『現代俳句』では「昭和百年/戦後八十年 今、現代俳句とは何か」を2025年の通年テーマにかかげています。その一環として、副会長・理事・監事・事務局長を対象にアンケートを実施しました。

1.私が推す「現代俳句」五人五句選
2.現代俳句の「現代」を時期として捉えると
 ①昭和以降 ②第二次大戦終結後 ③平成以降 ④時期の限定はない ⑤その他(正岡子規以降など)
3.コメント

青木鶴城監事

1.私が推す五人五句
日本の夜霧の中の懐手          高柳重信
虫の見るもの腹這えば見えてくる     大坪重治
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの    池田澄子
三月の甘納豆のうふふふふ        坪内稔典
南浦和のダリアを仮のあはれとする    摂津幸彦

2.現代俳句の「現代」は
➁第二次大戦終結後

3.コメント
 「現代俳句」の定義は大変難しい。
 単純に考えるならば、松尾芭蕉や与謝蕪村に始まる自然の一瞬をとらえ詩的な情景描写を追求する俳諧をいわゆる有季定型の「伝統俳句」、自由な発想と観察力を活かし日常の一瞬を切り取ろうとする正岡子規や高浜虚子の時代の「新俳句」、伝統的な形式にとらわれない自由律俳句や無季俳句による自由な俳句を追求した河東碧梧桐、種田山頭火、尾崎放哉の「近代俳句」へと移り、昭和21年に発表された桑原武夫の詩歌を第二芸術論だとする衝撃から「現代俳句」は出発したのではなかろうか。
 実際のところは、「現代俳句」は日々変化を続けていて、どこをもって「現代俳句」と呼ばれるものになったかを定義するのは非常に困難である。

 

上田 桜理事

1.私が推す五人五句
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ      加藤楸邨
被爆者の下駄の写真と知り拝む      田川飛旅子
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ   金子兜太
熊切村字川上の寒卵           中村和弘
わが柩小窓閉じれば北風止む       朴美代子

2.現代俳句の「現代」は
➁第二次大戦終結後

3.コメント
 戦争体験者の俳句。
 五人五句アンケートの中で、加藤楸邨、田川飛旅子、金子兜太の作品を取り上げた。
 昭和20年5月23日、夜の米軍による大編隊によって世田谷区代田にある加藤楸邨の家は全焼しました。庭先には牡丹の花が美しく咲いていただろうし、秋には鶏頭の花も咲くはずであったと推測されるが、5月23日に自宅は跡形もなくなった。
 句集『火の記憶』の中の「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」を山本健吉は、家が崩れ落ちるさまを「牡丹崩るる」と形容し楸邨式に言えば作者の感情昂揚が牡丹に感合して比喩として作者の感動の大きなゆらぎを感じることができると述べていた。
 「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」金子兜太
「被爆者の下駄の写真と知り拝む」田川飛旅子
作者はみな戦争体験者で作品の中にゆるぎない魂が現実味を帯びている。戦後生まれの私はそれらの作品を捉えながら戦中戦後を知る術でしかない。他国の戦争のニュース、そしてその飛び火が隣国より持たされるのではないかと思ったりもする。
 宇多喜代子著、ひとたばの手紙から(角川ソフィア文庫)に戦争俳句のことを書いていた。戦争はすなわち「体験」としてまず個々の内部のものとなり、同体験を持つ者との連帯の問題となり歴史の問題となってゆく。俳句で戦争を主題化するとき、それをどのレベルで捉えるかが作品を大きく左右してくる。
 戦争以後の日本の俳句の形態も、昭和生まれがいなくなったときにどのように変化しているのだろうか。

 

大石雄鬼事務局長

1.私が推す五人五句
蝶墜ちて大音響の結氷期        富澤赤黄男
梅咲いて庭中に青鮫が来ている     金子兜太
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの   池田澄子
遠足の列大丸の中とおる        田川飛旅子 
地下鉄にかすかな峠ありて夏至     正木ゆう子

2.現代俳句の「現代」は
④時期の限定はない

3.コメント
 「現代俳句」の対比として「近代俳句」と「伝統俳句」が考えられるが、「近代」との比較において、わざわざ「現代」と入れる必要はないと思われる。「伝統俳句」との比較においてはどの俳句も伝統の上になんらかのかたちで立脚し、その上で自己も含めた現代を詠んでいるので、どちらかだけということはないであろう。どちらの比重が高いかである。また、現代俳句を現代においても鑑賞足り得る俳句とすれば、ほとんどの俳句が「現代俳句」に包含されてしまうので、わさわざ「現代」という冠を付ける必要は無くなる。結局、現代俳句に時期の限定はないが、現代から見ても先端を走ろうとしている俳句が現代俳句ではないだろうか。それは俳句の形の上からも、詠む対象からもである。形の上からの先端性として、「蝶墜ちて大音響の結氷期」「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」を挙げたい。詠む対象としての先端性として「遠足の列大丸の中とおる」「地下鉄にかすかな峠ありて夏至」を挙げたい。

