動で、あまり俳句らしさに縛られなくてもいいのではないかと開き直り、意味不明な句を量産してしまった時期。麒麟俳句会に入った直後、「作中に作者の心が入っている《いきいき》した句を」との指導を受け、頭では分かっているつもりでもなかなかうまくいかない時期が長かった。
 そんな中、昨年高橋睦郎さんに会わせていただける機会があり、そのバイタリティに大いに刺激を受けた。句集『花や鳥』を読み、言語世界の自由さや豊かさにハッとさせられた。「自己主張ではなく自己解放のための表現」という考え方は、私の目を開かせた。その年の蛇笏賞選評「入魂多捨」という文章は、私のこの先の俳句人生の道しるべとなった。直接ではないものの、睦郎さんからは大切なことを教えていただいたと思っている。ちょうどその頃、「むじな」の仲間である浅川君に言われた言葉で、全てが繋がった気がした。「これからは、残せる句を作れ」
 しかし、句作は気持ちだけではどうにもならないところがある。心構えがあっても、それを具現化するためには弛まぬ勉強と努力が必要だ。そうだとしても、私はやはり「心」の方を大切にしたいと思う。そのため、これからもたくさん間違えると思う。とんでもない問題作を生み出してしまうかもしれない。全く進歩がみられない時期があるかもしれない。時に、先生の指導に背く間違いを犯すかもしれない。それでも私は、「自己解放の俳句」のために、これからも間違えていきたい。間違えることを恐れないでいきたい。
 人間は間違えることで進歩する、教師である私がいつも子どもたちに教えていることではないか。

 なお、今回の作品は、新年度にあたってのごく個人的な感慨を表現してみました。平仄はばらばらですが一応「漢詩」風の体で、以下は書き下しの例です。

霞濃く階前の声聞き難し
斜風影を渡して春の陽に映ゆる
白硯に書を試みて浮かぶ花影
春雨の影に対して気相通ふ
几磨けば月光の痕猶在りぬ
夜桜の道行く心閑然たり
宵闌に誰か測らむ千里の意
春暁の微光心に深く沁み

略歴
1995年、山形県生まれ。麒麟俳句会、むじな所属。第13回鬼貫青春俳句大賞。第8回北斗賞佳作。

 

 

山子草子

里 山子

 春は鶏皮。焼き鳥屋さんの匂いが春の夕暮れと混ざって路地まで届く。春の夕暮れはぼやっとしていて、あの匂いがたまらなく好きだ。わたしが初めて食べた鶏皮は駅の近くの欅の木のある大きな通り沿いの居酒屋。そこで出てきた鶏皮のなんとも旨いこと旨いこと。叔父さんが連れていってくれた店だった。ぱりりぱりりと嚙んだなら鶏の旨味が余すところなく口の中へ広がる。そんな話を叔父さんにしたら、また行こうなと得意気で。春は鶏皮。間違いなく。

 夏は諏訪湖。お仕事が終わった後に諏訪湖に立ち寄る。夕方の諏訪湖畔は走る人や話をする人、遊ぶ人、わたしのようにぽけーっとする人、いろんな人で溢れる。お仕事で使い果たしたエネルギーは、夏の諏訪湖で回復される。湖畔の芝生に夕日が当たって輝いて、明日も頑張ろうなんて思っちゃう。そしたらゆっくりゆっくりわたしはおうちへ帰るのだ。

 秋はお好み焼き。広島へ行こうと思った。広島をもっと見て、自分が戦争の俳句を詠もうか詠まないか、どちらにせよ意志を持ちたいと思った。だから広島へ行こうと思った。広島の空は新しく見えた。町に人が暮らせばそこに営みが生まれて、営みは誰がなんと言おうと町にあるべきものだと思った。原爆ドームのすぐ近くのお店でお好み焼きを食べた。小雨に濡れた身体にあたたかかった。

 冬は俳句。わたしが俳句と出逢ったとき、運命だと思った。初めて作った俳句を採ってもらえたことがうれしくて、一日一句を始めてみようと思った。2020年の冬、わたしの俳句がはじまった。わたしの冬は俳句になって、そこから、俳句のことを少しずつ知っていったら春も俳句になって、大好きな句友さんたちに出逢えて夏も秋も俳句になった。そしてまた冬がやってくる。

 

ゆらぐ

                     里 山子

花咲けば夢となりゆく枯野かな

お彼岸のサラダよ蜜柑入りなのよ

白玉に命ありけり空を見る

五月(ヒカリ)来りて根性(ズク)なしの部屋の冬用(ブ)靴下(ツ)よ

しぐれてはゆらぐほうたる

憲兵さんみーんな同じ顔して笑ふ

天の川の水おいしくてよかったわ

ボイジャーより眺めるこれっぽっちの星と星

略歴
いつき組。楽園同人。noi誌友。
2024年「カフェときどき俳句」開催。