 

黒岩徳将理事

1.私が推す五人五句
レモンスカッシュ輝かせどの今も今   神野紗希
聖樹に灯仮の家族として仰ぐ      津川絵理子
どの秋果に似てゐる心なのだらう    野名紅里
ゆれて夜DJが言う大丈夫       木田智美
最中二つそして薄暮が二つある     大石雄介

2.現代俳句の「現代」は
③平成以降

3.コメント
 作者がその時の新しい関心事に向き合って俳句を書けば、少なからず「現代」性を帯びるのではと思う。しかし自分はこの宇宙にまだ一度も書かれていなかったことが書かれることに重きを置き、それが俳句の世界を多少なりとも揺り動かすことに期待したいので、制作年の比較的新しい作品を心に留めたい。また、①作者が対象に関心を持った時、②句にまとめた時、③句集にまとめた時、④読者がそれを読んだ時、俳句にはさまざまな段階が存在するので帯びてくる意味もそれぞれに異なる。本来は句集という形式にまだされていない句の方が「現代」なのではないかと、もっと短い期間で区切ることを繰り返した方が楽しいではないかと思い、回答にもどかしさを覚える。本当は、まだ句集が出ていない「鳩に雪触れてみづみづしき磁界/早田駒斗」)(第11回俳句四季新人奨励賞)の語彙の美で一句を成立させようとする力技や、「靴下をぐづぐづ脱いで朱欒かな/高久麻里」(第13回星野立子新人賞)のチルの中にある倦怠感などの話もしたい。神野句、0,00000000,,,,1秒ずつの今がドリンクの泡に集約される。あなたが今この文章を読んでいるこの瞬間もどこかで新しい時間(と俳句)は生まれている。かつて高山れおなが神野の「陽」の側面に触れたことを思い出すが、やはり時間認識の象徴である泡の出所がレモンスカッシュであることにかすかな希望を感じる。津川句、誰を含めて「仮の家族」としているのかで読みは変わり、そして膨らむ。家族という定義やあり方の時代による変化を思わせる。野名句、眼前の果実の様態を活写することだけでは永遠にたどりつけない自分という存在のとらえられなさ。木田句、地震災害時にラジオDJが冷静に届けてくれた言葉がどれほどいっときの安心をもたらしてくれただろうか。「ゆれて夜」の一見技巧的に見えてナマな感情がただよう書き振りも心を表している。大石句、薄暗がりにつつまれたこの世界ともう一つの世界を思う時、最中を二つに割るときの手応えはあるようでない。自分の関心事は、作者がそれぞれの作家性を突き詰めようとするときに「現代」性は自ずから生まれやすいのか、それとも作者が「現代」性に向き合うときに自ずから作家性が滲み出てきやすいのかということで、個人的には後者を期待したいが前者の方が「近道」かもしれないと思っている。

 

神野紗希常務理事

1.私が推す五人五句
頭の中で白い夏野となつてゐる     高屋窓秋
蟻よバラを登りつめても陽が遠い    篠原鳳作
遺品あり岩波文庫「阿部一族」     鈴木六林男
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき   桂信子
人類憐愍令(じんるいあわれみのれい)あれ天の川 三橋敏雄

2.現代俳句の「現代」は
⑤その他(新興俳句以降)

3.コメント
 「現代俳句」という言葉には、それまでの「俳句」とは違うのだという志、「現代」の生や諸相を刻むのだという矜持がこもる。昭和初期に勃興した新興俳句は、子規によって生まれた「近代俳句」に主観の豊穣を加え、新たな荒野を切り拓いた。高浜虚子ら守旧派に相対する「現代」の詩を、という意志の強さに「現代俳句」の萌芽を見たい。逆に、「現代」の反対側に仮想される別の価値観があまり透けて見えない場合は、わざわざ「現代俳句」と銘打つ必要もないから、今の時代に作られている俳句がすべて「現代俳句」というわけではない。あくまで「現代」の詩たる矜持をもつ作家や作品に絞って例を挙げたので、5句抄はおのずと新興俳句にルーツのある作家となった。以後の時代はどうだろう。伝統と革新、近代と現代といった二項対立から自由になった場所で、新しい言葉が生まれていくのではないかと注視している。

 

近 恵理事

1.私が推す五人五句
いくたびも雪の深さを尋ねけり     正岡子規
人体冷えて東北白い花盛り       金子兜太
ピーマン切って中を明るくしてあげた  池田澄子
ともだちの流れてこないプールかな   宮本佳世乃
コンビニのおでんが好きで星きれい   神野紗希

2.現代俳句の「現代」は
④時期の限定はない

3.コメント
 「現代俳句」を「今、此処、我」と考えると、「今、この時」だけでなく過去の時代や体験していない出来事を、なり切ってあるいは体験したような体で詠まれた俳句でも、それを詠んでいるのは「今ここにいる作者」から出た言葉なのだから、そういう意味では全ての作品が「現代俳句」と言えないこともないのだろうなと漠然と思う。また、金子兜太の唱えた「俳諧自由」は、俳句(あるいはその作者)について現代俳句であるか否かをカテゴライズしたりすることとは相反する事のようにも思える。しかし、残念ながら自分は日頃「現代俳句とは」などと考えて俳句に向き合っているとは言えないので、考えに考えても困ったことに今はこのくらいの事しか思い浮かばないというのが正直なところです。

 

小林貴子副会長

1.私が推す五人五句
戦争が廊下の奥に立つてゐた      渡邊白泉
蝶墜ちて大音響の結氷期        富澤赤黄男
広島や卵食ふ時口ひらく        西東三鬼
音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢       赤尾兜子
梅咲いて庭中に青鮫が来ている     金子兜太

2.現代俳句の「現代」は
①昭和以降

3.コメント
 水原秋櫻子が「自然の真と文芸上の真」を発表したのが昭和六年。そのころから無季・自由律を含む「新興俳句運動」が活発になった。太平洋戦争前の俳句弾圧と、戦中・戦後の混乱期を経て、社会性俳句、前衛俳句が大いに展開された。この一連の流れの端緒がちょうど昭和初期に当るので、私にとっては現代俳句の時期はやはり昭和初年からというイメージがある。しかし明治期からすでに河東碧梧桐が試みていた新傾向俳句は、後代に大いに先んじていたものであった。そのことを忘れてはなるまい。
 私が俳句を始めた昭和五十六年ごろは、秋櫻子は伝統俳句を作るおじいさん(失礼)という認識になっていた。我々は秋櫻子門、風生門として、伝統の用語で作句するのが常であり、当時の現代俳句協会の主流、兜太等の作風とは距離をおいていた。
 「五人五句」に選んだ句は、誰もが知る句ばかりだ。これらの句と自分の作句とで異なるのは、語法である。仮に田んぼに案山子が立っているのを見て一句にしようとする時、私は「立つてゐた」など、「○○した」「○○してる」的な口語を用いることが出来ない。いつも「立ちゐたり」「立ちをりぬ」等とする。伝統の語法でないと自分が気持ち悪いのだから、これは仕方ない。ただし、白泉の句が「立つてゐた」でなければ成り立たないことは、よく理解できる。また、兜子や兜太の句に見られる、粘り強くうねるようなリズム。これが作品の魅力となっていることもまた、よく分かる。

 

佐怒賀正美副会長

1.私が推す五人五句
荒海や佐渡によこたふ天の河      松尾芭蕉
戦争が廊下の奥に立ってゐた      渡邊白泉
梅咲いて庭中に青鮫が来ている     金子兜太
原爆地子がかげろふに消えゆけり    石原八束
火を焚くや白夜の森のバラライカ    有馬朗人

2.現代俳句の「現代」は
④時期の限定はない

3.コメント
 私にとっての現代俳句とは、その時代時代の「ものの命」を映しながら、同時にその後も色褪せない表現の力を伝えてくれるものだ。五句しか引けないので、身近に師事してきた作家を外せないが、許されれば、〈糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規〉を加えたい。金子兜太の「青鮫」は戦時中の生々しい記憶が深層から立ち昇ってきたような句。石原八束は、小さな命に触れながら原爆への批評句を成した。尚、大正八・九年生まれは、飯田龍太、佐藤鬼房、三橋敏雄、森澄雄など有力俳人の当り年。表現主義的ともいえるほど、内容に応じた個性ある文体を個々に追求した。私自身は、学生時代に活躍していたこの世代の作家たちにいちばん影響を受けた。もう一人の恩師である有馬朗人は世界各地を実際に歩きながら、歴史や文化を掬い上げながら俳句の国際性への展望を拓いた。不易も流行も併せて世界中の現代が映っている。最後に、戦後八十年。〈艦といふ大きな棺沖縄忌 文挾夫佐恵〉を付け加えておこう。

 

対馬康子副会長

1.私が推す五人五句
行春や鳥啼魚の目は泪         松尾芭蕉
鶏頭の十四五本もありぬべし      正岡子規
雲秋意琴を売らんと横抱きに      中島斌雄
銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく   金子兜太
光堂より一筋の雪解水         有馬朗人

2.現代俳句の「現代」は
④時期の限定はない

3.コメント
 「現代俳句とは何か」の問いに中島斌雄著の『現代俳句の創造』は私のバイブルである。その第一章において「混沌とした渦の大きさが現代」なのだというほかはなく、「現代とは、なかなか捉えがたいもの、各人がそれぞれの方法で追求してゆくほかないもの」だと述べている。
 自分が生きる時代を客観的に透視することはむずかしい。目先の現象にだけ身をゆだねていては俳句という詩型の表現は狭いものになるだあろう。時代の変化の中で捉えがたい「現代」を手探りで追い求め続けること、「俳句による現代の認識」がつまりは現代俳句であるとの観点から5作品を選んだ。
 芭蕉の「行春や」の句のずば抜けた前衛性は圧倒される。子規の俳句革新は非空非実の文学の確立にあった。鶏頭の句も時代の前衛であり続けている。斌雄の「雲秋意」に描かれた人間の生きるかなしみこそが「現代」である。兜太の「銀行員ら」は、俳句のイメージの創造を成し遂げた。朗人の「雪解水」の句は、時空を超えて平和の鐘を鳴らし続けている。

 

津高里永子常務理事

1.私が推す五人五句
砂漠に立つ正真正銘津田清子      津田清子
螢の夜老い放題に老いんとす      飯島晴子
幹ひかりはじめて秋のさるすべり    鷲谷七菜子
八月の赤子はいまも宙を蹴る      宇多喜代子
青嵐神社があったので拝む       池田澄子

2.現代俳句の「現代」は
②第二次大戦終結後

3.コメント
 「現代俳句」とはなにか、と問われて、これまで、きちんと意識したことがなかった自分に改めて気がつきました。わずか十七音といういう短い形式を持つ言語表現の奥深さに、ただただ感動し、その魅力に引き寄せられるばかりでした。そんな姿勢のままで、数十年も俳句を作り続けているということが、わが「現代俳句」のじっそうなのかもしれません。
 外国から膨大な数の訪れてくるほどに、わが国は豊かで平和な国に一応、なってはいます。至るところから怒涛のように押し寄せてくる情報にもみくちゃにされる日々、様々な刺激に満ちた世の中ですが、さて何をよすがに暮らすべきか、じっくりと考えるひまもなく、流されるような毎日。空しさや寂しさに耐えがたくなることもあります。
 とはいえ、このような目まぐるしく変わっていく現代社会の中でも、一人で立ち、一人で考え、凛とした表現を続けている俳句作家が数多くおられます。その中で、私は、女性俳人の作品に注目して選出しました。
 1句目の「砂漠」。じっさいにナミブ砂漠へ行って、〈無方無時無距離砂漠の夜が明けて〉という句も作られた津田氏の下五、これが「津田清子」であるといえる屹立した句のゆるぎなさ。
 2句目の「螢」。螢といえば恋、というような王朝時代からのおきまりの情緒を一掃するごとくに胸を張って女性の「老い」を句に詠み、さらには妖艶な世界まで読者を引き込んでいく句の強さ。
 3句目の「秋のさるすべり」。さるすべりは夏の季語という概念を打ち破り、しかも、まさしく写実に基づいた句のしなやかさ。
 4句目の「八月の赤子」。宙を蹴るだけで生まれては来られなかった赤ん坊、その奥にひそむ戦争、そしてむごいほど照りつける太陽を連想させ、無垢なる赤ん坊への愛おしさを超えた句の不気味さ。
 5句目の神社。信仰心の有無はさておいて、神社仏閣に行き遇えば、何となくご利益が授かりそうに思えて柏手を打つ、といった俗気をさらりと代弁してくれる句の屈託のなさ。
 「現代俳句」として先駆けの一句として光を放っている句、そして、こうした感性と表現に憧れて俳句の門をたたく次世代のことを想像しつつ選んでみました。

 

長井 寛監事

1.私が推す五人五句
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな       正岡子規
一月の川一月の谷の中         飯田龍太
戦争が廊下の奥に立っていた      渡邊白泉
降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの   池田澄子

2.現代俳句の「現代」は
⑤その他(正岡子規ら以降)

3.コメント
 松尾芭蕉は出羽国の立石寺にて参詣した際に〈閑かさや岩にしみ入る蝉の声〉と詠った。時は元禄2年5月27日である。明治になり正岡子規が彗星のように文壇に登場する。
 私は子規こそ「現代俳句」の先駆者であると考えている。夏目漱石と無二の親友でもあった子規は「俳句は文学の一部なり 文学は美術の一部なり」と称して俳句革命運動に邁進、以後の日本文学に多大なる影響を与えた。そして世界のhaikuの礎を築いたのである。子規の辞世句は〈糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな〉、自身すなわち即身仏であると記す。
 渡辺白泉は1939年に〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉と詠んでいる。時は日中戦争の最中である。その2年後に日本は第2次世界大戦へと突入する。いかにも世界大戦を予測していたかのような句である。以来86年が経過、今まさにロシアとウクライナの国境戦争や聖地イスラエルとガザ地区との激しい聖教戦争が勃発、世界じゅうが戦争の恐怖に恐れ戦(おのの)いている。

 

堀田季何常務理事

1.私が推す五人五句
頭の中で白い夏野となつてゐる      高屋窓秋
戦争が廊下の奥に立つてゐた       渡邊白泉
草二本だけ生えてゐる 時間       富澤赤黄男
●●○●/●○●●○/★?/○●●/|○○● 高柳重信
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 阿部完市

2.現代俳句の「現代」は
⑤その他(「馬酔木」独立以降)

3.コメント
 日本史における近代と現代の区分は明確に分かれていないが、学術的・一般的には、1945年以降(戦後)を現代とする場合が多い。最近は、1945年から1989年を戦後昭和や後期近代とし、平成・令和期を現代とすることもある。ただ、昔の現代は、すぐに現代ではなくなるので、後者の方が、いずれ一般的になって来るであろう。つまり、現代が何を指すのかは時代によって変わってくるのだ。
 しかし、現代俳句、現代短歌、現代思想などは、現代の俳句、現代の短歌、現代の思想と違って、それぞれ何らかの特定の俳句、短歌、思想を指す名詞である、という主張もある。例えば、短歌の場合、現代短歌の登場は、短歌の傾向変化に求められ、モダニズム短歌以降、戦後、前衛短歌以降、という3つの考え方が強く、それに、平成期以降の「私性の拡張」が定着してから、現代短歌が今後登場する、という考え方もある。案外、後期近代短歌という言葉がいずれ作られて、平成・令和期の短歌を現代短歌とする考えも出てくるかもしれない。
 同じ考え方を適用するならば、現代俳句の登場したタイミングの候補には、「馬酔木」独立(昭和6年)以降、戦後、社会性俳句以降、前衛俳句以降などが挙げられよう(子規以降を現代俳句とするのは、近世と子規の間に存在する俳句を近代俳句とせざるを得ないので、少し難しい気がする)。私自身は、「馬酔木」独立以降(秋櫻子自身の意向は別として、「『自然』の真と『文芸上』の真」発表後、表現の潮流が「ホトトギス」から新興俳句に向かっていった)を現代俳句だと思ってきた。
 しかし、最近は、さすがに90年前の俳句を現代俳句と呼び続けるには限界がありそうだ、と思い始めている。近未来の私たちは、俳壇無風になった平成・令和期以降の俳句を現代俳句と呼びなおすことになるのでは、と思料する。

 

星野高士副会長

1.私が推す五人五句
怒涛岩を嚙む我を神かと朧の夜     高浜虚子
蚊柱に夕空水のごときかな       日野草城
金魚手向けん肉屋の鈎に彼奴を吊り   中村草田男
たましひのまはりの山の蒼さかな    三橋敏雄
地下鉄にかすかな峠ありて夏至     正木ゆう子

2.現代俳句の「現代」は
⑤その他(正岡子規ら以降)

3.コメント
 現代を何時と問はれるとやはり俳諧から俳句にとなった時であろうか。写生を提唱した子規とその頃自由律(神仙体)の虚子との温度差はあったが、そこから今の俳句が存在していると思って子規以降にした。定型の変化もなしに伝統俳句、現代俳句とした仕分けは当然要らないと考えている。又結社を持つ持たないという事は俳句に変化はないが選句の幅につながるのであろう。唯一言えるのはその時代の匂いがするかどうかだ。昭和の香り、平成の無味、令和はまだ七年だが、どこか個人主義の時代。しかし俳句は歪んではいない。「花鳥諷詠」はこれからもっと盛んになるであろう。